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20世紀環境史の結論

『20世紀環境史』より

人間が自分たちのためにつくった壮大な社会システムやイデオロギー制度は、人間の活動に対して以上に環境に対して否応なく大きな影響を与えた。二〇世紀のアイデア、政策、政治構造の渦の中で最も環境に影響を持ったものは、絶対不可欠とみなされた成長と(それと関係がなくはない)安全に対する不安であり、これら二つが世界中の政策を支配した。両者とも当時の知的風景と政治的な展望を示す立派な特徴であり、ともに二〇世紀の想像力と制度への影響力を強固にした。両者、しかしとりわけ成長第一主義のほうは、人口や技術、エネルギーや経済統合などの同時代的なトレンドと軌跡に一致した。実際、アイデアや政策が成功する(広く受け入れられる)ためには、これらのトレンドと合致しなくてはならなかった。

開かれた社会における国内政治は、権威主義的な社会における国内政治より、市民を悩ませる環境問題に対してもう少しよい反応を見せることが、とりわけ一九七〇年以後に分かった。しかし、そこには市民が望んだ環境的慎重さに対するはっきりとした限界があった。政治システムに関係なく、地方レベルから国際レベルまであらゆるレベルの政策立案者は、明確な現在の危険(および可能性)に対してより素早く反応し、環境問題のような徐々に大きくなるような心配事には反応が鈍かった。経済の衰退や戦争での敗北などといった予測は大いに国民の注目を引くが、汚染、森林伐採、気候変化などはそれほどの反応を引き出すことができない。もっと就職先を、もっと税収を、もっと強い軍隊をなどといった目標はどれも即効的な誘惑の力を持つが、もっときれいな空気をとか、もっと環境の多様性をといった目標には魅力がなかった。

しかし、一九七〇年までに新しい変化が進行していた。われわれが便宜的に工業化社会と呼んでいるシステムー相互に連動していて、相互支援的で、(共進化する)社会的、イデオロギー的、政治的、経済的、技術的なシステムーーぱ、従来の産業の正当性と抜け目のなさに疑問を呈するいくつかの運動を生み出した。これらの運動の中には技術や富、巨大な組織を非難し、工業化社会に対するアンチテーゼを突きつけたものもあらた。そうではなく、環境問題の解決策として、より多くのより良い技術と組織を求め、持たざる人々のために富を求めた運動もあった。今までのところ、これらの新しい運動はどこをとってみても限定的な影響しか及ぼしていないが、まだまだ始まったばかりのものである。毛沢東政権下の中国で長く外務大臣を務めた周恩来は世知に長けた人物だったが、フランス革命から一八○年後に革命の意義について質問されたとき、「意見を言うにはまだ早すぎる」と答えた。近代の環境保護主義はまだ三五年しか経っておらず、結論を下すのにはまだ早すぎる。

二○世紀に目撃された環境変化--規模、程度、多様性は様々だが--には複数の相互に補強しあう要因があった。最も重要な直接的な原因は経済活動が巨大に膨らんだことであった。その影にあるのが、エネルギー利用の急成長と人口の急増だった。経済成長が環境と密接な関係を持つ理由は、二〇世紀の技術史、イデオロギー史、政治史にある。これらの歴史(筆者が省いたその他の歴史も含めて)は相互に作用しあっている。そして、これらの歴史は環境史を決定づけ、環境史によって決定づけられている。

この複雑な問題について立ち止まって考えてみようとする人はほとんどいない。生存競争、権力闘争、稼いでは消費する慌ただしさの中で、自分たちの行動や考え方が自然に及ぼす影響について考えてみようなどという市民はほとんどいないし、そんな統治者はさらに少ない。環境保護に市民が関心を寄せるようになった、一九七〇年以後でさえ、公開講演や政治演説で支配的だったのは簡単な善悪の寓話だった。この文脈では、環境にもたらされる影響は、主に予期しなかった結果から派生するものであり続けた。多くの特定の結果はある意味で偶然だった。しかし、人間がもたらす影響と作用を増やすような一般的な傾向--本書で様々な事例によって描かれた、人間がもたらす影響力と衝撃の増加--は偶然ではない。それは、たとえ意図したわけではなくても、ヒトの歴史の軌跡によって決定づけられたのである。-それではどうしようか。
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