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当たり前と思っていることを問うこと

存在することは自立すること

 存在することは自立すること。その上でつながること。

当たり前と思っていることを問うこと

 当たり前と思っていることを問うこと。これが哲学というのであれば、もっと深く考えて下さい。

 その結果は他者とともに考えるということで、相互承認できると言うけど、他者は本当にそこにいるのかという本質的な問い掛けするだけの勇気はあるのか。

 与えられたことを言って、合意してもしょうがない。何のために生まれてきたのか。何のためにそこにいるのか。今の時代はどうやるのか。

 相互承認。皆が自分を認めて欲しいと思っていると、簡単に言っているけど、そういうものではない。認めてもらって、どうするのですか。自分が夢廷内のに、他者もそこにいることも分からないのに。

内容が薄い本

 今週借りてきた本は内容が薄いものが多かった。当たり障りのない、平坦なものになっている。もっと、真剣に考え抜いてもらいたい。こんな本を出してどうするのか。単に金儲けに過ぎない。
OCR化した本の感想

 『社会学のエッセンス』

  格差と不平等は異なるもの

  社会的資源の多くは稀少であるという性格をもつ。そのため社会的資源を社会全体にどのように配分するかがきわめて重要になってくる。どのような配分原理にもとづくにせよ、稀少性ゆえ、社会的資源は不均等に配分される。その結果、社会全体では、社会的資源を多く保有する人とそうでない人が生みだされる。いわゆる「持つ者」と「持たざる者」との発生である。社会的資源が不均等に配分され、格差が生じている状態を、社会階層もしくは階層構造という。社会階層は、社会構造の一部をなしており、社会を安定化させる要因にもなれば、逆に不安定化させる要因にもなる。たしかにあまりに格差の大きい社会では、下層の人たちの不満が醸成されて、現体制を崩壊させるエネルギーとなるだろう。他方、若干の格差があっても、努力によって上の階層に立身出世できるならば、多くの人にとって、その社会は「努力すればナントカなる社会」とみなされて安定化するであろう。

  格差のあることがすべて社会不安の原因になるわけではない。社会の構成員によって、公正な格差とみなされるか、それとも不平等・不公平な格差とみなされるかどうかがポイントである。たとえば相撲やプロ野球といったプロスポーツの世界では、相撲の番付によって給料に差があることや、1シーズンの成績のよかった野球選手が、そうでない選手よりも高い年俸をもらうことは、当然のこととされている。この例から明らかなように、ここでは、格差と不平等とは概念的に異なるものだということをまずおさえておこう。

 『カウンター・デモクラシー』

  不得策な民主主義って何?

  処方的・全体的というよりも、猜疑的・状況依存的な、市民社会と政界とのこうした関係を記すために、「市民的民主主義」あるいは「機能的民主主義」という言い方をしてもよかったかもしれない。それらの表現には、市民にとっての至上命令の消失というライトモチーフとともに、断絶を特徴づけるという利点がある。だがそれでもなお、社会の介入と、社会の領域に整合性と一貫性を与える政治の場という理念とが、現代において分離していることを強調するにはおそらく十分ではない。だからこそ、「不得策な民主主義」という言い方をするほうがより適切ではないかと思われるのだ。現代の大きな問題は、基本的に、間接的な形での民主主義の拡大に、政治の衰退が付き従っていることだからだ。
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