未唯への手紙
未唯への手紙
二重の存在としての移動者
『「地元」の文化力』より 参加のパラドクスと地域社会のゆくえ
参加のパラドクスと移動者の関係である。これまでの考察から、地域社会を基盤にした、ハイブリッドな、それゆえ創作的な文化活動は、(恚地域コミュニティでの人間関係と、文化活動を企画・運営する集団(機能的集団としての特徴を持つ)とを併せ持っていること(関係の二重性)、(2)そのなかでコアの集団へと徐々に参加の深度を進めていくことで「学習卜が進むこと(正統的周辺参加)、さらには、(3)その際に参加の程度をあげていくために、境界を越えていかなければならないことを明らかにしてきた。そして、コアの集団のまとまりのよさ(社会学でいう集団の凝集性)が求められる一方で、それゆえにこそ、さらなる集団参加を求めつつ、そのコア集団への参加が難しくなるというパラドクスを見いだした。このような創作的な地域文化活動の中に、移動者はどのように位置付くのだろうか。すでに、第4章で小島が秀逸な表現を使って指摘したように、「土の人」に対する「風の人」の存在と役割である。とりわけ「風の女神たち」と表現された女性の移動者たちの役割は印象的だった。
こうしたこれまでの章での考察をふまえつつ、議論の出発点として、全国調査の結果から第7章で狭間と古川が明らかにした次の知見、すなわち、「Uターン者が活動を立ち上げ、それに興味を持ったIターン者が活動に積極的に参加し、さらに非移動者を巻き込んで活動を地に根付かせる」という発見をもとに議論を始めよう。もちろん、これは全国調査から得られた知見であり、第4びでの小島の考察のように、Iターン者が立ち上げの主人公になることもあるし、UターンもIターンも、さらに移動の距離を考慮すれば玄田の言うSターンの場合も含まれる。非移動者に対して、移動した者たちということだ。
「風の人」のたとえのように、移動してきた者たちが、新しい視点(「外からのまなざし」)や、しがらみにとらわれない自由さ、あるいは外部の世界での経験がもたらすさまざまな知識やスキル、社会関係資本などの資源を持ち込むことで、文化活動が立ち上がったり、活性化する。このような影響についてはすでに各章でいきいきと描写された。
こうした移動者の活躍の余地が生まれるのは、本書が対象としてきた文化活動の創作性がもたらす特徴と関係することはすでに本章でも述べた。それを、もう少し抽象度を上げて表現すれば、ハイブリッドで創作的な文化活動の運営に必要な機能的集団(アソシエーション)としての特徴が、地域社会というコミュニティを基盤に成立しているという二重構造をもつために可能になっていると言ってもよい。伝統的な祭りとは異なり、機能的な集団だからこそ、地域社会の外での経験やそこで得られたスキルや資源がいっそう価値を持つのである。今回対象となった文化活動のいくつかが、運営の中心を担う組織を委員会形式にしていることも、その証左のIつと言えるだろう。組織としての機能性と透明性と開放性を確保するための選択である。それゆえ、土着でなくても能力を発揮する場があるから、参加の機会が与えられ、周辺から中心への越境が可能になるのである。前述した「達成的」な評価基準の所以である。
しかもハイブリッドで創作的な文化活動は創造を続けるところに新しい伝統としての特徴がある。螺旋形モデルで言えば、文化コンテンツの頂点=中心が固定されているわけではなく、変化を常としているということである。伝統的な文化活動が、その定義からしてマンネリ化すればするほど価値を持つのとは反対に、こうした創作的文化活動の成否は、それを避けるところにある。そうした特徴も、外部からの移動者(Uターン者も含めて)に活躍の場を与えやすい。機能性と開放性が求められるからである。しかもUターン者の場合であれば、かつて地縁や学校縁で結びついていた人間関係が、婚姻や就職によって移動したIターン者であれば家族や職場を通した間接的な地縁関係が、資源となり、参加の敷居を低くする。
しかし、移動者の参加は地縁的つながりを持つとはいえ、いつもスムーズに、順調にいくとは限らない。いくつかの章でも触れられているように、運営や文化コンテンツをめぐる摩擦や緊張、葛藤を持ち込む可能性があるからだ。だが、ここでの議論にとって重要なのは、こうした緊張や葛藤が生み出す小さな亀裂が、コアグループの中に間隙を生み、それが組織のダイナミズムや開放性につながる可能性である。誰かが抜けていく代わりに、ほかの誰かが役割を担い、新たな方針がとられるという動きである。移動者が対立を持ち込むこともあるし、内部で生じた対立を調整する役割を移動者が担うこともある。地域外での経験が与える移動者の二重性(地元住民であると同時に外部者でもあった)が、葛藤の起点になったり、それを調整する冷静な観察者の目を持ち込んだりする。その意味で、移動者は関係のつなぎ手であると同時に、関係を絶つ役割も担いうる。空気を完全に読み切らないことで生まれる葛藤や摩擦であるが、「小さな地雷」を踏むことで生まれる組織のダイナミズムである。移動者が帯びる関係の二重性(地元と外部)と、地域文化の関係の二重性(地縁と趣味縁、コミュニティ的な関係とアソシエーション的な関係)とが重なり合うところで、伝統型の文化活動とは異なる動きが生じうるのである。
参加のパラドクスと移動者の関係である。これまでの考察から、地域社会を基盤にした、ハイブリッドな、それゆえ創作的な文化活動は、(恚地域コミュニティでの人間関係と、文化活動を企画・運営する集団(機能的集団としての特徴を持つ)とを併せ持っていること(関係の二重性)、(2)そのなかでコアの集団へと徐々に参加の深度を進めていくことで「学習卜が進むこと(正統的周辺参加)、さらには、(3)その際に参加の程度をあげていくために、境界を越えていかなければならないことを明らかにしてきた。そして、コアの集団のまとまりのよさ(社会学でいう集団の凝集性)が求められる一方で、それゆえにこそ、さらなる集団参加を求めつつ、そのコア集団への参加が難しくなるというパラドクスを見いだした。このような創作的な地域文化活動の中に、移動者はどのように位置付くのだろうか。すでに、第4章で小島が秀逸な表現を使って指摘したように、「土の人」に対する「風の人」の存在と役割である。とりわけ「風の女神たち」と表現された女性の移動者たちの役割は印象的だった。
こうしたこれまでの章での考察をふまえつつ、議論の出発点として、全国調査の結果から第7章で狭間と古川が明らかにした次の知見、すなわち、「Uターン者が活動を立ち上げ、それに興味を持ったIターン者が活動に積極的に参加し、さらに非移動者を巻き込んで活動を地に根付かせる」という発見をもとに議論を始めよう。もちろん、これは全国調査から得られた知見であり、第4びでの小島の考察のように、Iターン者が立ち上げの主人公になることもあるし、UターンもIターンも、さらに移動の距離を考慮すれば玄田の言うSターンの場合も含まれる。非移動者に対して、移動した者たちということだ。
「風の人」のたとえのように、移動してきた者たちが、新しい視点(「外からのまなざし」)や、しがらみにとらわれない自由さ、あるいは外部の世界での経験がもたらすさまざまな知識やスキル、社会関係資本などの資源を持ち込むことで、文化活動が立ち上がったり、活性化する。このような影響についてはすでに各章でいきいきと描写された。
こうした移動者の活躍の余地が生まれるのは、本書が対象としてきた文化活動の創作性がもたらす特徴と関係することはすでに本章でも述べた。それを、もう少し抽象度を上げて表現すれば、ハイブリッドで創作的な文化活動の運営に必要な機能的集団(アソシエーション)としての特徴が、地域社会というコミュニティを基盤に成立しているという二重構造をもつために可能になっていると言ってもよい。伝統的な祭りとは異なり、機能的な集団だからこそ、地域社会の外での経験やそこで得られたスキルや資源がいっそう価値を持つのである。今回対象となった文化活動のいくつかが、運営の中心を担う組織を委員会形式にしていることも、その証左のIつと言えるだろう。組織としての機能性と透明性と開放性を確保するための選択である。それゆえ、土着でなくても能力を発揮する場があるから、参加の機会が与えられ、周辺から中心への越境が可能になるのである。前述した「達成的」な評価基準の所以である。
しかもハイブリッドで創作的な文化活動は創造を続けるところに新しい伝統としての特徴がある。螺旋形モデルで言えば、文化コンテンツの頂点=中心が固定されているわけではなく、変化を常としているということである。伝統的な文化活動が、その定義からしてマンネリ化すればするほど価値を持つのとは反対に、こうした創作的文化活動の成否は、それを避けるところにある。そうした特徴も、外部からの移動者(Uターン者も含めて)に活躍の場を与えやすい。機能性と開放性が求められるからである。しかもUターン者の場合であれば、かつて地縁や学校縁で結びついていた人間関係が、婚姻や就職によって移動したIターン者であれば家族や職場を通した間接的な地縁関係が、資源となり、参加の敷居を低くする。
しかし、移動者の参加は地縁的つながりを持つとはいえ、いつもスムーズに、順調にいくとは限らない。いくつかの章でも触れられているように、運営や文化コンテンツをめぐる摩擦や緊張、葛藤を持ち込む可能性があるからだ。だが、ここでの議論にとって重要なのは、こうした緊張や葛藤が生み出す小さな亀裂が、コアグループの中に間隙を生み、それが組織のダイナミズムや開放性につながる可能性である。誰かが抜けていく代わりに、ほかの誰かが役割を担い、新たな方針がとられるという動きである。移動者が対立を持ち込むこともあるし、内部で生じた対立を調整する役割を移動者が担うこともある。地域外での経験が与える移動者の二重性(地元住民であると同時に外部者でもあった)が、葛藤の起点になったり、それを調整する冷静な観察者の目を持ち込んだりする。その意味で、移動者は関係のつなぎ手であると同時に、関係を絶つ役割も担いうる。空気を完全に読み切らないことで生まれる葛藤や摩擦であるが、「小さな地雷」を踏むことで生まれる組織のダイナミズムである。移動者が帯びる関係の二重性(地元と外部)と、地域文化の関係の二重性(地縁と趣味縁、コミュニティ的な関係とアソシエーション的な関係)とが重なり合うところで、伝統型の文化活動とは異なる動きが生じうるのである。
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