未唯への手紙
未唯への手紙
人類の持続的発展と原子力
『原子力の本当の話』より 原子力は文明をその根幹で支えられるか
人類の持続的発展とは何を意味するか
現代の矛盾や課題を解決するために必要なことは、一言で言うと「利用から調和へ」の理念の転換ではないでしょうか。本書はその視点に立って書かれています。第4章「整合性のある原子カシステム」はその代表と言えます。循環型社会の構築に不可欠な倫理観や社会制度はもちろん必要ですが、人類は今までに科学技術の進歩で得た快適な生活を容易に捨てさることはできないでしょう。産業革命は、環境支配の社会を便利さ、快適さと引き換えにエネルギー支配の社会に転換することになり、人々はこれを歓迎しました。産業革命がもたらした成果は、人工動力と電気エネルギーを利用するに至ったことです。両者は文明に画期的変化をもたらし、資源の利用を〝良し〟とする社会構造が生まれました。
日本国憲法に謳う「健康で文化的な生活」を望むには、.エネルギーが必要で、資源確保が必然となります。しかし、資源確保を前提に資源の利用を良いものとして、大量生産、大量消費、大量廃棄に進んできた石油文明は、炭酸ガスの放出が地球温暖化問題を生むに至って曲がり角を迎えることとなりました。その間わずかに200年でした。その結果、環境保全が同時に、あるいは資源確保以上に重要な課題になってきました。
このような環境問題の深刻化を捉えて国連は、1992年に「持続的発展の原則」を決議し採択しました。その内容は、地球環境を支えていくために、
持続的発展の原則
①生態系の維持を謳うとともに、絶対的貧困を無くすための
②世代内の公平とともに、次世代に負の遺産を残さないことを求めて
③世代間の公平を謳っています。
現在の文明が抱える課題を捉えて、必要に迫られて決議したと考えて差し支えないでしょう。ここに言う次世代に「負の遺産を残さない」との原則は、いわば倫理的問題を提起しています。廃棄物の適切な処理は、安全問題、資源問題に加えて倫理問題としての性格が強く、世代間の公平は現世代の資源の消費も含めて考えるべきでしょう。放射性廃棄物処分は後世代に「負の遺産」を残さない、現世代の享受した快適な生活のツケを回さないという倫理観の中で取り扱われる課題であり、倫理観を主張するなら放射性廃棄物のリスクの継続時間を、宇宙時間に比べてはるかに短い人類文明の継続時間内(ミレニアム)で許容範囲に減少させ、後世代にリスク負担を与えないことが大切です。
このためには科学技術論に立ち入る前に、「利用から調和へ」という理念の転換が求められ、持続的発展を目指す社会の構築に不可欠な倫理観や、社会制度についての議論と、その結論に従っての行動が必要になってくるでしょう。
持続的発展を考える上での前提
文明は常に、時間的、空間的、さらには世界人口などの量的制約を想定しておく必要があります。現段階で持続的発展を目指す期間は100年なのか1000年なのか、人類が火の利用を始めてから既に100万年を超える時間が経過していることを見れば、恐らく期間はそれ相当なのかも知れません。或いは人類が太陽と同じぐらい地球にとどまるとすれば、太陽がエネルギーを供給している間、数十億年も考慮する必要があるのか、あるいは考慮の外において良いのか。ここではいろいろ考慮するものの直接的には科学技術の研究から始まって放射性物質の処理を実現するまでの期間を、10年、100年、1000年と分けて考慮しています。化石エネルギーを対象とする期間は、現在の確認資源量だと高々200~300年しかないといわれています。最近シェールガスの採掘が進んで新しい化石エネルギー源として脚光を浴びていますが、シェールガスにもその燃焼に伴い排出されるC02によるこれまでと同じ地球温暖化の問題があり、とても100万年の資源として考えるわけにはいかないでしょう。とすれば化石エネルギーに全面的に依存することは不可能で、太陽エネルギーや地上の原子力に頼るしかないでしょう。空間は将来人類が地球を離れて他の星に行くこともあるかと思われますが、ここでは地球に居残ることを前提に考えましょう。
1000年を超える話は、太陽での核融合反応で開放されるエネルギーを太陽光線の形で受けて、これを量的にまた質的にどこまで有効に使えるか、あるいは地球の原子力しか対象にならないでしょう。また世界人口について言えば、また地域的に言えば、アジアは世界人口の53%を占めており、人口10億を超える中国、インドが経済発展を遂げてきています。アジアの近未来のエネルギーと環境保全をどう確保するのか? 地球は既に狭くなっています。人口は100億程度を想定することにしましょう。キリスト誕生の頃の2億人から見れば多いと言えますが、現状からの展望としては控えめかも知れません。
人類は人口を減らして昔の農耕社会に戻るか、エネルギー需要の拡大はそれが線形でなく指数関数的なところが解決を難しくし、エネルギー消費の飛躍的拡大に対しては、エネルギー資源を変える以外にないのです。これは明らかに文明の主体を核反応に依存する形に変えることになるでしょう。それが化学反応に根差す文明から核反応に根差す文明への変更です。
持続的発展に原子力が中心的役割を果たせるか
人類の持続的発展に原子力が果たして中心的役割を果たすことができるか? この問いかけに答えるには何か必要でしょうか。1つは現在我々の日常性の中で原子力が大きな役割を果たしていることをどれだけ人々が認識しているかです。原子力は、個人との直接の関わりが見えにくいので、エネルギー問題として原子力を見るだけでは理解が進まないのではないかと思われます。
身近な存在としての理解は可能でしょうか?
人類の持続的発展とは何を意味するか
現代の矛盾や課題を解決するために必要なことは、一言で言うと「利用から調和へ」の理念の転換ではないでしょうか。本書はその視点に立って書かれています。第4章「整合性のある原子カシステム」はその代表と言えます。循環型社会の構築に不可欠な倫理観や社会制度はもちろん必要ですが、人類は今までに科学技術の進歩で得た快適な生活を容易に捨てさることはできないでしょう。産業革命は、環境支配の社会を便利さ、快適さと引き換えにエネルギー支配の社会に転換することになり、人々はこれを歓迎しました。産業革命がもたらした成果は、人工動力と電気エネルギーを利用するに至ったことです。両者は文明に画期的変化をもたらし、資源の利用を〝良し〟とする社会構造が生まれました。
日本国憲法に謳う「健康で文化的な生活」を望むには、.エネルギーが必要で、資源確保が必然となります。しかし、資源確保を前提に資源の利用を良いものとして、大量生産、大量消費、大量廃棄に進んできた石油文明は、炭酸ガスの放出が地球温暖化問題を生むに至って曲がり角を迎えることとなりました。その間わずかに200年でした。その結果、環境保全が同時に、あるいは資源確保以上に重要な課題になってきました。
このような環境問題の深刻化を捉えて国連は、1992年に「持続的発展の原則」を決議し採択しました。その内容は、地球環境を支えていくために、
持続的発展の原則
①生態系の維持を謳うとともに、絶対的貧困を無くすための
②世代内の公平とともに、次世代に負の遺産を残さないことを求めて
③世代間の公平を謳っています。
現在の文明が抱える課題を捉えて、必要に迫られて決議したと考えて差し支えないでしょう。ここに言う次世代に「負の遺産を残さない」との原則は、いわば倫理的問題を提起しています。廃棄物の適切な処理は、安全問題、資源問題に加えて倫理問題としての性格が強く、世代間の公平は現世代の資源の消費も含めて考えるべきでしょう。放射性廃棄物処分は後世代に「負の遺産」を残さない、現世代の享受した快適な生活のツケを回さないという倫理観の中で取り扱われる課題であり、倫理観を主張するなら放射性廃棄物のリスクの継続時間を、宇宙時間に比べてはるかに短い人類文明の継続時間内(ミレニアム)で許容範囲に減少させ、後世代にリスク負担を与えないことが大切です。
このためには科学技術論に立ち入る前に、「利用から調和へ」という理念の転換が求められ、持続的発展を目指す社会の構築に不可欠な倫理観や、社会制度についての議論と、その結論に従っての行動が必要になってくるでしょう。
持続的発展を考える上での前提
文明は常に、時間的、空間的、さらには世界人口などの量的制約を想定しておく必要があります。現段階で持続的発展を目指す期間は100年なのか1000年なのか、人類が火の利用を始めてから既に100万年を超える時間が経過していることを見れば、恐らく期間はそれ相当なのかも知れません。或いは人類が太陽と同じぐらい地球にとどまるとすれば、太陽がエネルギーを供給している間、数十億年も考慮する必要があるのか、あるいは考慮の外において良いのか。ここではいろいろ考慮するものの直接的には科学技術の研究から始まって放射性物質の処理を実現するまでの期間を、10年、100年、1000年と分けて考慮しています。化石エネルギーを対象とする期間は、現在の確認資源量だと高々200~300年しかないといわれています。最近シェールガスの採掘が進んで新しい化石エネルギー源として脚光を浴びていますが、シェールガスにもその燃焼に伴い排出されるC02によるこれまでと同じ地球温暖化の問題があり、とても100万年の資源として考えるわけにはいかないでしょう。とすれば化石エネルギーに全面的に依存することは不可能で、太陽エネルギーや地上の原子力に頼るしかないでしょう。空間は将来人類が地球を離れて他の星に行くこともあるかと思われますが、ここでは地球に居残ることを前提に考えましょう。
1000年を超える話は、太陽での核融合反応で開放されるエネルギーを太陽光線の形で受けて、これを量的にまた質的にどこまで有効に使えるか、あるいは地球の原子力しか対象にならないでしょう。また世界人口について言えば、また地域的に言えば、アジアは世界人口の53%を占めており、人口10億を超える中国、インドが経済発展を遂げてきています。アジアの近未来のエネルギーと環境保全をどう確保するのか? 地球は既に狭くなっています。人口は100億程度を想定することにしましょう。キリスト誕生の頃の2億人から見れば多いと言えますが、現状からの展望としては控えめかも知れません。
人類は人口を減らして昔の農耕社会に戻るか、エネルギー需要の拡大はそれが線形でなく指数関数的なところが解決を難しくし、エネルギー消費の飛躍的拡大に対しては、エネルギー資源を変える以外にないのです。これは明らかに文明の主体を核反応に依存する形に変えることになるでしょう。それが化学反応に根差す文明から核反応に根差す文明への変更です。
持続的発展に原子力が中心的役割を果たせるか
人類の持続的発展に原子力が果たして中心的役割を果たすことができるか? この問いかけに答えるには何か必要でしょうか。1つは現在我々の日常性の中で原子力が大きな役割を果たしていることをどれだけ人々が認識しているかです。原子力は、個人との直接の関わりが見えにくいので、エネルギー問題として原子力を見るだけでは理解が進まないのではないかと思われます。
身近な存在としての理解は可能でしょうか?
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