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月の光が部屋に入り込んでる

月の光が部屋に入り込んでる

 家族制度崩壊への道のりをつけられるか

第二次世界大戦後に欧米諸国で確立された社会保障制度は、「男性稼ぎ主モデル」に基づいたものであり、その後 の福祉国家の変容は、そのモデルからの離脱の歴史だった。設立当初、社会保障制度は、拠出制の社会保険と税を財 源とする公的扶助という、二つの異なるプログラムから構成されていた。その後一九六〇年代に入り、家族形態の変 化や女性の方率の上昇が進むと、既存の二層構造の制度では対応しきれない 「新しいリスク」が注目を集になった。女性や子どもの経済的な困窮が深刻な問題として受け止められ、家族手当や児童手当といった、それまで重視されてこなかった所得保障プログラムの整備が急がれた。

一九七〇年代以降の経済状況の悪化や、新自由主義的なイデオロギーの台頭によって、福祉国家の再編が進められ る中で、各国の政策的な対応は政治的な要因に大きく左右され、多岐にわたった。だが、大きな潮流としては、家族 政策への関心が高まり、その一環として子どものいる家庭への経済支援が重点化されていく動きが見られた。

こうした状況の下で、本稿で取り上げた事例の中では、スウェーデンの社会保障制度が、一九九〇年代までに最も 「男性稼ぎ主モデル」から離れ、「共働き家族モデル」へと移行した。 それに対し、フランスとドイツでは、普遍性が 高い家族・児童手当が導入され、子どもを持つ家庭への支援は進んだが、一九九〇年代までは、女性の完全な労働参 加を促すような政策への転換は行われず、「男性稼ぎ主モデル」が部分的に修正されるにとどまった。こうした特徴 は、脱商品化に加えて脱家族化という指標を用いたイエスタ・ エスピン=アンデルセンの福祉レジーム論においても 指摘されている(Esping-Andersen 2000)。
一方、エスピン=アンデルセンが自由主義レジームとして括っているイギリスとアメリカは、一九九〇年代に福祉 改革が進み、母子家庭など特定のターゲットを持つプログラムの受給資格が厳格化され、ワークフェアへの動きが見られたという点では類似している。しかしアメリカでは家族・児童手当が存在しないのに対し、財政規模が小さいとはいえ、イギリスでは、子どものいる家庭への経済支援が重視されており、その点において両国は大きく異なっている。

「男性稼ぎ主モデル」が変容を遂げて行き着く先として展望されているのは、家族を単位とせず、 ジェンダーによる差異を生み出さない個人モデルである。ダイアン・セインズベリーが提唱する稼得とケアの個人モデルでは、ジェ ンダーに関わりなく稼得とケアの提供者となり、そのことが社会権として認められ、個人の主体性が尊重されるような政策が必要であるとされている (Sainsbury 1999: Chapter 8; 田中 二〇一七:四三頁)。最も先進的なスウェーデンにおいても、労働市場への女性の参加は進められてきたが、無償のケア労働に対する責任はいまだ女性が主に担っていることが指摘されている (Lewis 1992: 169; 深澤 一九九四:一四頁)。ジェンダー中立的な形で稼得とケアの提供を可能にするようなシステムを組み込んだ社会保障制度が確立されてはじめて、福祉国家は「男性稼ぎ主モデル」からの離脱 を完了するのである。

『図書館情報学事典』
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