未唯への手紙
未唯への手紙
虫けらのように忌み嫌われていた日本人
『語られなかったアメリカ史』より ⇒ 中国の宣伝上手と、それに乗っかる米国国民
日本への原爆投下決定について理解するには、その決定を支持したアメリカ人の心情を知る必要がある。アメリカの戦時プロパガングでは、邪悪なナチス指導者と、一般の「善良なドイツ人」とは慎重に区別されていた。しかし、邪忠な日本人指導者と、〝善良な日本人〟とはまったく区別されていなかったのだ。
アメリカ人はきわめて深い憎しみを、兵士や民間人の別なく、日本人にいだいていた。「おそらくアメリカ史上、日本人ほど忌み嫌われた敵はいなかったろう」ピュリッツァー賞受賞の歴史家アラン・ネヴィンスは書いた。一九四五年一月のニューズウィーク誌は、「わがアメリカ軍がこれほど憎悪し、心底殺してやりたいと思わずにいられない敵と戦った戦争は、かつて一度もなかった」と報じている。
日本人嫌いとしてつとに有名なのが、南太平洋方面軍司令官ウィリアム・〝ブル〟・ハルゼー提督だ。彼はしばしば「黄色いサルを殺せ」とか、「もっとサル肉を作れ」などと言って、部下を奮起させた。
日本人は本当に〝人間〟なのか? そんなことをあやぶむ者さえいた。タイム誌はこう報じている。「日本人は見劣りがし、理性に欠け、無知無学である。おそらくは人間なのだろう。その証拠は……見つかっていないが」
在ワシントンのイギリス大使は、アメリカ人は日本人を「名なしの害虫の群れ」だと思っており、「おしなべて、『根絶やしにしてやりたい』という激しい反日感情をいだいている」とロンドンに報告している。
多くのアメリカ人にとって、日本人は、ゴキブリ、ガラガラヘビ、ドブネズミ、つまり駆除すべき類の生き物に映っていたのだ。一九四五年二月、ヨーロッパから太平洋方面へ転属してきた著名な従軍記者アーニー・パイルは、こう書いている。「ヨーロッパでは、いかに凶暴で残忍でも、われわれの敵は人間だと思うことができた。しかし、ここでは、日本人はサル同然に思われ、毛嫌いされている。彼らは、まるでゴキブリやネズミのように、忌み嫌われているのだ」
こうした感情が、人種差別意識からきていることは確かだろう。しかし、日本人に対して、これはどの悪感情をもたせる具体的な要因が、ほかにあったのだ。アメリカは参戦前から、たとえば日本軍による重慶爆撃、とりわけ〝南京虐殺〟と呼ばれた蛮行を耳にしてきた。
真珠湾への「不意打ち」により、日本人への憎悪はさらに高まった。そして、一九四四年になって初めてアメリカ政府は、二年前にフィリピンで起きた〝バターン死の行進″と呼ばれる、捕虜にされたアメリカ兵とフィリピン兵に対する、日本軍の過酷な扱いを報じたのだ。
たちまちメディアは、日本人の言語に絶する残虐ぶりを伝えるニュースであふれ返った。戦争犯罪行為の数々、たとえば拷問、磔、去勢、四肢切断、斬首、生きながらの火あぶりや生き埋め、生体解剖、捕虜を木に縛りつけて行う銃剣の稽古などが報じられた。
戦時中に日本兵がなした行為には、良心のかけらもないものも多かった。しかし、それは日本人だけにとどまらない。アメリカ兵も、時には陰惨きわまりない行為におよんでいたのだ。
太平洋戦線のアメリカ人従軍記者エドガー・ジョーンズは、戦場での残虐行為など日常茶飯だとは知らない民間人は、思い違いをしているだけだ、と書いている。「ともあれ、一般市民は、われわれがどんな戦争を戦っていたのかご存じだったのだろうか?」彼は一九四六年二月号のアトランティック・マンスリー誌で問いかけた。「アメリカ兵は捕虜を平然と銃殺し、いくつもの病院を襲撃し、救命ボートめがけて機銃掃射し、敵国の一般市民を殺したり虐待し、負傷した敵兵にとどめを刺して殺害し、瀕死の者を死体の埋まった穴に突き落とし、太平洋では、殺した敵兵の頭蓋骨を煮て肉をはがし、骨を削って恋人のために、テーブルアクセサリーやペーパーナイフを作ったりしていたのだ」
戦争がはじまる前から、みにくい差別意識は、アメリカ在住の日本人・日系人に対する処遇に表れていた。すでに数十年間、日系アメリカ人は、投票、就業、教育の面で差別されてきたのだ。一九二四年移民法では、一九○七年以降アメリカヘ移住した日本人には、アメリカに帰化する権利を認めないことが規定され、日本などアジア諸国からのさらなる移民も禁止された。
真珠湾攻撃以前でも、アメリカ西海岸には、戦争に突入すれば日系アメリカ人が破壊活動に出るという、根も葉もない話をでっちあげる者がいた。あるジャーナリストはこう書いている。「太平洋で戦争が始まったとたん、日系アメリカ人は急に忙しくなるだろう。漁船で出ていき、アメリカの港の入口に水雷を仕掛けるためだ。謎の爆発が頻発し、海軍造船所や飛行場、艦隊の一部が破壊されるだろう。……カリフォルニアでは、野菜生産を事実上独占している日系農民たちが、致死量のヒ素を混ぜこんだ豆やイモ、カボチャを市場に売りに出すはずだ」
真珠湾攻撃以降、デマや下劣な嫌がらせは度をまして広がっていった。カリフォルニアのある理髪店は、「ジャップは髭そり無料。ただし、事故が起きても責任は負いません」という張り紙を出し、葬儀屋は「当店はアメリカ人より、ジャップのために奉仕するつもりです」と宣伝した。
日系アメリカ人の破壊活動を恐れるアメリカ政府は、彼らを西部諸州から移送し、強制収容する計画を練りはじめた。
マンハッタン計画の最前線基地ロスアラモスでは、将軍レズリー・グローヴスの標的委員会が、労働者の住居に囲まれた軍需施設がある、まだ空爆されていない日本の都市に対して、原爆を投下することを決定した。世界中の人々に、原爆のけたはずれの破壊力を見せつけて、この兵器がどれはどの脅威であるかを宣伝しようというのだ。
しかし、スティムソンが率いる暫定委員会は、原爆使用にかかわる数々の問題点を検討し、代替案を提示した。トルーマンは、国務長官バーンズを代理として、この委員会へ出席させた。バーンズは、無人地帯での公開実験など、すべての代替案をはねつけた。
五月三一日の暫定委員会では、核兵器の未来についても討議された。科学者たちは、現在製造中の原爆は、きわめて初歩的で原始的な試作品であることを承知していた。原爆の未来に関しては、戦慄するしかなかったのだ。
オッペンハイマーは、国内トップの文民・武官に対し、アメリカは三年以内に一〇から一〇〇メガトン級の破壊力をもつ核兵器を保有することになるだろう、と述べた。近々広島へ投下予定の原爆の、七〇〇〇倍もの破壊力をもつ爆弾だ。
同様に五月下旬、レオ・シラード、ノーベル化学賞受賞者であるハロルド・ユーリー、天文学者ウォルター・バートキーの三人が、原爆投下時の留意事項を大統領に忠言しておくべきだと思い立った。しかし、大統領には会えず、代わりにサウスカロライナ州スパルタンバーグにおいて国務長官バーンズと会見した。
シラードは、バーンズの話に驚愕させられた。「バーンズ氏は、戦争終結のためには原爆使用もやむなし、という意見の持ち主ではなかった。当時、政府の人間なら誰でもそうだったように、日本は敗北したのも同然であることを彼も承知していた。……バーンズ氏がもっと気にかけていたのは、ソ連がヨーロッパで勢力を拡大していることだった。だから、われわれが現に保有している原爆を実戦使用すれば、ソ連の勢いを抑制できるはずだ、というのが彼の主張だったのだ」
グローヴスもまた、敵はつねにソ連だったと認めている。「プロジェクトの指揮を開始してから二週間経過した頃には、敵はソ連だとの感触が、私の思い違いでないことを確信した。よってそれを念頭に置いて、この計画を実行してきたのだ」一九四四年三月、グローヴスは同様の話をして、その時会食していた科学者ジョセフ・ロートブラットを愕然とさせた。「この計画の最大の目的はソ連より優位に立つことだと、当然君も承知しているよな?」グローヴスはそう言ったという。
四月一三日、バーンズは大統領になったばかりのトルーマンに、原爆は「終戦時に、われわれを優位な立場に置いてくれるはずです」と述べた。あの時は誰に対する優位なのかに言及していなかったが、今や相手は明らかになったのだ。
日本が未だに、少しでも有利な降伏条件を求めつづけていることは、グローヴスたちの思うつぼだった。たとえ原爆が戦争終結を早め、アメリカ兵の命を救うのだとしても、それはおまけみたいなものだ。今やアメリカの最優先課題は、アメリカだけが突出した最強国になることに変わっていた。
真の標的はソ連だ。
日本がこうむるだろう被害は、付随的なものにすぎない。
日本への原爆投下決定について理解するには、その決定を支持したアメリカ人の心情を知る必要がある。アメリカの戦時プロパガングでは、邪悪なナチス指導者と、一般の「善良なドイツ人」とは慎重に区別されていた。しかし、邪忠な日本人指導者と、〝善良な日本人〟とはまったく区別されていなかったのだ。
アメリカ人はきわめて深い憎しみを、兵士や民間人の別なく、日本人にいだいていた。「おそらくアメリカ史上、日本人ほど忌み嫌われた敵はいなかったろう」ピュリッツァー賞受賞の歴史家アラン・ネヴィンスは書いた。一九四五年一月のニューズウィーク誌は、「わがアメリカ軍がこれほど憎悪し、心底殺してやりたいと思わずにいられない敵と戦った戦争は、かつて一度もなかった」と報じている。
日本人嫌いとしてつとに有名なのが、南太平洋方面軍司令官ウィリアム・〝ブル〟・ハルゼー提督だ。彼はしばしば「黄色いサルを殺せ」とか、「もっとサル肉を作れ」などと言って、部下を奮起させた。
日本人は本当に〝人間〟なのか? そんなことをあやぶむ者さえいた。タイム誌はこう報じている。「日本人は見劣りがし、理性に欠け、無知無学である。おそらくは人間なのだろう。その証拠は……見つかっていないが」
在ワシントンのイギリス大使は、アメリカ人は日本人を「名なしの害虫の群れ」だと思っており、「おしなべて、『根絶やしにしてやりたい』という激しい反日感情をいだいている」とロンドンに報告している。
多くのアメリカ人にとって、日本人は、ゴキブリ、ガラガラヘビ、ドブネズミ、つまり駆除すべき類の生き物に映っていたのだ。一九四五年二月、ヨーロッパから太平洋方面へ転属してきた著名な従軍記者アーニー・パイルは、こう書いている。「ヨーロッパでは、いかに凶暴で残忍でも、われわれの敵は人間だと思うことができた。しかし、ここでは、日本人はサル同然に思われ、毛嫌いされている。彼らは、まるでゴキブリやネズミのように、忌み嫌われているのだ」
こうした感情が、人種差別意識からきていることは確かだろう。しかし、日本人に対して、これはどの悪感情をもたせる具体的な要因が、ほかにあったのだ。アメリカは参戦前から、たとえば日本軍による重慶爆撃、とりわけ〝南京虐殺〟と呼ばれた蛮行を耳にしてきた。
真珠湾への「不意打ち」により、日本人への憎悪はさらに高まった。そして、一九四四年になって初めてアメリカ政府は、二年前にフィリピンで起きた〝バターン死の行進″と呼ばれる、捕虜にされたアメリカ兵とフィリピン兵に対する、日本軍の過酷な扱いを報じたのだ。
たちまちメディアは、日本人の言語に絶する残虐ぶりを伝えるニュースであふれ返った。戦争犯罪行為の数々、たとえば拷問、磔、去勢、四肢切断、斬首、生きながらの火あぶりや生き埋め、生体解剖、捕虜を木に縛りつけて行う銃剣の稽古などが報じられた。
戦時中に日本兵がなした行為には、良心のかけらもないものも多かった。しかし、それは日本人だけにとどまらない。アメリカ兵も、時には陰惨きわまりない行為におよんでいたのだ。
太平洋戦線のアメリカ人従軍記者エドガー・ジョーンズは、戦場での残虐行為など日常茶飯だとは知らない民間人は、思い違いをしているだけだ、と書いている。「ともあれ、一般市民は、われわれがどんな戦争を戦っていたのかご存じだったのだろうか?」彼は一九四六年二月号のアトランティック・マンスリー誌で問いかけた。「アメリカ兵は捕虜を平然と銃殺し、いくつもの病院を襲撃し、救命ボートめがけて機銃掃射し、敵国の一般市民を殺したり虐待し、負傷した敵兵にとどめを刺して殺害し、瀕死の者を死体の埋まった穴に突き落とし、太平洋では、殺した敵兵の頭蓋骨を煮て肉をはがし、骨を削って恋人のために、テーブルアクセサリーやペーパーナイフを作ったりしていたのだ」
戦争がはじまる前から、みにくい差別意識は、アメリカ在住の日本人・日系人に対する処遇に表れていた。すでに数十年間、日系アメリカ人は、投票、就業、教育の面で差別されてきたのだ。一九二四年移民法では、一九○七年以降アメリカヘ移住した日本人には、アメリカに帰化する権利を認めないことが規定され、日本などアジア諸国からのさらなる移民も禁止された。
真珠湾攻撃以前でも、アメリカ西海岸には、戦争に突入すれば日系アメリカ人が破壊活動に出るという、根も葉もない話をでっちあげる者がいた。あるジャーナリストはこう書いている。「太平洋で戦争が始まったとたん、日系アメリカ人は急に忙しくなるだろう。漁船で出ていき、アメリカの港の入口に水雷を仕掛けるためだ。謎の爆発が頻発し、海軍造船所や飛行場、艦隊の一部が破壊されるだろう。……カリフォルニアでは、野菜生産を事実上独占している日系農民たちが、致死量のヒ素を混ぜこんだ豆やイモ、カボチャを市場に売りに出すはずだ」
真珠湾攻撃以降、デマや下劣な嫌がらせは度をまして広がっていった。カリフォルニアのある理髪店は、「ジャップは髭そり無料。ただし、事故が起きても責任は負いません」という張り紙を出し、葬儀屋は「当店はアメリカ人より、ジャップのために奉仕するつもりです」と宣伝した。
日系アメリカ人の破壊活動を恐れるアメリカ政府は、彼らを西部諸州から移送し、強制収容する計画を練りはじめた。
マンハッタン計画の最前線基地ロスアラモスでは、将軍レズリー・グローヴスの標的委員会が、労働者の住居に囲まれた軍需施設がある、まだ空爆されていない日本の都市に対して、原爆を投下することを決定した。世界中の人々に、原爆のけたはずれの破壊力を見せつけて、この兵器がどれはどの脅威であるかを宣伝しようというのだ。
しかし、スティムソンが率いる暫定委員会は、原爆使用にかかわる数々の問題点を検討し、代替案を提示した。トルーマンは、国務長官バーンズを代理として、この委員会へ出席させた。バーンズは、無人地帯での公開実験など、すべての代替案をはねつけた。
五月三一日の暫定委員会では、核兵器の未来についても討議された。科学者たちは、現在製造中の原爆は、きわめて初歩的で原始的な試作品であることを承知していた。原爆の未来に関しては、戦慄するしかなかったのだ。
オッペンハイマーは、国内トップの文民・武官に対し、アメリカは三年以内に一〇から一〇〇メガトン級の破壊力をもつ核兵器を保有することになるだろう、と述べた。近々広島へ投下予定の原爆の、七〇〇〇倍もの破壊力をもつ爆弾だ。
同様に五月下旬、レオ・シラード、ノーベル化学賞受賞者であるハロルド・ユーリー、天文学者ウォルター・バートキーの三人が、原爆投下時の留意事項を大統領に忠言しておくべきだと思い立った。しかし、大統領には会えず、代わりにサウスカロライナ州スパルタンバーグにおいて国務長官バーンズと会見した。
シラードは、バーンズの話に驚愕させられた。「バーンズ氏は、戦争終結のためには原爆使用もやむなし、という意見の持ち主ではなかった。当時、政府の人間なら誰でもそうだったように、日本は敗北したのも同然であることを彼も承知していた。……バーンズ氏がもっと気にかけていたのは、ソ連がヨーロッパで勢力を拡大していることだった。だから、われわれが現に保有している原爆を実戦使用すれば、ソ連の勢いを抑制できるはずだ、というのが彼の主張だったのだ」
グローヴスもまた、敵はつねにソ連だったと認めている。「プロジェクトの指揮を開始してから二週間経過した頃には、敵はソ連だとの感触が、私の思い違いでないことを確信した。よってそれを念頭に置いて、この計画を実行してきたのだ」一九四四年三月、グローヴスは同様の話をして、その時会食していた科学者ジョセフ・ロートブラットを愕然とさせた。「この計画の最大の目的はソ連より優位に立つことだと、当然君も承知しているよな?」グローヴスはそう言ったという。
四月一三日、バーンズは大統領になったばかりのトルーマンに、原爆は「終戦時に、われわれを優位な立場に置いてくれるはずです」と述べた。あの時は誰に対する優位なのかに言及していなかったが、今や相手は明らかになったのだ。
日本が未だに、少しでも有利な降伏条件を求めつづけていることは、グローヴスたちの思うつぼだった。たとえ原爆が戦争終結を早め、アメリカ兵の命を救うのだとしても、それはおまけみたいなものだ。今やアメリカの最優先課題は、アメリカだけが突出した最強国になることに変わっていた。
真の標的はソ連だ。
日本がこうむるだろう被害は、付随的なものにすぎない。
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