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潜水艦戦の失敗を考える

『海軍反省会2』より

大東亜戦争は所詮勝てる戦争ではなかった。しかし、あれほどの惨敗をしようとはだれも想像しなかったであろうと。そしてあの惨敗の大きな要因に潜水艦戦があった事を否定する事は出来ない。アメリカ潜水艦への蔑視と、日本潜水艦に対する認識不足が惨敗となり、日本潜水艦戦を惨恰たるものにしたのであります。悪戦苦闘の末、二一八隻の潜水艦と二〇名の司令、一二三名の潜水艦長、一万以上の乗り組み員を偲び、その悲運の原因を考えるのであります。

日本海軍統帥の人々は、潜水艦を全く不振で完全に期待を裏切ったと言い、アメリカの太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥は、古今の戦史において、主要な兵器が、その真の潜在威力を少しも把握理解されずに使用されたという、稀有の例を求めるとすれば、それはまさに第二次世界大戦における潜水艦戦、日本潜水艦の場合である、と。こういうふうに極端な批評を加えてるわけであります。

一体日本潜水艦不振の原因は何だったのかと、なぜ失敗したのか、それを研究し、秘められた数々の教訓を得ようとするのが、本論の目的でありますが、そこでまず、日本の潜水艦は全然不振で駄目だったと言われた三人の大先輩の方々の意見をここに述べます。

大戦中期、大本営海軍の作戦の要職にあった山本親雄(兵46)海軍少将が書かれた「大本営海軍部」(一九七四年、白金書房)の最終章に、「戦い終わって」という一章がありますが、その中に潜水艦作戦の気になる一編が次のように書いてあります。我が潜水艦のUボートと同様、いたる所の戦場で飛行機に圧迫されて被害続出し、戦争中もかなりの数を建造したけれども、損失も多く、これといった戦果を上げる事は出来なかった。実に今度の戦争で、一番予期に反したのは、わが潜水艦の不振な戦績であった。と、こういうふうに書いてあります。

次は、福留(繁・兵40)海軍中将でありますが、「期待を裏切られた潜水艦戦」っていう論文の最後にですね、潜水艦乗員たると否とを問わず、潜水艦戦においては、全く自他ともに世界海軍に冠絶する技術を誇っていた。しかるに、実戦の蓋を開けてみると、まことに惨恰たる結果に終わった。と、戦争の末期にいたって、日本の潜水艦がやや見直されてきたのは、実に電探その他の臨機の改善業務であったと。こういうふうに福留さんは言っとるわけであります。

次は、軍令部総長を務めました豊田副武(兵33)大将でありますが、豊田大将は、日本の潜水艦作戦は、初期の戦果をあげないままに全滅したと。このように日本海軍統帥部の代表的な人々の、潜水艦戦に対する批評を見ましたら、残念ながら私が見ると、核心をついたものはありません。なるほどと思うようなものが見当たらないのであります。しかもこれらの表現には、日本の潜水艦は全くの無為無策のまま全滅させたかのような印象しか残らないのであります。おそらく世間の人々は、山本さんの本を読んだら、日本の潜水艦はなんにもやってないんだ、というふうに思うんじゃないかと。まことに残念な事であります。

そこで私は、戦友のためにも、潜水艦がどんな働きをし、どうして全滅していったかという事を、ご説明申し上げたいと思うわけです。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (ii)
2011-01-29 02:34:43
いや、山本自身も指摘してますが、日本の潜水艦技術を過大評価しすぎていたそうです。実際にはエンジン音が大きくすぐ駆逐艦に見つけられたりして戦果が上がらなかった。
 
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