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ドイツ 深刻な社会格差

『地図で見るドイツハンドブック』より 1民族だが2つの社会
ヨーロッパ大陸最大の経済力を誇るドイツは、じつは深刻な地域的な不均衡を示しており、それは失業率と住民1人あたりの可処分所得が地域ごとに異なる経済的格差と結びついている。再統一から20年後、新連邦州は旧西ドイツの州より2倍以上貧しいと同時に、失業の影響もより甚大に受けている。だが、旧西ドイツ内部にもまた、南部のもっとも豊かな地方と北部の失業率がよりいちじるしい地方、とくにルールのようなかつての工業地帯との対照的な格差がみられる。
持続される失業格差
 西側のすべての国と同様、1970年代以降の経済変化は、西ドイツの失業拡大をもたらしてきた。それでも、1990年に7パーセントという失業率は隣国よりも相対的に低かった。再統一後、あらゆる分野での大量解雇が象徴しているように、旧東ドイツの産業が崩壊し、最悪となった1997年、ついで2005年の失業率は、ドイツの労働人口のじつに13パーセントにも達した。2008年の金融危機[リーマン・ショック]の当初は9パーセントともちなおすが、1992年以来、新連邦州の失業率はつねに旧西ドイツのそれのすくなくとも2倍にのぽり、1997年から2006年にかけては平均で18-20パーセントにのぽっていた。シュレーダー政権[ゲアハルト・フリッツ・クル卜・シュレーダー。第7代連邦首相在任1998-2005」による労働市場改革と出生率の低下によって失業率が大幅に下がり、ドイツ全体でその現象はやむことがなかった。そして2018年10月には、4.9パーセントという歴史的な低水準に達している。
 ただ、ドイツのすべての地方がこうした状況を享受してきたとしても、東西ではなおも大きな格差が存続している。たしかにこの格差は狭まり、旧西ドイツの連邦州が4.5パーセントなのに対し、新連邦州では6.4パーセントとなっているが、もっとも低い失業率は旧連邦州のバイエルン州(2.6パーセント)やバーデン=ヴュルテンベルク(3パーセント)である。反対に、同じ旧連邦州でありながら、ブレーメン(9.5パーセント)は、新連邦州のベルリン(7.7パーセント)やザクセン=アンハルト(7.1パーセント)、メクレンブルク=フォアポンメルン(7.1パーセント)より失業率が高い。また、新連邦州のザクセン(5.5パーセント)やテューリングン(5.1パーセント)は、旧連邦州のザールラント(5.8パーセント)やハンブルク(6.1パーセント)、ノルトライン=ヴェストファーレン(6.4パーセント)より失業率が低い。このことは、南北の溝が、なおも顕著な東西の溝にとって代わりつつある事実を示している。
失業と闘うための改革
 2001年から2005年にかけて失業者が385万人から490万人へと大量に増えたことを受けて、ときのシュレーダー政権は、失業者の労働市場への回帰を改善するための積極的な政策を実施した。「アジェンダ2010」と命名されたこの改革にもりこまれたのは、中小企業の解雇保護制度の緩和、個人企業の創設と失業者の起業促進、失業手当の給付額と給付期間の減額・縮小[ほかに失業扶助と社会扶助の新しい失業給付への統合など]たった。長期の失業者たちは当該地方の平均給与より30パーセント減の報酬でも、雇用を受け入れるよう強制された。これをこばむと、失業手当が大幅に削られた。これら一連の施策は不人気だったが、失業のいちじるしい減少をもたらした。2008-2009年の経済危機にもかかわらず、こうして失業率は下がりっづけ、2018年10月には4.9パーセントにまでなっている
東西の傾度
 2004-2016年のあいだ、ドイツ東部(旧東ドイツ)の国内総生産(GDP)は西部よりすみやかに向上したが、富の格差はなおも東西できわめて大きい。新連邦州の1人あたりの国内総生産はドイツ全体の平均値の70-75パーセントにすぎない。例外はベルリン都市州で、その数値は西部でもっとも貧しいニーダーザクセン州をしのいでいる。面積はかなり狭いが、都市圏の経済活動が集中して国内総生産がふくらんでいるふたつの港湾都市州[自由ハンザ都市ハンブルクと自由ハンザ都市ブレーメン]を別にして、もっとも豊かな州は南部のバイエルン州[2018年における国内総生産は6250億ユーロ(1人あたり4万8000ユーロ)で、EU28か国中22か国を上まわる]とバーデン=ヴュルテンベルク州、そしてヘッセン州である。一方、北部の州はさほど豊かではない。南部の利点は競争力のある工業と第3次産業の集中、さらに好調な輸出にある。
深刻な経済格差
 郡のレベルでも、1人あたりの国内総生産はいったいに低い東部と、より高いが、地域ごとにかなり対照的な西部とのあいだに格差がみられる。また、大都市圏(ミュンヘン、シュトゥットガルト、ニュルンベルク、ハンブルク、ライン=ルール、フランクフルト=ヴィースバーデン)の国内総生産はきわめて高水準であるのに対し、大都市圏周辺の農村地域(バイエルンの森、プファルツ、エムスラント)は、しばしば東部の田園地帯と同様に低水準にとどまっている。だが、ルール地方のような都市圏の中心的な都市でも、国民総生産は脆弱なものとなっている。貧しい人々が集まっているからである。これに対し、ミュンヘンとフランクフルトは、高度な第3次産業のおかげで最大の国内総生産を有する大都市である。この両都市およびシュトゥットガルトとカールスルーエ周辺の郡もまた、ハイテク産業を集めて国内でもっとも豊かな地域となっている。新連邦州の国民総生産についていえば、ドイツの平均をわずかながら上まわる大都市(ペルリン、ライプツィヒ、エアフルト、イエナ、ロストック)と、ほぽ全体的に平均の64パーセント未満である農村部との格差が、ここ数年のあいだに拡大している。

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