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ロシアはどこへ

『ロシアの歴史』より ペレストロイカからロシア連邦ヘ--今日のロシア

今日のロシアが直面する課題は、簡潔に記すならば、経済的には市場化、自由化を進めつつ、同時に拡大的発展をはかる。政治的には民主化、思想言論の自由化を達成し、しかも広大で多民族からなる国家の内的秩序を維持する。国際舞台では防衛努力を続けながら、指導力を回復し、強いロシアの復活をめざす。およそこのようなものであろう。

これらの課題は実は今に始まったものではない。市場化や民主化、あるいは自由化という問題がヨーロッパで課題になりはじめて以来、ロシアもそれなりにこれらを自己の課題としてきたのである。その意味では近代ロシア史の課題は「ヨーロッパ化」にあるといってよかった。それゆえロシア史上の多くの問題がここから生じてきた。

困難の多くは、ロシアがヨーロッパの辺境(ないしユーラシア)に位置しながら、歴史の歩みを遅れて開始したことに起因していた。ロシアがヨーロッパに追いつくことは容易でなく、しばしば無理な、あるいは自然に逆らった方式で課題の遂行を行わざるをえなくされたのである。問題をいっそう複雑にしたのは、「ヨーロッパ」そのものがさまざまな問題を抱える存在であったことである。単なる西欧化というわけにはいかなかった。「西欧派」に対する「スラヴ派」の批判はこの点にかかわっていた。少々具体的に考えてみよう。

経済面では、「ロシアは資本主義になれるか」(ロイ・メドヴエージエフ)という問いに端的に言い表されるような諸問題が重要となる。ここには都市、ブルジョアジー、第三身分、市民階級の未成熟、農奴制の長期の存在といった歴史上の諸問題が関係してくる。政治的には、強力すぎる国家と、国民・個人あるいは社会の未成熟という問題に集約されるような諸論点。ここには専制国家、独裁権力の問題を一方の極に、他方の極には、貴族階級の弱体性、というかロシアにおける貴族階級のみならず、市民階級その他の諸身分の独特なあり方の問題がある。

正教会のあり方も、教義など宗教本来の問題は別にして、国家との関係で問われるべき問題性に満ちている。ロシアにおいて正教会が果たしたきわめて大きな役割については、あらためていうまでもない。キリスト教が口シアをヨーロッパ文明の一員としたことの重要性についてはすでに記した。それがロシア人のアイデンティティを形成してきたことはとくに重要である。それは苦難のときに、口シア人に大きな慰めと勇気を与えてきた。その意味で、正教会が新生ロシアとロシア人の行く末に本質的な意味をもっていることに疑問の余地はない。

ただこれまでの正教キリスト教はきわめてロシア的な特徴を帯びていた。すなわち、正教会はそのときどきの世俗権力と良好な関係を築くにとどまらず(それ自体はロシアのみの特徴ではなぃ)、その権力に経済的側面を含め依存する体質から、最後まで脱却できなかった。少なくともそうしようという意識は強くなかったといえる。その意味で宗教問題も強力な国家の問題と密接に関係していた。おそらくこの点に関する、深い反省と思索なしには、宗教活動が自由化されたいの時代においても(あるいはいまの時代だからこそ)、正教会が人々をひきつけ、未来に向かって生きる存在となることはむずかしいようにみえる。

国家のあり方は国民の精神にも大きな影響を及ぼした。国家は貴族階級を支えながら、その経済的存在基盤たる農奴制を存続させ、農民(そして国民)自身が、自発的に労働に従事するインセンティブを見出す可能性を奪うことになった。貴族は農奴を、共同体を介してその領地に緊縛したのである。それはロシア革命後においても、国家が集団農場を介して農民を従属させることを容易にした。農民も、都市の労働者も(大多数が農民出身である)、自ら望んで労働する習慣(勤勉性といってよい)を身につける機会が少なかったのである。そうした体制は、国家が強制的に農民や労働者の労働を搾取する機構・制度により強化されさえした。市場原理を排した社会主義的計画経済は、この点では明らかにマイナスに作用した。

強力な国家の伝統は、国民の文化、思想、言論その他のあり方にも巨大な影響を及ぼした。これについては、それほど説明は要しない。こうしてみると、国家、今日的にいえば民主国家形成の問題は、ロシア史上の基本問題を体現しているといえよう。

国際舞台での強国復活を希求するという課題には、外敵からの侵略、強烈な(時に過剰な)防衛意識の問題が対応する。過剰な防衛努力はとくにロシアのような大国の場合には、諸外国に脅威を与えるのみならず、自国の正常な発展にも好ましくない影響を与える。ヨーロッパに追いつくことは望ましいとしても、追い越すことを望むとき、再び国民に過大な負担と忍耐を強制することにもなる。これらの問題も国家の問題と密接に関連しているのである。

今日のロシアがどこへ向かうかは、もちろん簡単に推測できることではない。ただ以上にふれたロシア史上の基本問題に対しロシア国家の指導部、ロシア国民自体がどう考えるかが決定的に重要となる。

ロシア連邦のエリツィン、プーチン、メドヴェージェフの、これまでの三代の大統領は、自ら強力な指導者であることを志向し、国民の多くもそれを期待しているという。民主化と自由化は権威主義的な政治手法によって推進されているのである。それは先進民主主義諸国の側から疑惑の目でみられることになっている。たしかにそこに問題がないわけではない。しかし、それがロシアの歴史的伝統によるところの大きいことも、またたしかなのである。

伝統を破壊しながら一挙に改革を強行することの悲惨さは、ロシア国民ならずとも多くの人々が十分に理解している。改革は必須である。しかし早急な効果を期待するあまり、暴力的にこれを行うことの愚かさは歴史の教えるところである。おそらくロシア国民がどこへ向かうかという問いには、方向(目的)は定まっている、ただ道(手段)は多様である、と答えるべきであろう。歴史が示す方向は定まっている。道は多様で、どの道を通ってもよい。具体的な道については民主的な方式で辛抱強く見出す努力をするより方法はない。時には過つこともあろう。しかし最も重要なのは、どうしても避けなければならない道を通ってはならないということである。
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