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ハイエク 知識人はなぜ社会主義に魅了されるのか

『社会主義と戦争』より 知識人と社会主義

人びとを知識人の集団へ引き入れる力も、同じ方向に作用するのであり。これほど多数の有能な人びとが社会主義へと傾倒する理由も、その力から理解することができる。知識人のあいだにも、他の人びとの集団と同様に、意見の違いはある。しかし、全体的にみると、知識人のなかでもとりわけ活動的で、知的で、そして独創的な人ほど社会主義に傾倒しがちであり、他方、社会主義の反対派はその能力で劣っていることは確かなようである。このことは、社会主義思想が浸透しはじめた時期にとくに当てはまる。最近でも、知識人の集団の外で社会主義を信奉していることを告白することは、依然として勇気のいることかもしれないが、知識人のあいだでは社会主義への志向が非常に強いので、仲間たちが現代的な見解とみなすものを受けいれるよりも、それに抵抗することの方がより強固な意志と独立心を必要とする。たとえば、多くの大学教員(ここでの観点からは、大学教員の大多数は専門家というよりは知識人と見るべきであろう)を知っている人ならだれでも、優秀で素晴らしい業績を重ねている教員は今日、社会主義者になる傾向があり、他方、保守的な政治的見解の持ち主はしばしば凡庸である、という事実に気づいているはずだ。いうまでもなく、このこと自体が、若い世代が社会主義陣営に加わることになる重要な要因になっている。

もちろん社会主義者にしてみれば、このことは、今日において、知的な人間ほど社会主義者にならざるをえないということの証しにすぎない。しかし、これは必然的なことではないし、もっとも適切な説明でさえない。こうした事態にいたった主な理由は、おそらく、現在の社会秩序を受けいれている有能な人物には、影響力と権力を手に入れる道が多数開かれているのにたいして、現状に失望し不満を抱いている人にとっては、知識人になることが自らの理想を実現するために役立つ影響力と権力をもつためのもっとも有効な方法だからである。概して、非常に優れた能力を備えている保守的傾向の人物が、知的な仕事を選ぶのは(そして、そのことによって、物質的報酬を犠牲にすることを受けいれるのは)、その仕事自体を楽しいと思う時にかぎられる。その結果として、そのような人は、これまで議論してきた意味での知識人ではなく、専門の学者となる可能性が高い。これにたいして、より急進的な考え方の持ち主にとっては、知識人となることは、それ自体が目的ではなく、職業としての知識人が行使する広範な影響力を手に入れる手段なのである。したがって、事実は、より知的な人びとが社会主義者になるというのではなく、優秀な人が社会主義者となると、ほとんどの場合、現代社会の世論に決定的な影響力をもつ知識人になることに専心するということである。

誰が知識人になるかということは、普遍的で抽象的な思想にたいする彼らの強い関心と密接に関連している。知識人の好みに合っているのは、既成の秩序を部分的に改良することを目指す人びとの、より実際的で近視眼的な思考よりも、社会の全面的な再構築の可能性についてあれこれ考えをめぐらせることである。社会を全面的に再構築しようとする社会主義思想が若者を惹きつけるのは、それが夢想的な性質を有しているからである。ユートピア思想に身を委ねるという勇気が社会主義者の力の源になっているわけだ。ところが伝統的な目由主義には、残念ながらこの要素が欠けているのだ。そして、こうした差異は社会主義の方に有利に働く。それは、一般的な原理について思索することが、現代の生活にかんする事実を顧みることがない人びとにとって空想に耽る格好の機会となるからである。さらに、一般的な原理を思索することは、あらゆる社会秩序の合理的な基盤を理解したいというもっともな願望を満たすことになり、また、社会を再構築したいという衝動を現実のものとする機会を与えることにもなるからである。ところが、自由主義は、思想として大成功を収めて以降、こうした機会を提供できなかった。知識人は、その性格からして、細かな技術的な問題や実践的な難問には興味がない。知識人の興味を引くのは大がかりな構想であり、そして、社会の計画化の前提となる、社会秩序の全体像を見渡すような大仰な視点なのである。

知識人の趣向が社会主義者の思索によってより満足させられてきたという事実は、自由主義の潮流にとって致命的なものであった。自由主義の思想家たちは、ひとたび自由主義の綱領にもとづく要望が満たされたと考えるや、細かな問題に関心を転じて、自由主義の哲学を発展させるということを疎かにしてしまいがちであった。その結果、自由主義の哲学は一般的な思索の対象、精力的に検討されるべき問題ではなくなったのである。そうして、過去半世紀以上のあいだ、社会発展のための明示的な綱領、つまり、目標とすべき将来の社会像、そしてこの問題にかんする判断を導く一連の一般的理念を提示してきたのは社会主義者だけであった。私の意見では、社会主義者の理念は矛盾を内包し、それを実現しようとすれば、予期したものとはまったく異なる結果となるだろう。しかし、たとえそうであったとしても、社会主義者の社会変革にむけた綱領が、社会制度の発展にたいして実際に影響を与えた唯一の指針であったという事実は変わらない。社会主義者が知識人の想像力をかきたてることに成功してきたのは、その綱領が、多くの人びとが受けいれる社会政策にかんする唯一の一般哲学となり、新たな問題を提起し新たな地平を切りひらく唯一の体系あるいは理論となったからである。

この時期の社会発展は事実上、相反する理念間の対抗によってではなく、現実の社会状況と、公衆にたいして社会主義者だけが提示してきた未来社会の理想像との明らかな違いによって導かれてきた。社会主義者による綱領以外のものは、代替案とはなりえなかった。それは、その多くが、もっと極端なタイプの社会主義と既成秩序とを中途半端に妥協させたものにすぎなかったからである。真実はつねに両極端の中間にあると考える「賢明」な人びとに社会主義的提案を納得させるためには、よりいっそう極端な提案をだれかが行なうだけで充分であった。〔そうした状況では〕われわれが進むべき方向はただ一つしかないように考えられ、残された問題は、その道をいかにして速く、そしてどれほど遠くまで進むべきなのか、ということだけであると思われたのである。
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