未唯への手紙

未唯への手紙

未唯空間の自分編

2011年06月09日 | 1.私
未唯へ

 通勤途中のサイゼリアの棚に朝顔が咲いています。薄いピンクです。

未唯空間の自分編

 未唯空間の自分編がベースです。自分編がある限りは、他人には分からないでしょう。私の根底は人とのコミュニケーションを信じていない。

 だから、未唯への手紙というブログがあるけど、自分編を抜かしては理解できない。それは原点だから、どうしようもない。だから、未唯空間の最初に持って来たのかもしれない。

 最後に残るのも、自分編です。これは真理そのものです。対象<認識そのものです。皆、他人がそこに居ると信じています。哲学者以外は疑いもしません。それで苦しめられている。哲学者があれだけ警告しているのに、そこに居るとは限らない。その証明ができていない。これは神がいるかどうかと同じレベルです。

 信じるのはことが目的になっている。間違ったことを信じています。神もそうですけど、信じることで救われるのです。誤魔化されることで、救われるのです。心の拠り所という甘えです。その依存が弊害を生み出します。数学でいうところの第一証明が狂っているのです。

 だから、存在と無から始めないといけないのに、考えていない。仕事にしても、社会にしても、歴史にしても、答を見つけられないのです。

 自分編を考えると、全てが小さくなってしまう。仕事でも、人間関係でも。

信じる根拠

 自分が生んだ子とかいう幻想だけで、信じる論拠になりません。親子の関係をそのように冷静に見たのは、池田晶子さんだけです。そこから「宇宙の旅人」は生まれた。

ディスクリートの関係

 どう見ても、ネアンデルタール人と自分との関係は分からない。そのまま、進化してきたのであれば、進化の過程のDNAを自分を感じると同時に、将来のDNAを感じるはずです。

 だから、ディスクリート(離散)です。突然、生まれたとしか思えない。そして、突然、死んでいくとしか思えません。空間認識は私がいるから、出来ているだけです。

お棺の中に横たわる人

 名古屋でお腹が出て、偉そうな人を見ると、お棺の中で、横たわっている姿が頭に浮かびます。なんという不格好なんだ。これは名古屋に異動した時からの感覚です。

土日はスタバで入力

 今日で、インスピレーション側を片付けて、金・土・日の体制に備えます。未唯空間の整理です。本からの圧迫がありません。

 土日はスタバにパソコンを持ち込みます。バックヤードとしての図書館は図書整理なので、閉まっているので、スタバを渡り歩きます。

徳島のアピール対応

 徳島のアピールの結果をSと立ち話です。事務局からの報告書を見せてもらってけど、とりあえず、聞きましたというレベルです。

 だけど、重役が調整役として、出て来ているみたいです。どこまでまとまるかです。

 多分、電算部は意思表示せずに、プラスαでいくのでしょう。そう変えられるものではない。仕組みを2,3年でできるものではない。

 ネットワークはこのスピードの展開でいいのか? 販売店の体質を変えるために、時間は必要です。組織だった動きをしないので、偶然を待ちます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿