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アメリカ政治講義 メディア

『アメリカ政治講義』より メディア

メディアの発展

 政治社会と統治機構を媒介する存在として重要な意味を持っているのがメディアです。メディアが情報の流通などの点で大きな役割を果たしているのはいうまでもないことです。

 昔はメディアの中心は新聞でしたが、それ以降ラジオ、テレビ、インターネットという形でメディアの領域が拡大していき、中心的なメディアも時代によって変わってきました。

 一九世紀末から二〇世紀初頭はイエロージャーナリズムの時代とも呼ばれ、扇情的な大衆新聞が重要な意味を持っていました。各政党が自分たちの立場を強調するための新聞を作るのも一般的でした。二〇世紀初頭には、文筆によって社会改革を目指そうとするマックレーカーズと呼ばれる人々も活発に活動しました。

 二〇世紀の前半はラジオが発達しました。フランクリン・ローズヴェルト大統領が大恐慌を克服すべくニューディール政策を実施している際に、ラジオを使って炉辺談話と呼ばれる国民に対する直接的な働きかけをしたことが知られています。

 二〇世紀後半に重要な意味を持ったのはテレビでした。テレビの影響力が象徴的な形で現れた例が一九六〇年の大統領選挙です。ジョン・F・ケネディが民主党の、リチャード・ニクソンが共和党の候補でした。大統領選挙前の討論会をラジオで聞いた人はニクソンが優勢だと感じ、逆にテレビでみた人はケネディが優勢だと感じたといわれています。音声だけで判断した人はニクソンの方が聡明で信頼に足ると考えたのですが、テレビでみていた人たちには、ケネディが堂々としているのに対し、ニクソンは挙動不審にみえたといわれます。ケネディは格好いいという評判がありましたが、メイクをしてくるなど、テレビを意識して対策を練ってきたのです。

 今日ではそれに加えてインターネットが重要な役割を果たすようになってきています。このようにメディアが発達することで、政治のあり方がどのように変わってきたのかを考えることが重要な意味を持つと思います。

メディアのバイアス

 次に、政治をみる上でメディアをどのように位置づけ、評価するかが問題になります。メディアを客観的、中立的な組織と考えることはおそらくできません。メディアは民意を代表していると玉張しますが、実際には大半のメディアは営利団体なので、新聞の場合は購読者数を増やす、テレビの場合は視聴率を高める必要があります。

 そのため、人々の耳目を集める情報を優先的に報道しようとする傾向が表れ、それに伴ってバイアスが発生してしまいます。しばしば、犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになるといわれます。メディアが注目を集めやすい現象を積極的に取り上げる傾向があることで、政治に関する報道の仕方に独特の傾向が表れ、人々の政治に対する認識や、政治家がメディアを活用しようとする際の戦略にも大きな影響が及びます。

 例えば、メディアはよいニュースよりも悪いニュースを取り上げる傾向が強くなります。今日も政治家と役人が朝から晩まで真面目に働きましたというのではニュースにはなりませんが、政治家や役人が失敗した時はニュースになります。同様に、日常的な行政活動はあまりニュースになりませんが、偶発的な事故や政治変動は大きなニュースになる傾向があります。

 また、政策の内容よりも党派対立の方が報道されやすくなります。政策の詳細について紹介するのは限られた時間の中では困難ですし、多くの国民は詳細については関心を持たない可能性もあります。そうなると政策の内容を扱うよりも、民主党と共和党が二のような対立をして、今どちらの政党の方が優勢だというような形で、党派対立に還元して紹介した方が視聴率を稼ぎやすいといえます。選挙についての報道でも、政策内容を扱う報道よりも、競馬のような感じで党派対立を取り上げる報道が増加しているのです。

 メディアの報道は特定の個人に集中する傾向もあります。四三五人の連邦議会下院議員全員を全て同じように報道するのは不可能なので、一部の連邦議会指導部や、一人しかいない大統領に注目した方が取材もしやすいといえます。これは、大統領のような目立つ人にとっては諸刃の剣で、何かに成功すれば多く報道してもらえるので好ましいといえますが、失敗すると集中砲火を浴びます。また、注目を集めたいと思っている人たちはメディアで取り上げてもらうために、大統領や議会指導部の悪口を言おうとする傾向が出てきます。このように、メディアの報道のおり方に基づいて政治家の行動が変わってしまうのです。

メディアが政治を変える

 メディアが政治で大きな役割を果たす様になった背景には、政党の地方組織が弱体化したことかあります。その結果、政治家がメディアに依存する度合いが高まったのです。メディアが政治活動の中心になると、メディアの特性に合った行動をとることのできる政治家が優位になります。

 例えば、テレビなどのメディアを使うことで、ワンフレーズ・ポリティクスと呼ばれる現象がみられるようになります。討論番組などでは政治家も比較的長い時間をかけて議論することができますが、メディアはその中の印象的な部分を編集して、通常のニュース番組で流そうとすることがあります。ニュース番組で映像を流そうとすると、長くても一五秒ほどしか使えないことを考えると、メディアヘの露出を増やLたいと考える政治家は短く象徴的なフレーズを使うようになります。その結果、討論番組に際しても、政策論争よりも象徴的なイメージ戦略が重視されるようになってしまいます。

 また、いわゆるネガティヴキャンペーンもしばしば用いられるようになります。自分のよいところを強調するよりも、他人の問題点や失敗を強調する傾向が強くなってしまうつです。心理学の研究でも、肯定的な情報を伝えるよりも否定的な情報を流した方が記憶に残りやすいことが明らかになっています。そのような選挙戦略をとろうとする人が出てくる結果として、スキャンダルなどが頻繁に取り上げられるようになるのです。

 さらに、メディアが選挙の中心になると、選挙資金が増大する傾向があります。テレビ広告を流すには多額の費用が必要になり、資金力のある政治家が有利になります。資金力に乏しい候補は、メディアを活用するためには、資金力のある人や団体に頼らなければなりません。特定の献金者に頼ることになるのか、利益集団に依存することになるのか、政党本部の資金に依存することになるのかは状況によって変わりますが、いずれにせよ資金力のある人や団体の影響力が大きくなることには違いありません。

 ちなみに、インターネットは非常にお金がかかるメディアです。日本ではインターネットを使った選挙は金がかからないとしばしばいわれますが、その根拠は薄弱です。インターネットで候補者の悪口を書かれることがしばしばありますが、それを即座に発見し、その情報を否定したり、その印象を薄めたりしなければなりません。そのような作業を専門的に行う人員も必要になりますし、それに特化した特別なソフトウェアも購入しなければならないなど、実際にはかなりお金がかかります。

政治社会の分極化とメディア

 近年のアメリカ政治では分極化の傾向が強まっていますが、それとメディアはどのように関係しているのでしょうか。

 メディアはしばしば不偏不党、客観報道を原則として掲げる傾向があります。また、メディアこそが国民全体の集合知を作り出すのだという議論がなされることもあります。しかし、この考え方は近年ではかなり怪しくなっています。

 アメリカの場合は、保守系のメディア、例えばFOXニュースやトークラジオがこの前提を覆してしまいました。伝統的なCNNなどのメディアは、特定の党派に有利な情報になる可能性がある見解を紹介した場合には、反対意見も必ず紹介します。また、民主党と共和党の政治家が話す時間が同じになるょうに配慮します。報道番組は不偏不党や客観報道という原則を重視しなければいけません。しかし、FOXなどは報道番組ではなく、オピニオン番組、要するに出演した人が自由に意見を表明したり議論したりする番組を中心に流しています。オピニオン番組を作る時はそのような配慮をする必要がありません。

 このように、政治的中立性に配慮しない番組を保守系メディアが作るようになったのを受けて、リベラル系のメディアも同様の番組作りをするようになりました。その結果、メディアの世界も分極化するようになりました。そして、これが視聴者の見解の偏りを生み出すようになっています。近年のアメリカでは、国民が、自分たちの立場に似たニュースしかみなくなるという、選択的接触と呼ばれる現象がみられるようになっています。リベラル派はMSNBCを観て、保守派はFOXを観るのです。

 その背景としては、一九八〇年代以降にケーブルテレビが発達することによって多チャンネル化が進行し、多様なメディアが自分たちの特徴を前面に出そうとするようになったことがあります。客観報道を中軸に据えたままで特徴を出すのは容易ではないため、各メディアはメッセージ性を出すことで特徴を示そうとします。その結果、保守的な色彩を前面に押し出そうとするメディアと、リベラルなカラーを前面に押し出すメディアがそれぞれ出てくるようになる中で、有権者は自分と似たスタンスに立つメディアを心地良いと思うようになっています。

 インターネット・メディアが九〇年代後半以降に発達するようになると、選択的接触の傾向はより顕著になっています。SNS、中でもフェイスブックは注目されています。スティーブン・バノンというトランプの参謀を務めていた人は、選挙戦はフェイスブックが主戦場だといっています。フェイスブックでは「いいね」を押すと、似た情報がどんどん表示されるようになります。近年、テレビやラジオではなくSNSを主な情報源としている人が増えていますが、フェイスブックでニュースを確認する人が増えていくと、自分が「いいね」を押したのと政治的傾向が似たニュース、ある意味、偏見を共有する情報ばかりに接触するという事態が発生してしまいます。

 このメカニズムを利用し、悪用することは、当然ながら可能です。例えば、二〇一六年の大統領選挙の際には、ロシアがフェイスブックを使って、民主党候補のヒラリー・クリントンにとって不利になる情報を積極的に流し、反クリントンの雰囲気を作ろうとしていたのではないかともいわれています。

メディアと統治

 最後に、選挙で当選した政治家がメディアを統治にどのように利用し、影響を与えるのかについても、簡単に検討します。

 政治家は、メディアをどのように活用するかについて、かなり気を配っています。日本の首相は毎日のようにぶら下がり取材を受けますが、これは世界的にみると稀で、アメリカ大統領がメディアから直接取材を受ける機会はさほどありません。通例は大統領ではなく、報道官が対応することになっています。

 近年のアメリカでは、政権のみならず、有力政治家もメディア対策のスタッフを抱えています。メディア対策のスタッフはかなり多くの仕事をしていて、選挙の時から統治に至るまで、様々な助言をしています。アメリカでは、人種やジェンダー、社会階層、年齢など、様々な層に特化した聞き取り調査を政党や政治家のスタッフも含めて行っていますが、その内容を踏まえて、心理学を学んだメディア対策のスタッフが、言葉の選び方や身振り、スーツやネクタイの色なども含めて助言しているのです。日本でも最近ではそのようなことは増えてきていますが、全く規模が違います。

 インターネットについていえば、インターネットは他者を攻撃する上では非常に有効なツールだといわれていますが、統治を行う上では使いにくいといわれています。テレビなどとは違ってインターネットでは、みたい情報しかみてもらえないことが多くなります。特定の政治家のことを嫌っている人たちは、その政治家を批判するメッセージならばみてくれるので、その人を攻撃する上ではインターネットは非常に有効です。しかし、批判の対象となっている政治家が誤解を解こうと説明をしても、大半の人はみてくれません。

 また、統治に責任を持つ人々が、ある政策を実施するには有権者に税負担をしてもらう必要があるというような情報をインター不ットに上げたとしても、大半の人はその全体をみてくれるわけではありません。その一方で、あの政治家は人々に負担を押し付ける増税の提案をしているというような、短い批判的なメッセージの方が注目を集めやすいのです。そして、実際に増税の提案がなされたりすると、それに不満を感じる人々は、説明が足りないなどと不満を述べたりするのです。

 インターネットが政治において果たす役割は、今後ますます大きくなっていくと思われます。しかし、それは現職政治家にとっては難しい時代が来ることを意味します。政治を適切に行う上でインターネットをどのように使えばよいのかは、非常に難しい問題だといえます。

 メディアの発達は日進月歩で、近年では大統領選挙ごとに新たなメディア戦略が開発されています。今後メディアと政治の関わりも常に変わっていくでしょうが、政治を分析する場合にも、以上述べたような世論やメディアの限界をしっかりと自覚しておく必要があります。
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