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ナチスヘの道

『世界を変えた哲学者たち』より ハイデガー--ナチスにみた夢の幻

●若者の革命

 それともうひとつ、ナチスは伝統的な右翼ではない。たんなる右翼ではない。

 ドイツの伝統的な保守・右翼は(貴族など)名門一族による国家支配を当然と考える。由緒正しい身分の人間による支配である。

 名門による権威が強調され、年下のものは年上の人間を尊重し服従する。だからどうしても老人支配の傾向も強くなる。ヒトラーやハイデガーのような下層階級出身の人間は支配集団からはずされ、肉体労働は軽蔑の対象とされる。ドイツの帝政時代の貴族支配が伝統右翼の理想である。第一次世界大戦以前のドイツではこうした名門による支配がおこなわれていた。

 ナチスはこうした権威とは別の世界から出現する。ナチスは貴族的な支配階級を信用しない。民衆の下からの大衆運動によってドイツ社会を革命する、これがその目標である。伝統的な保守は肉体労働を軽蔑するエリート貴族の支配であり、老人の支配なのである。「老人どもによる支配を粉砕せよ!」これがナチス運動にエネルギーを供給するのだ。

 ナチスの幹部はみな若かった。ナチスが権力を握ったのは一九三三年であるが、そのときヒトラーは四十四歳、親衛隊隊長・ヒムラーは三十二歳、ナチスの天才的な扇動家・ゲッペルスは三十五歳、ゲーリングは四十歳である。

 年齢構成的には、ナチスの党員には二十歳代の青年が多かった。だからナチス革命は「若者の革命」と呼ばれることもある。ワイマール共和国の指導者たちは、これとは対照的に、みな高齢の老人たちであった。

 名門の老人たちによる支配をおわらせ、労働と自然を賛美し、西欧の技術文明を乗り超える民族共同体をつくる、というナチス社会革命の夢、ハイデガーだけではなく、多くの知識人たちもこれに引き寄せられたのである。
●行動主義

 もうひとつ人びとがナチスに引きつけられたものがある。

 行動主義である。

 ナチスの思想というのは単純なものである。簡単に言えば、「ドイツ民族は優秀だ!」これでおしまいである。そう一貫した思想や哲学があるわけではない。この点ではマルクス主義の方がはるかに洗練されている。

 しかしナチスの行動は早い。議論に余計な時間は使わない。指導者が決断し、決定を下すと、それがただちに行動に移される。

 「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとりの指導者」、これがナチスのモトーである。

 ワイマール共和国は民主主義の国家であった。民主主義は時間がかかる。それに政党間の妥協と取引でものごとが決まるから、どのように魅力的な政策であっても、交渉の過程で薄められ、ごく凡庸なものとなってしまう。面倒なものごとは先送りされ、責任をとるものは誰もいない。

 そして民主主義の政治では本当の交渉は舞台裏でなされる。手練手管に秀でた政財界のボスたち、老人たちが舞台裏を仕切ることになるだろう。下々の者たち、若者たちには出番はない。

 民主主義の政治が優柔不断と先送りと取引の政治を意味するとすれば、それにくらべると独裁はときとして純粋なものとみえる。不満をもった人びとは「なにかの希望」のために戦おうとするのであって、民主主義それ自体のために戦うわけではない。

 民主主義の政治ではできないこと、先送りされてしまうようなこと、それを行動主義がごくあっさりと実現するとすれば、民主主義にこだわる理由などどこにもない、人びとはそう考えた。

●決断主義

 ナチスは決断主義であるといわれる。

 「決断する」とはどういうことか?

 「決断する」とは、議論をどこかで停止することである。議論がつくされたわけではないかもしれない。いや、「議論がつくされた」といえるときは永遠にこないであろう。いつだって、「いや、まだまだ」と苦情をいう人びとがいるものである。

 そして決断とはなにが正解であるか、それがよく分からないときになされるものである。正解が単純で明快なものであれば決断の必要はないわけである。そして政治の問題とはすべてなにが正解であるのかよく分からないものである。

 そういうわけで、ナチスは決断する、ひとりの指導者が決断する、その決断を人びとは無条件に受け入れる、そして行動する。これがナチスに特有のスタイルとなる。政治家たちの煮え切らない議論に飽きた人びとはこれを歓迎したのである。
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