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城下町都市 富山、郡上八幡

『城下町都市』より

富山

 公共交通軸による多核型コンパクトシティの実現

  明治期の鉄道駅の設置によって旧城郭が市街地の中心に立地することとなった富山市では、駅と官庁街、城址公園、中心街などを、公共交通軸で連結させる多核型コンパクトシティの実現をめざしている。

 城下町のデザイン

  河川の蛇行を利用した城下町の立地城下町富山の起源は、16世紀半ばまでさかのぼるが、本格的な城下町の建設は、1579(天正7)年の佐々成政の入城によって始められた。さらに1661(万治4)年以降には、前田家によって10万石の城下町としての改修・再編が行われた。

  富山城は蛇行する神通川の南側に築城され、北側は神通川によって防御されていた。城下町は城の南および東側に配置され、武家地は城を三方から囲むかたちで整備された。南側の市街地には北陸街道が引き込まれ、街道沿いには町人地が形成されている。また、北陸街道と直行する飛騨街道が南側に延びている。

 近現代の変容

  河川改修による旧市街地と駅前地区の連結神通川の直線化によってできた中州に、旧城下域から離れて鉄道駅が開設された。その後、旧河道敷が市街地化し、駅前の新市街地と旧城下が連続した。郭内にあった官公庁は旧河道に移転し、商業地区は南側の|日町人地と駅前地区が並立している。鉄道駅が城郭を挟んで旧町人地と反対側に開設されたことによって、駅一官庁街一城址公園-旧町人地が南北に連なる固有の都市構造を構成している。また戦災復興事業によってグリッド状の骨格道路が整備され、近代都市として生まれ変わった。

 近現代のまちづくり 拠点性の強化と公共交通機関による連結

  富山市は、旧城郭が駅と中心商業地区の間にあり、鉄道駅一官庁街一城址公園一中心街がコンパクトに立地している。2007年には、新中心市街地活性化基本計画の第1号認定を受け、都市構造を活かしたコンパクトシティの実現をめざしている。

  同市では、まず駅前地区において再開発事業などによる都市機能の強化が図られ、江戸期以来の中心街では、再開発事業と商古街活性化事業が連動して実施された。その後の中活事業では、中心街での賑わいの朗出を意図した事業などが継続され、さらに、既存路面電車の環状線化やコミュニティバスの運行などにより、拠点間や郊外三の連結を強化している。

郡上八幡

 白然環境を積極的に取り入れた都市設計

  郡上踊りで有名な郡上八幡は、清流長良川の上流部に位置する小城下町である。

  地形の制約を受けたこともあって、コンパクトな市街地が形成され、豊富な水資源を生かしたまちづくりが展開されている。

 城下町のデザイン 周辺の山々に向かう景観軸と城郭への眺望

  郡上八幡は、長良川の上流部に位置し、周辺を山々に囲まれた谷間に立地する山城の城下町である。稲葉流ともいわれた城づくりの名人である稲葉貞道により、八幡城の大改造および城下町の町割りがなされた。

  地形の制約を大きく受けている城下町郡上八幡は一見すると、地形に沿って都市の骨格が決定されているように見受けられるが、それだけではなく、山当てやモデュールを駆使した周到な都市デザイン手法が見られる。街道は地形に沿って通っているが、ところどころで折れ曲がっており、それぞれの屈曲点ではその延長上に周辺の山々の山頂や天守が見えるようにデザインされている。また、天守を中心とした20間の整数倍を半径とする同心円上に主要な基準点がおかれている。町割りは自然地形に対応しつつも、40間(20間×2)のモデュールを基になされている。近現代の変容 立地条件などによる都市形態の保全谷平野に発達した城下町郡上八幡は、吉田川の南岸と小駄良川の東岸にT字型の町割りがなされた。国道156号線、鉄道は長良川沿いを通り、駅も離れて設けられた。そのため、城下町の町割りは現在でもそのまま継承されており、町並みは城下町の雰囲気を色濃く残している。地形の制約もあって、市街地の拡大はほとんどみられないが、西端のグリッド状の区画は、近代に整備されたまちである。市街地のこれ以上の拡大はないと思われる。

 近現代のまちづくり 水辺空間・歩行者空間・歴史的町並みの保全による歴史まちづくりへ

  豊富な水源を有している郡上八幡では、歴史的に階層的な水利用がされており、現在でもまちのあちこちで生活の場としての水辺空間を見ることができる。飲料水・生活用水として利用されている「宗祗水」や「水舟」、3つの美術館が集積している「やなか水のこみち」、生活空間としての「いがわこみち」など、多種多様で生活感溢れる皆既的な水辺空間が点在している。

  歴史的な町並みについては、1919年の北町の大火により、吉田川の北側の北町はほぼ全焼したものの、その後に建てられた町家群による町並みの一部が2012年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。また、建物や敷地の修景について住民による自主的なルールを定めた「まちなみづくり町民協定」が2002年に定められた。

  城下町のエリアの大部分の道路には脱色アスファルト舗装が施され、町並み景観向上を図っている。城下町のエリアを南北に縦断していた都市計画道路を平成15年に廃止し、城下町のエリアを囲むような外周道路を都市計画道路としている。

  近年、増加しつつある空き家については、一般財団法人郡上八幡産業振興公社が空き家を買い取って飲食物販・環境学習の場・観光案内所・体験教室などの場として活用したり、民間でもゲストハウスやシェアハウスとして活用される動きがみられつつある。

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