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「自分が存在しなくなることの虚無感」が襲ってきた

未唯へ。元気ですか。私は例のトラウマがまた来ています。

朝、バス停に向かって歩きながら、「銀河系のなかの地球」を考えていたら、「自分が存在しなくなることの虚無感」が襲ってきた。これが始まると、全てが無力になる。何もできないけど、考えようということで、とりあえず、叫び出したい自分を抑えた。

この「考え」が出た時には、全てが無力になる。まず、人が見えなくなる。皆はこの感覚がないのか、ないなら、私とは別モノだし、あっても表に出さないなら、信じられないモノです。次に、組織が見えなくなります。宇宙全体を占めている私の心に対して、それはあまりにもちっぽけなものです。最後に自分が見えなくなります。自分の体、外から見る自分と内なる自分のコントロールができなくなります。

そういう時に、本当は便利な道具は「神」なんでしょう。彼を信じれば、大きなものの存在を信じれば、とりあえずは落ち着きます。日常生活からコントロールされて、仲間を信じて、余分なものは求めないイスラム教はいいところをついていると思います。だけど、デカルトのように、論理的に信じることはできません。

だから、その「考え」が出た時には、身体は宙を舞っているけど、ひたすら忘れるようにしています。この最近は「我々は宇宙の旅人」という呪文を唱えるようにしています。

そんな日に、部長との懇談会というものがありました。本を読む貴重な時間に弁当を食べながらの懇談会だそうです。何を言いたいのかまるで分からなかった。皆は当り障りのないテーマを上げて、昔ながらのコミュニケーション手法で、時間を潰していた。

私の「販売店システムのインフラの先がわからない」というテーマは無視されました。部長として、メーカーの代表として、販売店に対する最大のテーマだと私は思いますけど。

それ以前に、私の名前を覚えていない感じです。いつも3m以内に座っているのに、販売店インフラには興味がない。知っているのは、タバコ部屋の常連だけです。

今は、One of themの会議は避けています。それは発案者のために行う会議であり、私にとってはムダです。大学の時、SIK教授も同じことを言っていた。その生き方が好きだった。ムダなものはムダです。それを決めるのは、自分自身です。こんな「考え」の日に、ちっぽけなことを言わないでください。
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