一昨日8日の梶原前岐阜県知事の県庁での会見のテレビを見た県民の怒りは確実に高まった。
昨日話した県内の20才代の若者、投票は一度も行ったことがないといいつつ、「新聞は読んでいる。あの裏金はひどい。でも、ああいう政治家を選んだ県民の責任もあると思う。今度から、選挙は投票に行く」と。奇しくも、彼の政治意識は、確実に高まった。
ところで、梶原前知事は、「記憶にない」という言葉使ったらしい。政治家や行政マンの「記憶にない」という言葉は、限りなく「知っている」という意味だということは、誰もがわかっている慣用句。
梶原氏は、7日に県の検討委員会の聴取を受け、8日に県庁で会見。9日からは私用でアフリカ方面に10日ほど出かけるという。今頃は、どこ??
(昨日、追加投稿すると書きましたが、午後から急用で出張・外泊。予定が変わってすみません。その前に岐阜市内で、県のある件の公文書をDテレビに2日だけ資料提供。今は10日の午前6時。今日は、朝のうちに戻って、東京から来たテレビ3チームの取材に協力予定)
8日の夕刊から。
岐阜新聞は、「梶原氏は取材に対し『裏金づくりをしていたことは聞いていなかった。組合に移し替えるということについて協議して決めたという事実も、記憶にない』」。抗議電話、メール殺到 5日間で1000件 ともある(なお、岐阜県の人口は約200万人。名古屋市と同じ位)
中日新聞は、「梶原氏は、県庁での裏金づくりについて『89年の知事就任当時は、国や自治体を通じた半ば公然の秘密だった。』」。
朝日新聞は、「知事に就任した当時には裏金の存在を承知していた」。
まずは、古田現知事の8日の定例会見の様子からどうぞ。29分の放送という。
● 8月8日(火)知事記者会見
•岐阜県庁(岐阜市)
•【全編】知事記者会見(29分28秒)
•知事発表事項
「岐阜県産業廃棄物処理施設整備検討委員会」について
「不適正資金問題にかかる資金調査チームによる調査結果報告」を受けての所感について
•記者からの質問
不適正資金問題について
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● 8日岐阜新聞
梶原前知事、裏金関与を否定
県の裏金問題で、梶原拓前知事が八日、県庁で記者会見し、全庁的な裏金の存在や、裏金の存在が発覚するのを避けるため、一九九八(平成十)年度から、当時の副知事をトップとする県幹部の指示で組合に裏金を移し替えたことについては「一切知らなかった」と、裏金問題について自らの関与を完全に否定した。その上で「当時のトップとして結果責任は免れない。県民に深くおわび申し上げたい」と陳謝した。
一九九〇年代半ばまで、県庁組織のほぼ全体で慣行的に行われていたとされる裏金の存在について、梶原氏は「どこに、どういう裏金があって、どう処理されたか聞いていない」と述べ、「裏金問題についてやましいことは一切ない」と強調し、自らの関与を完全否定した。
梶原氏はこれまでも、県調査チームの聞き取り調査に対し「関知していなかった。知っていればきちんと処理できた」としていた。
一九九八年度当時、副知事として組合への移し替えを指示したとされる森元恒雄氏(現参院議員)は七日、岐阜新聞社の取材に対し、裏金の存在が表面化することで、当時知事だった梶原氏に対する批判や庁内に混乱が生じることを懸念し、組合への移し替えを了承したことを認めた。
森元氏によると、当時は全国的に裏金が問題化した時期で、県の裏金の有無について調査・公表するかどうか梶原氏と相談した結果、しばらく様子を見ることで梶原氏の了解を得たという。
しかし、森元氏が七日に公表した「県裏金プール問題について」とする文書の中で「知事の了解もいただいていた」「知事を含む幹部職員が裏金づくりやその存在を知らなかったとは客観的に見ても言えない状況」と当時を振り返り、梶原氏が裏金の存在を知っていたとも受け取れる内容を記していたことについて、梶原氏は「昨晩、森元さんに誤解を招く文書だと電話で伝えた」とした上で「(調査の結果)これだけの裏金があったのであれば、その時にオープンにして処理すべきだった」と話したところ、森元氏も「そうでした」と答えたという。
梶原氏は七日、弁護士三人による第三者検討委員会の聞き取り調査を受けた。九日から海外旅行で十日間不在になるため、当時の経緯を説明したいとして、県政記者クラブに記者会見を申し入れた。
元副知事、裏金移し替え了承
県の裏金問題で、一九九八(平成十)年度当時、副知事として県職員組合への裏金の移し替えを指示したとされる森元恒雄氏(現参院議員)が七日、岐阜新聞社の取材に対し「組合への移し替えという案を聞き、無難だと思った」と語り、裏金の存在が発覚することによって、当時の梶原拓知事に対する批判や、庁内に混乱が起きることを懸念し、組合への移し替えを了承したことを認めた。一方、梶原氏は同日、岐阜新聞社の取材に対し、裏金の存在について「聞いていなかった」とし、組合への移し替えについてもあらためて関与を否定した。
森元氏によると、当時は全国的に裏金が問題になってきた時期で、県は裏金の有無について調査・公表するかどうかを梶原氏と相談した結果、しばらく様子を見ることにしたという。
しかしその後、組合に裏金を移し替えた理由について、森元氏は「庁内の混乱や知事への批判を回避するためだった」と強調。組合で管理した理由について「当面の措置のつもりであり、第三者的なところ(組合)の方が厳格に管理され、表面化しても批判は少ないと考えた」と話した。
梶原氏に裏金の存在を伝えたかどうか、処理について具体的な指示を受けたかどうかについては「記憶にない」と答えた。
森元氏は同日、「県裏金プール問題について」とする文書を県政記者クラブに送付。当時の経緯について「知事を含む幹部職員が裏金づくりやその存在を知らなかったとは客観的に見ても言えない状況であり、そのような中で急いで総点検を行い、実態公表を行えば、知事への批判などが生じ、県庁全体が混乱することが懸念された」とし、しばらく事態の推移を見守ることにし、梶原氏も了解したという。組合での管理については「あくまで一時的な措置で、時期を見て県に返還させることにしていたが、私自身、岐阜から(国に)帰任することになり、その後の処理に関与することができなくなった」とした。森元氏は旧自治省(総務省)出身で、九六年三月から九九年七月まで、副知事を務めた。
一方、梶原氏は取材に対し「裏金づくりをしていたことは聞いていなかった。組合に移し替えるということについて協議して決めたという事実も、記憶にない」とし、森元氏の話を否定している。
抗議電話、メール殺到 5日間で1000件
県の裏金問題で、県による内部調査結果が公表された三日から七日(午後四時現在)までに、県民からの抗議の電話、メールなどが県行政改革課に千件近く寄せられている。同課以外の部署にも同様の抗議が届いており、県民の手厳しい非難の声が相次いでいる。
県行政改革課によると、同課には三日以降、四百三十件もの抗議の電話が入っている。「税金はもう払わない」「お金を燃やしたなんてとんでもない。お金がなくて苦しんでいる人になぜ使わなかったのか」など怒りの声が多い。職員十五人が対応し、内容をすべて県調査チームに報告しているという。電話以外にも、メールやファクスなどの書面で五百二十二件の抗議が届いている。
また、岐阜新聞社が五日に開設した同問題に関するメールアドレスにも、県民から多数の意見が寄せられている。「私たちは少ない収入で一生懸命頑張っているのに悔しい」「(裏金が)完全に返還され、職員の謝罪や処分などがされるまでは風化させてはいけない」など、県政に対する県民の不信感の高まりがうかがえる。
● 岐阜・梶原前知事、裏金認識 組合移管関与は否定 8日中日夕刊
岐阜県庁の裏金問題で、梶原拓前知事は8日、県庁で記者会見し、1989年の知事就任時に裏金が存在していたとの認識があったと初めて認めた。しかし、県職員組合管理口座への移し替えについての関与は否定した。今回の問題を「やましいことは一切していない」と述べる一方、「痛恨の極みだ。トップとして全責任を負う」と語り、今後、県への返還措置が出てきた場合などには協力する意向を示した。
今回の問題で、梶原氏が会見するのは初めて。
梶原氏は、県庁での裏金づくりについて「89年の知事就任当時は、国や自治体を通じた半ば公然の秘密だった。それだけにその改革に取り組んだ」と説明。その後も「どこにどのような裏金があったかは承知していないが、例外として潜在的に裏金が残っているのではないかという気持ちはあった」と語り、裏金問題が完全に解消されたとは認識していなかったとした。
94年度当時、約4億6600万円に上る裏金の存在や、組合管理口座への移管は「関知していない」と否定。当時の副知事、森元恒雄氏(現参院議員)が、裏金に関する調査をしないと判断したことについて「梶原氏も了解していた」と7日にコメントしたことについても「当時、森元氏も裏金の存在を知らない段階でのことで(裏金の存在を)了承したことはあり得ない」と語った。
今後は「裏金が使われてしまった分もある。県職員や(当時の)在職者の責任で負っていくのは当然。率先して対応する」とし、返還措置には全面的に協力するとした。
県調査チームによると、94年度当時、県全体で多額の裏金づくりが行われ、森元氏が裏金処理を指示し、県幹部らが相談し99年1月以降、組合管理の口座への移し替えが始まったとされる。裏金の一部は使われたり、焼かれたりしたことが分かっている。
梶原氏は、建設省都市局長、岐阜県副知事などを経て89年1月の知事選で初当選。その後、4期16年、知事を務め、2005年2月に知事を退任した。
● 「就任当時から裏金作り認識」 岐阜県前知事が会見 朝日 2006年08月08日13時44分
岐阜県で組織ぐるみの裏金が作られ、県職員組合の口座に隠されていた問題で、梶原拓前知事(72)が8日、県庁で記者会見し、「知事就任当時、公然の秘密だった裏金作りは十分承知していた」と述べ、89年の知事就任時に裏金の存在を認識していたことを認めた。しかし、4億円を超える規模になっていたことは知らなかったとし、これらを組合口座に移すよう指示するなど具体的な関与については全面的に否定した。
梶原氏は会見の冒頭、「トップとして、指導監督責任と結果責任を免れるものではない。私が全責任を負うものと考えている。在任中にこのようなことが起きたことは誠に申し訳なく、深くおわびする」と謝罪した。
県の内部調査に対し、梶原氏は、裏金問題について「知っていれば適切に対処していた」と話していた。
● 梶原前知事、裏金を認識・関与は否定 日経
岐阜県の裏金問題で同県の梶原拓前知事は8日、岐阜県庁で記者会見し、「知事に就任した当時には裏金の存在を承知していた」などと述べ、裏金の存在を認識していたことを初めて認めた。一方で「どこにどういう裏金があって、どういう処理をしたか一切聞かされていない」と関与を否定した。
梶原前知事は8日午前の会見で「(裏金は)全国にまん延していた慣行。(岐阜県にも)例外的にはあったかもしれないが、厳しい処分をした。根絶するように全国に先駆けて改革してきたので、問題は解消したと認識しており、今回のような多額のプール金があったと推測できる雰囲気もなかった」などと発言した。
責任問題に関しては「知事在任中に発生し、県民に心からおわびしたい」とし、「関知していないとはいえ、組織のトップとして責任がないとは言えない。部下のやったことは自分の責任だ」と述べ、結果責任はあるとの認識を示した。 (13:41)
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