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てらまち・ねっと



 今朝、テレビのニュースで、こどもが訪ねたところ、お年寄り夫婦がお腹から血を出して死んでいるのが見つかった、そばには包丁があった(名古屋市内)、将来のことを悲観してのこと、と流れた。

 岐阜県の裏金問題、住民の貴重な税金を、組織的にくすねて、のうのうとしている人たち、ここまできて、どの言葉を使えというのか。

 告訴しろ、告発しろ、そんな公務員は辞めさせろ、お金は全部かえせ・・・・・県内の人から、県外の人からも厳しい声が入ってくる。

 県(議会)関係の各政党(会派)も県知事に申し入れ、8月8日には県の弁護士会長も 岐阜県の裏金を含む不正経理について徹底した調査究明などを求める会長声明 を出した。
    岐阜県弁護士会のトップページ

 昨日10日には、なんと県議会が全会派一致して知事に申し入れた。来年4月の県議選対策ということでもない。ただ、議会は、知事に申し入れるのはいいとして、議会自ら対応すべきは必須。とくに裏金の使途の一つが官官接待とまとめられた中で、県行政から見て県議会議員は同種の相手方なのだから。

 ともかく、県の自主調査の取りまとめも3日に公表され、梶原前知事の公式な釈明(一方的な説明?)もされた。こちらも、来週は動こうと意見の取りまとめなどしている。
 今回の岐阜県の裏金問題への県民としての対応の方法について、ご提案のある方は、メール gifu@kenmin.net へどうぞ。

 とりあえず、週明け早々にはこの寄付金のことに対応の予定。

 8月10日 朝日新聞第2社会面 

● 梶原前知事「職員組合に『寄付金』」
 (写真はクリックすると拡大。写真右下あたりのクリックでさらに拡大)


  8月11日 毎日新聞社会面トップ 
 ● 知事らも組合に寄付  給与から控除、慣例に

 
 なお、このブログに時々コメントのある一人閑さんの、2006年07月30日の ●785 前岐阜県知事と高山市長の癒着 15 のコメント欄に注目。
 以下にそのまま引用。
  Unknown (岐阜県職員匿名希望)
 2006-07-31 14:46:13
 まえの梶原知事がやめるとき私の課から餞別を贈りました。他の各部や課もおなじだったはずです。個人的にお金を集められたことはありませんでしたが、今考えると裏金だったかもしれません。
 このことを梶原さんは知っているはずです。


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● 梶原前知事の訴訟費用にも裏金 岐阜県 特別会計から借用  9日中日
 岐阜県庁の裏金問題で、梶原拓前知事が、裏金の繰り入れられた県職員組合の「職務関連訴訟等特別会計」から、同氏が被告となった住民訴訟の弁護士費用などを借りていることが分かった。正規の制度にのっとった貸し付けだが、2005年8月時点の貸付残高は723万円。同会計の貸付残高約2430万円のうち、約3割に上っている。梶原氏は「(借りた金に)裏金を使った事実はないと聞いている」と話している。、核心<3>面
 同会計は、県職員らが職務に関連して裁判を起こされた際の裁判費用を貸し付けるため、1999年に設立された。設立の際に、裏金679万円が繰り入れられたことが明らかになっている。
 現在の残高は約6600万円。毎月組合費(給与の1・2%)を支払う組合員のほか、県幹部もほぼ全員が給与月額の1・1%を組合に寄付しており、利用できるようになっている。県職員らが敗訴した場合でも貸付金の返還を求めない運用を行っており、事実上の「貸与」というかたちになる。
 組合によると、梶原氏にはこれまでに14件の貸し付けが行われ、既に判決が確定、梶原氏側が勝訴した分などについては返金されたが、それ以外のものは貸し付けたままという。
 梶原氏は「制度の存在を知ってから、無条件で利用した」と説明。今後については、本紙の取材に対し「返すのが筋だろう」と話した。
 梶原氏は8日、裏金問題で初めて会見し、1989年の知事就任当時は「裏金づくりは半ば公然の秘密となっていた。十分承知していた」と説明した。一方で、問題となっている94年度当時の多額の裏金の存在や、組合口座への移し替えなどについては「関知していない」と否定。その上で「すべての責任は知事だった私にある。県民に深くおわびする」と述べた。

 ■岐阜県庁の裏金問題  県教育委員会を含む県全体で裏金づくりが行われ、県情報公開条例施行直前の1994年度には年間総額が約4億6600万円(調査チーム推計)に上った。当時の森元恒雄副知事(現参院議員)が裏金の処理を指示、県幹部らが相談し、99年1月以降、県監査が及ばない県職員組合の管理口座に移し替えた。組合活動費などに使われ、現在の残高は約1億4600万円。移し替えられないまま現在も各課や県職員、OBが保管する分があるほか、約500万円は焼かれたり捨てられたとされる。

● 9日岐阜新聞朝刊 梶原前知事「裏金、推定できた」
 県の裏金問題について梶原拓前知事が八日、県庁で記者会見し、一九八九(平成元)年の知事就任時は「裏金の存在は推定できた」との認識を示しながらも、「私自身、裏金問題について一切やましいことはない」と、自らの関与を全面的に否定した。その上で「当時のトップとして責任は免れない。全責任は私にある。県民に深くおわび申し上げたい」と陳謝した。
 先月五日に裏金問題が発覚して以来、梶原氏の会見は初めて。梶原氏は知事就任当時について「国、地方自治体を通じて裏金づくりは半ば公然の慣行と承知していた。県でも裏金の存在が推定された」としたが、九〇年代半ばまで行われていた全庁的な裏金づくりと巨額の裏金の存在については「承知していなかった。就任後の改善で裏金問題は解消したと思っていた」と語った。

 さらに、九八年度に裏金の存在が発覚するのを避けるため、当時の森元恒雄副知事(現参院議員)らの指示で裏金を県職員組合に移し替えたことについて「どこにどういう裏金があって、どう処理されたか全く聞いていなかった」と関与を否定した。

 ただ梶原氏は、全国的に裏金が問題化した当時、県の裏金の実態について調査しなかったことについて「判断が甘かった。弁解の余地はない」と述べた。

 森元氏が七日に公表したコメントに、梶原氏が裏金の存在を知っていたとも受け取れる内容があったことについて、梶原氏は「(七日夜)森元さんに誤解を招く文章だと電話で伝えた」とし、「(当時)あれだけの裏金があったのであれば、オープンにして処理すべきだったと話したところ、森元さんも『そうでした』と答えた」と説明した。

 森元氏自身は、裏金の存在が表面化することで、梶原氏への批判や庁内に混乱が生じるのを懸念し、組合への移し替えを了承したことを認めている。岐阜新聞社の取材に対し森元氏は八日、事務所を通じて、近く記者会見を開き、当時の状況などを説明するとの意向を示した。

 梶原氏は旧建設省(現国土交通省)出身。八九年二月から二〇〇五年二月まで四期十六年、知事に在任し、全国知事会長も務めた。

● 同岐阜新聞 「判断甘かった」責任認め陳謝
 県の裏金問題が発覚して一カ月余。裏金問題に関して八日、初の会見に臨んだ梶原拓前知事は、組織的な裏金づくりへの関与をきっぱり否定した。
 約一時間、記者に質問の余地を与えず説明。その後、裏金の存在に対する認識、県職員組合への裏金の移し替えの関与について繰り返し質問を受けると、ややいら立ちながら「何度も申し上げますが、全く承知していない」と答えた。時折腕を組みながら質問に答えたが、潔白さを強調した。昨年二月まで四期十六年間、トップを務めた県庁。フラッシュを浴び、報道陣にもみくちゃにされる梶原氏を、県職員や来庁者らが遠巻きで見詰めた。

 知事就任当時 
 梶原氏は知事に就任した一九八九(平成元)年当時を振り返り、「国や地方の裏金づくりは承知していた」と認めた。ただ、全国で裏金問題が表面化した九〇年代半ば以降、県が全庁的な調査をしなかった理由については、他県に先行して改革に取り組み、改善されているとの自負心、職員に対する信頼感、監査でも特別に大きな問題が発生していないという安心感があったことを挙げ、「今になって思えば、判断が甘かった。弁解の余地はない」と述べた。

  在任中 
 二〇〇〇年度に県の現地機関で裏金づくりが相次いで発覚した。「裏金問題が潜在的に残っているとの危惧(きぐ)はあった。しかし、あちらこちら(の部署)に残っていたと事態を推測できる情報はなかった。県幹部の誰からも裏金があり、処理に困った、とは一切聞いていない。県の場合、問題は解消していると考えていた」と答えた。

  森元メモ 
 九六―九九年の間に森元恒雄副知事(当時)との裏金問題に関するやり取りについて「森元氏から『(調査・公表を)自重してほしい』と進言され、私は『あっ、そうか』と話したらしい。その段階では多額の裏金の存在について森元さん自身、知らなかった(はず)。その後、どこにどういう裏金がいくらあるのか、どう処理したか、一切聞かされていない」と振り返り、県職員組合への移し替えには関与を否定した。

   自身の流用 
 「私が承知している限りでは裏金を使ったことは一切ない。予算外で必要があれば、後援会から賄ってもらっていた。年間四百万円から五百万円だった」と説明し、出張先の高級ホテルでの宿泊では「フロントで、個人のクレジットカードで(正規旅費との)差額を支払った」と自らの潔白を示す一例を挙げた。

 裏金が組合員を対象にした行政訴訟費用の貸付に流用されていたことが明らかになっているが、自ら被告になった行政事件の訴訟費用について「正規の貸し付け金制度があると言うので、無条件で署名し(貸し付けを受け)た。私にかかわる訴訟経費で裏金を使っている事実はないと先日報告を受けた」と述べた。

  責任 
 「組織のトップとして、指導監督責任と結果責任がある」と認め、「取り返しがつかない。県民におわびしようもない」と陳謝。今後予想される返還金に関して「県職員、退職者などで穴埋めするのは最低限必要。自分が率先してやる」と宣言した。

 ● 同岐阜新聞  県立4高校のPTA会費、組合に入金
 県の裏金問題で、県や県教委の裏金とは別に、県立高校四校で管理していたPTA会計などから約千三百万円が、県職員組合に入金されていたことが八日、県教委の調べで分かった。県や県教委の裏金が組合に集約された時期に、「誤って移し替えられた」(県教委)とみられる。
 県の裏金は、第一次(一九九九年一―三月ごろ)と、第二次(二〇〇一年三―六月ごろ)の集中期に分けて、組合に集約された。県教委の裏金は、第二次集中期に千六百万円が移し替えられたことが分かっている。

 ところが県の内部調査の過程で、県教委の裏金とは別に、四校のPTA会計などからも組合に入金があった事実が判明した。これらの金は、学校で毎月徴収するPTA会費のうち支出せずに余った分を年度繰り越しせずにプールしていたり、記念事業名目で集めた寄付金のうち事業で使われずに残ったもの。こうしてためたプール金は、学校の修繕などに使われていたという。

 会計担当者が学校で管理していたが、長年かけて蓄積した金だったため金の性格が分からず、裏金と同じ扱いをして、組合に移し替えてしまったのだという。

 県教委は「組合から返還してもらったら、正規のPTA会費に戻したい」と話している。

 また、四校分の約千三百万円とは別に、一校の職員が同じようにPTA会費のプール金約百万円を個人で管理していたことも分かった。


● 知事、県へ返還明言  裏金問題 外郭団体移し替えも調査  9日中日 朝刊
 県の裏金問題で、古田肇知事は八日の定例会見で、移し替え前の一九九五-九七年度の追加調査のほか、外郭団体への移し替えを新たに調査することを表明。今月末をめどにする弁護士三人による検討委員会の検証結果などを受け、関係者の処分問題と再発防止に取り組むほか、裏金は今後、県に返還させる方針を明言した。検討委は、七日に梶原拓前知事から事情聴取するなど独自調査を進めており、県監査委員も特別監査を始めている。古田知事の主な一問一答は次の通り。 (石川浩)

 -裏金問題について。
 「調査チームの報告内容を言葉を失う思いで聞いた。県民や県外から厳しい批判をもらっており、全部に目を通している。責任者としておわびする。県政が根底から問われており、どう対応し、どう乗り越えていくかが当面の最大課題だ」

 -梶原前知事の発言をどう受け止めるか。
 「発言は検討委に話された内容と聞いている。検討委では検証作業中で、個別にコメントするのは適当ではないと考える」

 -裏金は今後、返還手続きを取るのか。
 「基本的には不適正なお金の流れを絶ち、きちんと戻すのは当然の対策の一つ。検討委の報告を待ち、具体的に検討する」

 -これまで裏金は把握されていなかった。
 「政策総点検に含まれない重要な論点があったと痛感している。県庁組織そのものの総点検が、まだまだ欠けたものがあったとの認識だ。もう一度、県政と組織の原点に立ち返り、次なるあり方を打ち出す。総点検の中に裏金問題が入ってこなかったのは大変残念で、責任を感じている」

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 一昨日8日の梶原前岐阜県知事の県庁での会見のテレビを見た県民の怒りは確実に高まった。

 昨日話した県内の20才代の若者、投票は一度も行ったことがないといいつつ、「新聞は読んでいる。あの裏金はひどい。でも、ああいう政治家を選んだ県民の責任もあると思う。今度から、選挙は投票に行く」と。奇しくも、彼の政治意識は、確実に高まった。

 ところで、梶原前知事は、「記憶にない」という言葉使ったらしい。政治家や行政マンの「記憶にない」という言葉は、限りなく「知っている」という意味だということは、誰もがわかっている慣用句。
 梶原氏は、7日に県の検討委員会の聴取を受け、8日に県庁で会見。9日からは私用でアフリカ方面に10日ほど出かけるという。今頃は、どこ??

 (昨日、追加投稿すると書きましたが、午後から急用で出張・外泊。予定が変わってすみません。その前に岐阜市内で、県のある件の公文書をDテレビに2日だけ資料提供。今は10日の午前6時。今日は、朝のうちに戻って、東京から来たテレビ3チームの取材に協力予定)

 8日の夕刊から。
 岐阜新聞は、「梶原氏は取材に対し『裏金づくりをしていたことは聞いていなかった。組合に移し替えるということについて協議して決めたという事実も、記憶にない』」。抗議電話、メール殺到 5日間で1000件 ともある(なお、岐阜県の人口は約200万人。名古屋市と同じ位)
 中日新聞は、「梶原氏は、県庁での裏金づくりについて『89年の知事就任当時は、国や自治体を通じた半ば公然の秘密だった。』」。
 朝日新聞は、「知事に就任した当時には裏金の存在を承知していた」。

 まずは、古田現知事の8日の定例会見の様子からどうぞ。29分の放送という。

●    8月8日(火)知事記者会見
 •岐阜県庁(岐阜市)
 •【全編】知事記者会見(29分28秒)
 •知事発表事項
    「岐阜県産業廃棄物処理施設整備検討委員会」について
    「不適正資金問題にかかる資金調査チームによる調査結果報告」を受けての所感について
 •記者からの質問
不適正資金問題について
         関連するホームページ  不適正資金問題について

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● 8日岐阜新聞
 梶原前知事、裏金関与を否定

 県の裏金問題で、梶原拓前知事が八日、県庁で記者会見し、全庁的な裏金の存在や、裏金の存在が発覚するのを避けるため、一九九八(平成十)年度から、当時の副知事をトップとする県幹部の指示で組合に裏金を移し替えたことについては「一切知らなかった」と、裏金問題について自らの関与を完全に否定した。その上で「当時のトップとして結果責任は免れない。県民に深くおわび申し上げたい」と陳謝した。
 一九九〇年代半ばまで、県庁組織のほぼ全体で慣行的に行われていたとされる裏金の存在について、梶原氏は「どこに、どういう裏金があって、どう処理されたか聞いていない」と述べ、「裏金問題についてやましいことは一切ない」と強調し、自らの関与を完全否定した。
 梶原氏はこれまでも、県調査チームの聞き取り調査に対し「関知していなかった。知っていればきちんと処理できた」としていた。
 一九九八年度当時、副知事として組合への移し替えを指示したとされる森元恒雄氏(現参院議員)は七日、岐阜新聞社の取材に対し、裏金の存在が表面化することで、当時知事だった梶原氏に対する批判や庁内に混乱が生じることを懸念し、組合への移し替えを了承したことを認めた。
 森元氏によると、当時は全国的に裏金が問題化した時期で、県の裏金の有無について調査・公表するかどうか梶原氏と相談した結果、しばらく様子を見ることで梶原氏の了解を得たという。
 しかし、森元氏が七日に公表した「県裏金プール問題について」とする文書の中で「知事の了解もいただいていた」「知事を含む幹部職員が裏金づくりやその存在を知らなかったとは客観的に見ても言えない状況」と当時を振り返り、梶原氏が裏金の存在を知っていたとも受け取れる内容を記していたことについて、梶原氏は「昨晩、森元さんに誤解を招く文書だと電話で伝えた」とした上で「(調査の結果)これだけの裏金があったのであれば、その時にオープンにして処理すべきだった」と話したところ、森元氏も「そうでした」と答えたという。
 梶原氏は七日、弁護士三人による第三者検討委員会の聞き取り調査を受けた。九日から海外旅行で十日間不在になるため、当時の経緯を説明したいとして、県政記者クラブに記者会見を申し入れた。
 
 元副知事、裏金移し替え了承

 県の裏金問題で、一九九八(平成十)年度当時、副知事として県職員組合への裏金の移し替えを指示したとされる森元恒雄氏(現参院議員)が七日、岐阜新聞社の取材に対し「組合への移し替えという案を聞き、無難だと思った」と語り、裏金の存在が発覚することによって、当時の梶原拓知事に対する批判や、庁内に混乱が起きることを懸念し、組合への移し替えを了承したことを認めた。一方、梶原氏は同日、岐阜新聞社の取材に対し、裏金の存在について「聞いていなかった」とし、組合への移し替えについてもあらためて関与を否定した。
 森元氏によると、当時は全国的に裏金が問題になってきた時期で、県は裏金の有無について調査・公表するかどうかを梶原氏と相談した結果、しばらく様子を見ることにしたという。
 しかしその後、組合に裏金を移し替えた理由について、森元氏は「庁内の混乱や知事への批判を回避するためだった」と強調。組合で管理した理由について「当面の措置のつもりであり、第三者的なところ(組合)の方が厳格に管理され、表面化しても批判は少ないと考えた」と話した。
 梶原氏に裏金の存在を伝えたかどうか、処理について具体的な指示を受けたかどうかについては「記憶にない」と答えた。
 森元氏は同日、「県裏金プール問題について」とする文書を県政記者クラブに送付。当時の経緯について「知事を含む幹部職員が裏金づくりやその存在を知らなかったとは客観的に見ても言えない状況であり、そのような中で急いで総点検を行い、実態公表を行えば、知事への批判などが生じ、県庁全体が混乱することが懸念された」とし、しばらく事態の推移を見守ることにし、梶原氏も了解したという。組合での管理については「あくまで一時的な措置で、時期を見て県に返還させることにしていたが、私自身、岐阜から(国に)帰任することになり、その後の処理に関与することができなくなった」とした。森元氏は旧自治省(総務省)出身で、九六年三月から九九年七月まで、副知事を務めた。
 一方、梶原氏は取材に対し「裏金づくりをしていたことは聞いていなかった。組合に移し替えるということについて協議して決めたという事実も、記憶にない」とし、森元氏の話を否定している。

    抗議電話、メール殺到 5日間で1000件

 県の裏金問題で、県による内部調査結果が公表された三日から七日(午後四時現在)までに、県民からの抗議の電話、メールなどが県行政改革課に千件近く寄せられている。同課以外の部署にも同様の抗議が届いており、県民の手厳しい非難の声が相次いでいる。
 県行政改革課によると、同課には三日以降、四百三十件もの抗議の電話が入っている。「税金はもう払わない」「お金を燃やしたなんてとんでもない。お金がなくて苦しんでいる人になぜ使わなかったのか」など怒りの声が多い。職員十五人が対応し、内容をすべて県調査チームに報告しているという。電話以外にも、メールやファクスなどの書面で五百二十二件の抗議が届いている。
 また、岐阜新聞社が五日に開設した同問題に関するメールアドレスにも、県民から多数の意見が寄せられている。「私たちは少ない収入で一生懸命頑張っているのに悔しい」「(裏金が)完全に返還され、職員の謝罪や処分などがされるまでは風化させてはいけない」など、県政に対する県民の不信感の高まりがうかがえる。


● 岐阜・梶原前知事、裏金認識  組合移管関与は否定 8日中日夕刊
 岐阜県庁の裏金問題で、梶原拓前知事は8日、県庁で記者会見し、1989年の知事就任時に裏金が存在していたとの認識があったと初めて認めた。しかし、県職員組合管理口座への移し替えについての関与は否定した。今回の問題を「やましいことは一切していない」と述べる一方、「痛恨の極みだ。トップとして全責任を負う」と語り、今後、県への返還措置が出てきた場合などには協力する意向を示した。
 今回の問題で、梶原氏が会見するのは初めて。

 梶原氏は、県庁での裏金づくりについて「89年の知事就任当時は、国や自治体を通じた半ば公然の秘密だった。それだけにその改革に取り組んだ」と説明。その後も「どこにどのような裏金があったかは承知していないが、例外として潜在的に裏金が残っているのではないかという気持ちはあった」と語り、裏金問題が完全に解消されたとは認識していなかったとした。

 94年度当時、約4億6600万円に上る裏金の存在や、組合管理口座への移管は「関知していない」と否定。当時の副知事、森元恒雄氏(現参院議員)が、裏金に関する調査をしないと判断したことについて「梶原氏も了解していた」と7日にコメントしたことについても「当時、森元氏も裏金の存在を知らない段階でのことで(裏金の存在を)了承したことはあり得ない」と語った。

 今後は「裏金が使われてしまった分もある。県職員や(当時の)在職者の責任で負っていくのは当然。率先して対応する」とし、返還措置には全面的に協力するとした。

 県調査チームによると、94年度当時、県全体で多額の裏金づくりが行われ、森元氏が裏金処理を指示し、県幹部らが相談し99年1月以降、組合管理の口座への移し替えが始まったとされる。裏金の一部は使われたり、焼かれたりしたことが分かっている。

 梶原氏は、建設省都市局長、岐阜県副知事などを経て89年1月の知事選で初当選。その後、4期16年、知事を務め、2005年2月に知事を退任した。

●  「就任当時から裏金作り認識」 岐阜県前知事が会見 朝日 2006年08月08日13時44分
 岐阜県で組織ぐるみの裏金が作られ、県職員組合の口座に隠されていた問題で、梶原拓前知事(72)が8日、県庁で記者会見し、「知事就任当時、公然の秘密だった裏金作りは十分承知していた」と述べ、89年の知事就任時に裏金の存在を認識していたことを認めた。しかし、4億円を超える規模になっていたことは知らなかったとし、これらを組合口座に移すよう指示するなど具体的な関与については全面的に否定した。
 梶原氏は会見の冒頭、「トップとして、指導監督責任と結果責任を免れるものではない。私が全責任を負うものと考えている。在任中にこのようなことが起きたことは誠に申し訳なく、深くおわびする」と謝罪した。
 県の内部調査に対し、梶原氏は、裏金問題について「知っていれば適切に対処していた」と話していた。

● 梶原前知事、裏金を認識・関与は否定  日経
 岐阜県の裏金問題で同県の梶原拓前知事は8日、岐阜県庁で記者会見し、「知事に就任した当時には裏金の存在を承知していた」などと述べ、裏金の存在を認識していたことを初めて認めた。一方で「どこにどういう裏金があって、どういう処理をしたか一切聞かされていない」と関与を否定した。

 梶原前知事は8日午前の会見で「(裏金は)全国にまん延していた慣行。(岐阜県にも)例外的にはあったかもしれないが、厳しい処分をした。根絶するように全国に先駆けて改革してきたので、問題は解消したと認識しており、今回のような多額のプール金があったと推測できる雰囲気もなかった」などと発言した。

 責任問題に関しては「知事在任中に発生し、県民に心からおわびしたい」とし、「関知していないとはいえ、組織のトップとして責任がないとは言えない。部下のやったことは自分の責任だ」と述べ、結果責任はあるとの認識を示した。 (13:41)
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