友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているからです。生きていることは素敵なことなのです。

貯蓄税と遺産税を設けよう

2012年02月16日 19時01分10秒 | Weblog

 休眠預金が年間で800億円から900億円あるという。銀行などに預けたまま、10年以上お金の出し入れが無い口座を休眠預金というらしいが、ヘェー、預けっぱなしの人がいるのだと驚いた。ひとりでいくつかの通帳を持っていると、どこにいくら預けたのか分からなくなるらしい。特別に生活に困っているわけではないから、そんな休眠預金が生まれてしまうのだろう。政府はこの休眠預金を借用して、東北の復旧支援に活用したいみたいだ。

 

 預けっぱなしなのだから、借用してもらっても結構なのだろうが、世の中には案外お金に余裕のある人はいるものだ。日本の国債はその大半を日本人が所有しているから安泰だと言う人がいる。どうしてなのか、私にはよく分からない。国がつぶれそうになった時、国債の所有者に目をつむってもらえると思っているのだろうか。国債を買っている人は、全員が裕福ではないかも知れないが、証券がただの紙切れになっても生活できないわけではないのだろう。

 

 年収が2億円ある超お金持ちなら、90%所得税をかけられても2千万円残るが、年収400万円の平均的サラリーマンなら30%税率で280万円となり、生活は苦しい。さらに、年収250万円しかない人なら10%税率でも225万円とさらに厳しくなる。みんなで支え合う今日の社会では、お金持ちには高い税率をかけ、低い人には税金の控除もしている。消費税を上げれば確実に税収は増えるけれど、当然ながら低所得者の負担は大きくなる。

 

 所得が低い若者層の消費活動が弱くなり、景気はますます落ち込むので、消費税増税には反対だと言うエコノミストは多い。資産をどのくらい持っているかという調査結果が新聞に載っていたが、年代が増すほど資産も多くなっていた。20代の人より70代や80代の人の方が預金もしているだろうし、土地や家屋あるいはお宝も持っているだろうことは想像できる。資産を多く持っている人たちを資産の少ない人たちが支えるという矛盾が生まれている。

 

 そこで、貯蓄税を設けたらどうかと言う人がいる。「累進税率にし、平均税率を1%と仮定すると、税収は8兆5千億円くらいになる」(白川浩道さん)。預貯金の多い高齢者からは批判が出るだろうけれど、「貯めたお金で世の中がよくなる」(白川さん)と考えたい。また、相続税ではなく遺産税に変えた方がよいと言う人もいる。「相続税の課税件数は亡くなる人の4%ほどで、課税最低限が高過ぎるなどの理由で、税収は1兆4千億円にしかならない」(大武健一郎さん)。「遺産税には課税最低限を設け、平均10%の税率にするとしても、税収は5兆円くらいを見込めます」(大武さん)。

 

 高齢者はいろいろな面で社会を支えてきたが、同時に社会に助けられてきた。その高齢者が多くの資産を持っているのだから、これを社会に還元させるべきだと私も思う。お金持ちとそうでない人との格差が広がりすぎたのだから、無理のない範囲でシャッフルする必要があるだろう。年金改革はすぐによい方策は生まれないだろうけれど、貯蓄税や遺産税の新設ならみんなが納得できるだろう。高齢者に手厚い政策から、若者たちに希望が持てる政策へ、切り替えて欲しいと思う。

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名古屋ボストン美術館のトイレ

2012年02月15日 18時27分51秒 | Weblog

 名古屋ボストン美術館で開催されている「静物画の世界」展に行ってきた。一緒に行くつもりの人の都合がつかず、締め切りが19日までだったのでカミさんと出かけた。意外に人が多いのには驚いた。ポスターのコピーがうまい。「静物画の世界」の枕には「恋する静物」とあり、「りんごの想い。レモンのこころ」などとあるから、どんな展覧会かと気になるところだ。セザンヌ、ルノワール、マネとあるので、こうした画家の静物画展かと思ってしまうのも無理は無い。

 

 もともとボストン美術館はそんなに大きな美術館ではないので、いつものことだが展示作品は多くない。今回の企画もヨーロッパ中世の作品からマチスあたりまでの静物画を展示している。セザンヌもルノアールもマネも作品は1点しかない。17世紀オランダの静物画から始まって近代へと続くように展示してあるが、このオランダの静物画は写真以上に精密なのに対して、最後の方にあるマチスの静物画はまるで子どもの未完成作品である。そう思ってしまうのは、私が絵の技術の方に関心がいってしまうためだ。

 

 絵画は伝播と記録という役割を担ってきた。中世では文字が読めない人々に、キリスト教の偉大さを教えるために大聖堂が作られ、その天井や壁面に聖書の物語が描かれた。専制君主や大商人が生まれると肖像画が盛んに描かれた。神話や聖書物語に代わって、歴史的な場面が描かれるようになる。オランダでどうしてあのような精密画が誕生したのか私は知らないが、記録という役割が絵画に求められていたのだから、写実的でなくてはならなかったのだろう。

 

 中世においても、小さな穴を通して外の世界を暗い部屋に映し出して絵を描いた職人もいたようだが、産業革命で写真機が誕生すると絵画の世界は一変した。産業革命で生まれたブルジョア階級は、王や大商人や法王のように自らの肖像を残すに新技術の写真を求めるようになった。記録としての絵画の役割は終焉を迎えたのだ。そして、産業革命は科学を重視し、学問を広めたので、絵画もまた当然その波に飲まれていった。写真のような古典派ではなく、光を捉える印象派が誕生し、絵画は芸術のひとつとなった。

 

 目の前の静物を見たままに、いやそれ以上に精密に描写する絵画から、心で見て表現する絵画へと変わっていった。私にはそれだけのことでしかない気がして、「静物画の世界」展は物足りなかった。絵画だけでなく、モチーフでしかない花が静物画として、産業革命前後の陶磁器や銀食器が展示してあることもよく分からなかった。名古屋ボストン美術館の運営が取り沙汰されていたけれど、企画力が弱いのかも知れないと勝手に思った。

 

 話は大きく逸れるが、アメリカで永く生活した先輩が、「白人は概して保守的だ。自分たちの生活スタイルを変えようとしない」と話した時、アメリカではホテルのトイレにも温めた便座は無いと話題になった。しかし、ボストン美術館のトイレは日本式のウォッシュレットだろう思って、確かめに入ってみた。結果はアメリカ式の冷たい便座だった。ボストン美術館は意外に保守的なのだと思ったが、いやお金が無いだけかも知れないと思い直した。

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『マルドロールの歌』

2012年02月14日 17時42分11秒 | Weblog

  っと気が付いた。先ほどまで持っていた傘がない。どこに忘れてきたのだろう。あの傘はデパートで高いお金を払って買った思い出の品だ。傘を忘れることが度々重なって、忘れてもいいようにコンビニの安い傘を使っていた。すると忘れても、平気で安いのだからいいと思うようになった。これはダメだと、デパートの高級傘を手に入れ気を付けてきた。なのに、どうしたのだろう。立ち寄ったところを思い出そうと、必死になって考えた。

 

 朝になって、昨日はどことどこへ出かけたのかと、また考えた。個人の家ならばきっとまだあるだろう。しかし、公民館や会館だともう誰かが持っていって無いかも知れない。早めに行って探さなくてはならない。それにしても、どこへ行ったのか、その順番さえも思い出せない。歳を取るとこんなことも忘れてしまうのかと腹が立った。とりあえず、まずは探すことだ。そう言い聞かせて、玄関で靴を履く。そして何気なく傘入れを見る。あれ、傘はある。どうなっているのだろう。

 

 そんな夢を見た。焦って今にも出かけるところだったけれど、それも夢だったのか。どこまでが夢で、どこからが現実なのか、境目までもはっきりしない。でも、良かった。傘が無くなることで、思い出の全てを失う気がしていた。つながってよかった。傘からの連想で、シュールリアリストが称えたロートレアモンの『マルドロールの歌』の「ミシンと雨傘とが解剖台の上で、はからずも出会ったように美しい」を思い出した。ミシンは女性、傘は男性などと解釈してくれた人もいたけれど、何のことなのかさっぱり分からなかった。

 

 古本屋で見つけた『マルドロールの歌』を読んでみたが、全体が詩のようで脈絡が分からず、さっぱり理解できなかった。ただ、分かったのは、シュールリアリストが求めていた自動記述の発想というか、あるべきものがあり、理屈で説明がつく、そういう世界とは反対にある。20世紀をマルクスとフロイトとトロツキーの時代と受け止めていた彼らにとっては、非常識や非日常、言ってみれば現実を超えた世界こそが求める世界だった。しかし、シュールリアリストは現実の世界を否定し、新しいものに価値を見つけようとしたけれど、社会革命を目指したりはしなかった。

 

 日曜日の朝日新聞に、大阪市の橋下市長へのインタビューが載っていた。衆議院議員選挙に向けて、「大阪維新の会」が候補者を募ったところ全国から3千人を超える応募があった。「大阪維新の会」がどのような政治を目指すのかと思って読んだけれど、具体的なことは何も分からなかった。橋下さんは、豊かな日本の現状を維持したい、そのためには競争が不可欠で、競争に勝つためには覚悟が要ると述べていた。私の周りにも橋下ファンはかなりいるけれど、私は受け入れがたい。多分、私には「ミシンと雨傘とが解剖台の上で、はからずも出会ったように美しい」と思えてしまうからだろう。

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キャッチボール

2012年02月13日 18時33分59秒 | Weblog

 愛西市の寺から、井戸水が出ないと連絡があって、出かけていった。手押しポンプの具合は悪くないが、ブォーブォーと音はするけれど水は出てこない。空気を吸い上げているのだ。手押しポンプをばらして調べてみても、つなぎ目から空気を吸い込んでいないかと点検してみても、そんな異状は見つからなかった。こういう時は不思議なもので、私はなんとなく水位が下がっているのではないか、そんなカンが働いた。しかし、直接工事をした先輩は、やはり自分の工事にどこか不具合があったのではと思うようで、つなぎの部分を切断してやり直そうと言われる。「分かりました」と言いながらも、「念のために、水位を調べてもいいですか」と私は先輩に聞いた。

 

 井戸に棒を入れて底に達するまで伸ばしてみる。引き上げて手押しポンプの吸水管と比べてみると、水位は吸水口ギリギリの辺りである。工事をしたのは昨年の6月で、田んぼに水が張られていた時期だった。私が井戸を覗いた記憶では、地上から2メートル半ほどのところに水面が見えた。ここは水の豊富なところだと思った。井戸は6メートルくらいの深さがあったけれど、水位が高かったので、4メートルくらいのところに吸水口を設けた。それが冬になって、特に今年は雨が少ないので、水位が下がってしまったのだ。吸水管をつないで吸水口を少し下げただけで、これまでどおり水を汲み上げることが出来た。

 

 「お前さんの言ったとおりだったな」と先輩が言ってくれたので、ホッとした。歳を取ると、相手の言うことを素直には受け入れなくなる。机の上のチラシ1枚でも無くなれば、「どこに仕舞った?」と言い、「私に黙って捨てたでしょう」ということになる。観たいテレビ番組が違えば、平気でチャンネルを変えてしまう。人が何を望んでいるのか、察する努力が疎かになるし、そのうちにそんなことも考えないようになってしまう。「こんなことも、豊かになったせいではないか」と先輩は言う。「日本の中堅企業が大学出の外国人を雇用すると新聞に出ていた。彼らの方が積極的に働くし、はっきりしているので、外国との営業には向いているそうだ」と先輩は言う。

 

 「日本人はどうも相手のことを思ってはっきり言わないから、相手は何を考えているのか分からない。言葉というより気持ちが伝えられない」。そんな話から、先輩はアメリカで11年暮らした経験談へと移っていった。アメリカは移民の国だから英語も発音やアクセントがまちまちである。地域によってもまた違いがある。上流階級は出来る限りきれいな英語を話そうとするけれど、ブルーカラーはそもそもその必要がないので、まともな英語が話せない連中はいっぱいいる。スパニッシュはスパニッシュ同士で、チャイナはチャイナ同士で、集まって暮らしていることが多いから、それですんでしまうのだと教えてくれた。

 

 「11年もアメリカに居たんだから、奥さんは結構話せるのでしょう」と聞くと、「女の方がダメだね。男は仕事で話さなくてならないが、女は日本人同士集まっているから、英語を使わなくてすんでしまう。人間は必要に迫られないとダメだ」。たまたま、昼食のために入ったラーメン店の壁に、伸びる企業の紹介記事が貼ってあった。その見出しは「意見を言う前にまず聞くこと」とあった。上手にキャッチボールをするためには、まずきちんと受け止めなくてはならならない。しかし、受け止めるだけで投げ返さないとキャッチボールにはならない。明日はバレンタインである。楽しみにしてもいいものかとちょっと不安である。

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黒塗りの公用車から降りてきた人

2012年02月12日 18時30分25秒 | Weblog

 韓国フェスティバルでの私たちの売り場は会館の外、正面玄関の隣だった。ポン菓子、綿菓子、ポップコーンの準備をしていると、黒塗りの高級車が止まって男の人が3人降りてきた。ポン菓子が珍しいのか興味深そうに近づいてきた。「コンニチハ」と言い、ポン菓子を指差す。とても気さくな人だったが、後から韓国領事だと知った。その後、しばらくしてまた黒塗りの高級車が止まった。降りてきたのはよく知っている議員だった。彼は議会の議長である。

 

 「ご苦労様。でもこの車は廃止した方がいいね」と私が声をかけると、いやいやと手を振って足早に行ってしまった。私の住む市は小さな街で、東西は6キロ南北は4キロしかない。自転車で走っても高が知れている。公用となれば、休日でも運転する職員は出勤しなくてならない。ピカピカの黒塗りに乗ってくることは恥ずかしい気がする。しかし、彼は嬉しそうだった。エライ人になったつもりだったのかも知れない。

 

 「高級公用車はなくさないとダメだよ」と私の呟きには聞く耳を持たない様子だった。以前、議員だった時に、首長の黒塗り公用車は要らないのではと職員と話した時があった。彼は、同規模の自治体の首長車より落とすことはできないとか、首長が自分で車を運転していて事故が起きれば行政は回らなくなるとか、県庁に行くのに恥ずかしい車では行けないとか、様々な理由を挙げていた。ちなみに、彼は退職後、地域の推薦を受けて市議会議員になっている。

 

 どこの自治体も税収が減ってきて財政は厳しい。そのために行財政改革を立案し、実行している。けれども名古屋市長の河村さんのように、市長報酬を800万円に減額した人はいない。市長の報酬を800万円に減額すればいいとは思わないけれど、膨れ上がった行政にメスを入れることは必要であろう。そもそも、首長の報酬はなぜ何千万円なのだろう。職員の給与がたとえば月50万円となっているのはどうしてなのか。商品の価格は求める人が多ければ上がり、少なければ下がると言われているが、首長の報酬は自治体の大きさで決まるのはなぜなのだろう。

 

 首長や職員は、「自治体の住民のために働いている」と言うのであれば、自治体の住民の平均賃金でも良いのではないのか。私は首長や職員は公という大義のために働いているのだから、報酬や賃金が住民の平均であれば、そのために辞めるという人はいないと思う。こんな金額では働かないという志の低い人は辞めてもらえばいい。報酬や給与が低くてはいい人材が集まらないなどと言う人がいる。そういうことを言う人は公務員の座に胡坐をかいている人だ。夢を抱いて働く人はいくらでもいると私は思う。

 

 無党派・市民派の議員として一緒に勉強会をしてきた仲間にも、首長となった人がいる。首長になったからとふんぞり返っているようなことはないだろうけれど、住民皆さんとしっかり話し合う機会を設け、謙虚に情報を発信しているだろうか。今、出来る最大の役割は自治体が持っている全ての情報を積極的に開示していくことだ。黒塗りの高級車に乗っているようでは、行財政改革などと言っても口先だけに終わるだろう。首長としてどんな風に勤めているかと黒塗り公用車を見て気になった。

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韓国フェスティバル

2012年02月11日 18時12分57秒 | Weblog

 「アニハセヨ」と韓国の人たちが声をかけて行く。今日は国際交流協会主催の韓国フェスティバルである。私たちも協会からの要請を受けて、ポン菓子、綿菓子、ポップコーンのコーナーを受け持った。韓国の物品などの販売は室内だけれど、ポン菓子は大きな音がするので屋外で行わなければならない。午前中は比較的暖かだったが、午後になるとやはり風が出てきた。建物の南側とはいえ吹き抜ける風が冷たく感じられる。綿菓子などは風に煽られて変形してしまうし、風向きによっては綿菓子が外に飛び出して巻き付けられない。昼からはお客もウンと少なくなったので、早々と店仕舞いして館内の催し物を見学することにした。

 

 館内では物品販売の他に、韓国の民族衣装を着て写真を撮るコーナー、またホールでは韓国の伝統舞踊や今流行りのK−POPなどが演じられた。伝統舞踊の時は眠気が差してきていたのに、K−POPの時はしっかり目が覚めた。音楽の音が大きいこともあるが、やはりリズムやメロディーに惹きつけられたのかもしれない。BOMIさんという若い女性歌手が歌ったけれど、確かにうまいと思った。バックダンサーがついて歌ったK−POPは、テレビなどに出ている韓国の女性グループと変わらない。ただ、バックのダンサーは日本人女性でしかもちょっと年上の感じだったのが気になった。BOMIさんは韓国女性らしく手足がすらりと長い。目の前で見たけれど、肌がとてもきれいだった。

 

 若い男性5人組の歌と踊りも迫力があり、なぜか日本人がグループで歌う人たちよりも身のこなしがきれいに見えた。私は全く知らなかったけれど、彼らはテレビにも出演しているそうで、若い女性ファンが座席から飛び上がって歓声を上げていた。そんなに若い日本人が大勢いたのかと言われると、会場で見かけた若い女性ファンはごく少数でしかない。埋め尽くしているのは圧倒的に私たちのような高齢者である。だから観ていてちょっと気の毒な気がした。ノリが悪いし、時には席を立って帰って行ってしまう。司会の人は何とかつなぎとめようとしゃべるのだが、それが仇となっていた。

 

 国際交流なのだから、韓国の物品販売や映画の上映やK−POPが見られるのはいい。韓国料理が食べられるのも韓流スターのポスターが手に入るのもいい。知るということが一番の交流だと私も思う。ひとりでもふたりでも、韓国に友だちができれば、韓国のことを悪く言うことはなくなるだろう。そんな風に、世界中の人と知り合えば、戦争にはならないだろう。ただ、表面だけの付き合いで終わりたくない。このフェスティバルはあくまでもきっかけであって、これを契機にもっと個人の付き合いが広がり深まっていかなくてはならない。

 

 日本にいる在日朝鮮人の人々が肩身の狭い思いをしたり、あるいは不当な差別を受けていないか、そういうことにも目を向けていく国際交流になっていって欲しいと思う。韓国だけでなく、あらゆる国の人々が、日本人は差別をしない国民だと思ってもらえる日本になりたいと思う。

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人は皆、寂しがり屋なのだ

2012年02月10日 19時50分10秒 | Weblog

 今朝はお世話になった女性からの呼び出しを受けて、彼女の家を訪ねた。私が最初の首長選挙に立候補した時、たまたま挨拶に行ったことが縁で、長い付き合いが続いている。同じ三河の出身ということもあったかも知れないが、何よりも彼女は世話好きでしかも選挙好きだった。若い頃は親族の選挙を手伝ったとか、民社党の党首のウグイスをしたことがあるとか、かなり歴戦の主だった。今年の1月の誕生日で88歳になったけれど、とてもそんな歳には見えないくらい元気だ。お孫さんとふたりで暮らしているけれど、お勝手は彼女がつとめているそうだ。

 

 お孫さんとふたりだけという理由だけではなく、持って生まれた天性だと思うけれど、おしゃべりがとてもうまい。機知に富んでいるし、ことわざや熟語や昔の慣わし等に精通している。難点といえば、話し出すと止まらないことだろう。電話を頂くなら少なくとも、30分は受話器を置くことができない。年寄りはいつも同じ話をしてしまうものだが、彼女は1時間でも2時間でも、次々と話題が出てくる。話し相手にされた時は、さてこの話はいつ終わるのだろうと困惑することもある。ズバッという物言いなので、悩みや相談事を抱えた人がよく家を訪ねてくる。友だちも多く、野菜や手作りの食べ物や実家からの土産やらがいろいろと届く。

 

 人の悩み事相談にのるような人なのに、「どうしたらいい?」という相談だった。彼女よりは若いけれど、ひとり暮らしの女性から手紙が来て、ノイローゼになって昨夜は一睡も眠れなかったと言う。その手紙を見せてもらったけれど、神官である彼女に親しみと敬意を抱いていることがよく分かった。そして彼女のためになろうとしたけれど、彼女にその気がなくてとても残念だとある。普通の人はそこで手紙を終えるけれど、この女性は「死にたい」とか不吉で不気味な言葉が続いている。「気味が悪い。私に何か罪があるのかしら。彼女の好意はありがたかったけれど、車椅子でしか移動できないから断ったのが、そんなにいけなかったの?」と悩む。

 

 神官であり悩み事相談所長のような彼女でも、困ることがあるのかと納得した。手紙の女性は私もよく知る人だけれど、長くひとり暮らしをしていて、ご近所に友だちもいないようだ。子どもさんはいるけれど、遠くに住んでいるからそんなに頻繁な交流がないのかも知れない。女性は今、仕事もしていないから、話し合える人もいなくて寂しいのだろう。女の人は男のように融通が利かないという人は少ないが、この女性は男の人のようにプライドが高く、従って社交的になれないのだ。神官であり社交的で、人の出入りが多い彼女に、女性は羨ましく思い、すがりつきたくなったのだろう。

 

 女性の手紙は病的だけれど、だからといって血縁でもない私たちがどうこうすることは出来ない。余り深入りせずに、かといって邪険にもせず、少し距離を置いて、出来れば少しずつ遠ざかる方がいいのではないかと私は思う。何かにすがりたい人は、きっとまた彼女でなくても、たとえば宗教とか、心を慰め満たしてくれそうなものにしがみついていくだろう。人はなかなか強くはなれない。自分を受け入れてくれる人が欲しいのだ。恋愛と一緒で、この人ならと思えばどんどんエスカレートしていく。人は皆、寂しがり屋なのだとつくづく思った。

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待つことから

2012年02月09日 19時20分29秒 | Weblog

   待つことを 我は選びぬ 夜の街に 風と風との 出会ふ音する   

 

 歌人の栗木京子さんの作である。解説がないので間違っているかも知れないが、恋の歌であろう。どんなに努力しても届かない恋もあるから、諦めなければならないが、努力と諦めの次に考えられるのは待つことである。この歌では、待ち合わせの時間が過ぎているのにまだ恋人が来ない、それでもう少し、あと10分待ってみようと決めた。夜の街には風が吹いてきて、そんな風が出会う音がする。寒い、早く来て欲しいと恋人を待っているのだろうが、恋の成り行きを待っているとも取れる。

 この歌に触発されて、私も作ってみた。

 

   山茶花に 冷たき風が 突き当たり 春待つ我は 身も凍るよう

 

   待つだけが ただひとつの 道ならば 春まではあと 少しとぞ思う

 

 短歌は31文字で作らなくてはならない。俳句のような17文字に比べれば、14文字も余計に使えるのだから、感情をこめることができる。私には俳句は短すぎて、標語のようで伝え切れない。短歌はわずか14文字多いだけで、情景の描写だけでなく、心の内を匂わせることができる。栗木さんの歌が恋人を待っているのだと思ったので、私は恋人を春にたとえてみようと思った。寒風の中で咲いている山茶花、見ている私は春を待ち望んでいるが身体は凍りつきそうだ。待つ以外に手立てはない。待てば必ず春は来るだろう。

 けれども待つだけの恋は悲しい。そこで、

 

   苛苛と 待つだけの愛 寂しいと 告げてみたいと 時には思う

 

 こんな風にストレートな表現よりも、春を待つという方がいいのだろうか。情景描写だけなら

 

   雪道に 山茶花の咲く 垣根あり 赤い花にも 雪積もりたる

 

   次々と 舞来る雪に 街は今 銀世界へと 変わりゆくらむ

 

 山茶花の赤い花の上に、白い雪が積もっているというだけであるし、雪が降ってきて瞬く間に銀世界に変わってしまったというだけで、別に面白くない気がする。そんな雪が溶けて道が汚れてきた。通る人たちは汚れないようにと歩いていたので、

 

   雪どけの 泥道のように 嫌われて 恋は夢から 消えていくよう

 

 雪が溶ける時はどうしてあんなに汚くなるのだろう。恋の終わりも夢から覚めていくように、雪が溶けていくように儚い、そんな風に歌いたいのだが、どうも観念的である。

 それではこんな老人だから作れる歌はどうだろう。

 

   親友が 友だちとなり 知人へと 変わりゆくなり 老い深まりて

 

   老いてなお 求めることの 虚しさは 人の優しさ 人のぬくもり

 

 お口直しに石川啄木の歌を2首添えておく。

 

   たわむれに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず

 

   はたらけど はたらけど猶 わが生活楽に ならざり ぢつと手を見る

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ドラマ『キルトの家』の老人たち

2012年02月08日 19時29分02秒 | Weblog

 寒い。昨日までが少し暖かかったので、今日はとても寒く感じる。天候は不順で、青空が見えたかと思うとたちまち黒い雲が北西の空からやってくる。小さな粉雪が雨のようにパラパラと降ってきて飛び跳ねている。けれども長く続かずに、再び太陽が顔を出し、雪は瞬く間に溶けていく。空気は一気に冷たくなり、底冷えに思わず身体が震えた。まだ、春は遠いようだ。しかし、テレビの天気予報は、この急激な天候不順は春に向かっているからだという。「春になれば」と、今は待つより手立てはない。

 

 そんなわけで今日も一日家に閉じこもっているが、そうなると何を書きこうか、きっかけが見つからない。ボーとしてパソコンに向かっていた時、「時々読んでいますよ」と言ってくれた人が、「最近は不倫のススメがありませんね」と言ったことを思い出した。中学からの友だちのブログに『友だち以上恋人未満』が載らなくなり、それにつられて私も扱う頻度が少なくなった。「弁解するようだけれど、決して不倫のススメを書いているわけじゃーないよ。もっと高みから、男と女を観察しているつもりなのだけど」。

 

 終わってしまったけれど、土曜日のNHKテレビで山田太一脚本の『キルトの家』を観た。兄嫁と義弟が恋に落ち、都会の団地に住むようになるが、その団地は高齢化が進んでいるというのがドラマの設定だった。兄嫁と義弟が恋をして家を飛び出してくるのは、どんな事情があったにしても異常である。東日本大震災から逃れて、団地に来たということになっていて、「あの津波のようなとんでもないことが起きるかも知れない」と恐怖を語るシーンがあったけれど、取ってつけたようなセリフに聞こえた。

 

 育ててくれた兄であり結婚した夫の出現を恐れているように思ったけれど、地震とか津波を持ち出したのは、人生には何時何が起きるか分からないと言いたいのかも知れない。ドラマの主題はあくまでも団地の年寄りの生き方なのだから。ドラマは2通りを上げていて、ひとつはキルトの家に集まる老人たちの生き方で、もうひとつは団地の自治会が提唱している相互扶助というかボランティアに頼るという生き方。前者が松阪慶子を中心に山崎努をトップとする自立を重視するグループで、後者を余貴美子が演じていた。

 

 自治会では1件に付き250円で老人のためにボランティアをしてくれる人を募集しているが集まりは悪い。そういう助け合いを拒み、自分たちで自立していこうとキルトの家に集まっているが、やがてキルトの家も人手に渡ることになる。この先どうなっていくのか分からないけれど、老人は弱い者だからと十把ひとからげで見ないで欲しいという主張は鮮烈だった。老人一般ではなく、個人であると。老人であっても人を好きになるし、恋もするという主張だ。自尊心が前面に出ている気難しい老人としか受け止めてもらえないことが悲しいけど。

 

 私自身もいつの間にか老人の仲間入りをしてしまった。「はい、お年寄りはこちらに並んでください。みなさん、大きく口を開けましょうね」などとやられたら、死んだ方がマシだと思ってしまうひねくれ者だ。「扱いにくい年寄りね」と言われないように、早く逝ってしまいたいね。

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社会を変えるのは年寄りの務めか

2012年02月07日 19時03分31秒 | Weblog

 年寄りが集まると、政治の愚痴か人の悪口が多い。でなければ、誰それが入院したとか、「いやそいつはもう死んだ」とか、暗い話ばかりである。「田中防衛大臣の答弁は全くダメだ。あれで大臣が務まるなら、私がやった方がまだましだ」と言っていられるのも、当事者では無いからで、次から次へと弱みを突かれたら冷や汗で震え上がるだろう。年寄りはテレビをよく見ているし、新聞も隅から隅まで読んでいる。こういう人たちが真剣に社会を変えようと思ったら、相当な力になるだろう。50年も60年も前なら、学生たちが国家を変えるつもりで戦っていた。しかしそれは、つもりの領域から出なかった。

 

 でも今、年寄りは自由な時間と多少の金銭を蓄えている。どういう社会こそが造られなければならない社会かも、それなりの知識があり経験からも分かってきている。昔の学生たちよりもっと大きな力を持っている。でも、やはり動かないだろう。悪口は言えても、自らの身体を使って、社会を変えていくエネルギーを結集するほどの燃えるものがない。小泉改革で派遣法が変わり、使い捨ての労働者が生まれた。シルバーもそこに組み込まれ、若い人たちの働く場を奪っている。シルバーは多少賃金が安くても小遣い稼ぎだからいいが、若い人は生活が懸かっているから大変だ。そう思ってはいるけれど、やはり小銭は欲しいので安い賃金で働く。

 

 「生活保護を受ける人間が増えているそうじゃないか。いったん、生活保護を受けると働かなくても生活できるから誰も働かんと言うぜ」と社会保障制度を危惧する。ソ連の崩壊をモスクワ大使館で見ていた休職外務事務官の佐藤優さんは、「人間は動物として食べていくことができれば満足するという存在ではない。自らが生きていることに、何らかの社会的意義があるということを感じていなくては、生きることができない人々もいる。(略)『自由かパンか』という定式は完全な誤りであり、『自由もパンも』というのが、人間の自然の要求であると感じた」と述べている(『テロリズムの罠』より)。

 

 みんながそれぞれに苦労を負担するのであれば、人は協力し合うだろう。人類がここまで生き延びてきたのも、「協力できる」力を持っていたからだと人類学者は説明している。平等も全く同じでなければいけないわけではなく、それなりにでよいという認識が私たちにはある。1%の人に何億何兆もの富が集中し、一方で住む家の無い人がいる。苦しい人に富を分けても1%の人は決して困らないはずだ。いろんな人が居て、人の社会は成り立っているけれど、「助け合う」ことは人が生きていくための基本と考えよう。そのためにどうするか、みんなで考え決めていこう。

 

 役人は新しいことを始めたがらない。政治家は当選することしか考えない。若者たちは希望が無いので、税金や年金を払いたくない。いや、そればかりか働く場所さえない。「何でもいいじゃないか、我々も与えられた仕事を夢中になってやり、それが自分の仕事になった」と、年寄りは自らの経験からそう言う。けれど、若者たちは動けない。社会に求めること事態が無駄だと思っている。そうなるとやはり、年寄りの出番である。社会を変えるのは年寄りの務めと立ち上がろう。腰が立たない?やっぱり年寄りには無理か。ならば黙って若い人に従っていくしかない。

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