スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑯-1&別の喜び

2019-01-08 19:04:31 | ポカと妙手etc
 今回は中盤で派手な応酬があった第44回NHK杯の準決勝の将棋を紹介するのですが,その将棋に関連する将棋を事前に何局か紹介します。まずは第11回全日本プロトーナメントの準決勝の将棋です。
                                     
 飛車先交換相腰掛銀の将棋で,局面は先手が銀を移動させたところ。その前に後手が玉も6一の金も動かさずに☖4三銀直と雁木の形を作ったのが珍しい指し方で,あるいは新手であったかもしれません。
 狙いは第1図でいきなり☖6五銀とぶつけることにありました。この戦型はこのように銀をぶつけるのが狙い筋になるのでガッチャン銀という俗称があるのですが,このように居玉で後手からぶつけていくのは考えにくく,先手も意表をつかれたのではないかと思います。
 この局面は放置しておけば☖7六銀と進出されてしまいますから☗同銀☖同歩は必然です。そこで先手は☗8六歩と銀冠を目指したのですが,銀の交換で伸ばした歩を☖6六歩と突き捨てるのが好手でした。
                                     
 ☗同角は☖6五銀と打たれてしまって先手がいけません。なので☗同歩ですがこれは後手の大きな利かし。この後,先手に失着が出たこともあるのですが,64手という短手数で後手の勝ちになっています。

 こうした例外は,食の場合にだけ発生するわけではありません。たとえばだれかが欠伸をしているのを目撃することによって自分も眠気を感じてしまうとか,あろ特定の音を聞いたりある特定の匂いを嗅ぐことによって尿意なり便意なりを催すということは僕たちには確かにあるのであって,こうした現象はそのような表象像imagoなしにはあり得ません。つまりそれは第二部定理一二だけで説明することができるわけではなく,第二部定理一七ないしは第二部定理一七系によって説明されなければならないのです。
 睡眠や排泄の場合より,食の場合の方がこうしたことは頻繁に生じるといっていいかもしれません。これにもはっきりとした理由があります。それは僕たちにとって食欲という欲望cupiditas,あるいはその観念ideaは,別の知覚perceptioである味覚や味覚から発生する喜びlaetitiaと関連している場合が多いからです。これに対して睡眠とか排泄に関連する欲望は,喜びとの関連でいえば,その欲望自体が充足される喜びとは別の喜びと関連していることが少ないのです。このゆえに僕たちは,食欲には二種類があるということは理解しやすいのですが,睡眠や排泄と関わる欲望にも実は二種類あるのだということには気付きにくいのです。だから僕は食との関連で説明するのが分かりやすいと思い,まずその例を用いたのです。
 ただし,次の点にも気を付けておいて下さい。
 食欲という欲望が,その欲望自体が充足されるのとは別の喜びと結び付きやすいのは,それだけ多くの食糧が存在している,あるいは存在していると表象されるからです。いい換えれば食べきることができないほどの食糧で溢れかえっているからです。ですからもしも食糧が極度に不足しているという状態では,食欲自体が充足される喜びが,それと関連する別の喜びよりずっと大きくなるでしょう。他面からいえば,食欲が充足される喜びが,それとは別の喜びとはそれだけ関連付けにくくなるでしょう。よって人間はそのような状態に置かれれば,あるいは現にそのような状態に置かれている人間は,食に関する観念も,排泄に関する観念や睡眠と関連する観念と,そう大差がないものとして認識するcognoscereことになります。
コメント
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