スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

あほう鳥②&その時点の認識

2019-02-24 19:21:03 | 歌・小説
 「あほう鳥」という楽曲にはちょっとしたことば遊びが取り入れられています。
                                      
 で紹介した部分は,楽曲の1番と2番の同じ部分です。その直後は1番も2番も同じフレーズです。

       悪い夢を見て 泣くなんて
       いい年をして することじゃない
       いつもどおり あたしどおり
       つづけるさ ばか笑い


 1番では,あたしもあんたも泣かないあほう鳥だと歌われていました。この部分は直接的にはそこを受けています。すなわち,悪い夢を見て泣くなどということはいい年をしてすることでもないから,泣かないのです。このことはあんたについては妥当するかどうか不明だといわなければならないでしょうが,少なくとも歌い手であるあたしにとっての事実であるのは間違いないのでしょう。そして泣くかわりにばか笑いをするので,この女は周囲からはおつむが軽いとみられているのかもしれません。歌い手であるあたしは,自分で自分のことをおつむが軽いと歌っているわけですが,それは必ずしも自己評価であるとはいえず,他人の評価を受け入れているだけなのかもしれません。
 ことば遊びというのは3行目の,ばか笑いを続けることを,いつも通りであたし通りだと歌っている部分です。この通りというのはアホウドリのドリに通じています。これは文字だけではひょっとすると分からないかもしれません。ですが楽曲を聴けば,それがいつも鳥,あたし鳥,とも聴くことができるのは間違いないと思います。

 役所から送られてくる書面の文章というのは僕にとっては難解なものが多く,何を要求されているのかが分からないというケースも多々あります。この時点で僕が認識していたのは以下のよっつの事柄でした。
 第一に,重度知的障害者である妹が,公的サービスを受けるためには受給者証が必要であるということ。
 第二にこの受給者証を取得するために医師の所見を区役所あるいは福祉事務所に提出する必要があること。
 第三に所見を記入する医師は妹の主治医である必要があること。
 第四になおかつそれは精神科医でなければならないということ。
 実際のところをいうと,僕のこの認識には誤りが含まれていました。ですがそれが僕に判明するのは12月になってからで,三者面談のときには上述したような認識でいたと理解してください。
 受給者証はこれまでももらっていました。妹がグループホームに入所するにあたって,グループホームに預けて管理してもらっているのでこれは間違いありません。というか,受給者証がなければ入所することはできませんでした。ただ,それをもらう手続きはこれまではすべて母がやっていましたから,僕がこの手続きをするのは初めてでした。今回からは受給者証の取得に支援計画書の作成も必須になり,これは母はやっていなかったことになりますが,医師の所見は従来から必要とされていましたから,だれかに書いてもらっていたのは間違いないのです。
 妹はこども医療センターでは遺伝科という診療科に通院していました。その遺伝科の主治医が精神科医であったのかは分かりません。そもそも遺伝科という名称自体が非常に珍しいものなのではないかと思います。とはいえ,たとえば妹のDNAにどのような変異があるのかといったようなことは,こども医療センターで調べて判明したのです。そしてこども医療センターでは,広範な意味で内科的なといえるようなことはすべて対象となっていましたから,仮に主治医が精神科医でなくても,精神科医の判断は仰げる筈です。だから僕は,前回の受給者証の取得までは,この所見を書いていたのはこども医療センターの主治医だったのだろうと推測しました。
コメント
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