スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

NHK杯テレビ将棋トーナメント&矛盾

2012-03-24 18:40:59 | 将棋
 将棋の第61回NHK杯は,18日に決勝戦が放映されました。対戦したのは羽生善治二冠と渡辺明竜王。現将棋界の頂上対決といっていいでしょう。席次は渡辺竜王が上位ですが,この棋戦は羽生二冠が三連覇中ということもあり,王を持っての一局。過去は羽生二冠が15勝,渡辺竜王が19勝。
 羽生二冠の先手で相矢倉。両者は前年度の準決勝で当たっていて,その将棋をなぞる展開。先手が勝ったのですが,先手の方から81手目に手を変えました。
                        
 驚くほどのスピードで進んだ将棋でしたが,ここでは少し時間を使っていました。▲4六桂は僕が最も有力ではないかと思っていた手。△3九飛は,攻めを考えれば変な位置に打ったとも思えますが,むしろ受けの意味ですから理解できます。ただ次に▲4八銀と打って,無理に飛車をどかそうとするのは考えていない手で,この将棋では最も驚いた一手でした。3八では効きを止められますから,△3六飛成。先手は▲8一馬と補充。△4五歩は強気な感じもしますが,こうやるのではないかと思ってはいました。そのまま取られてはひどいですから▲3四桂と取るのは普通で△同龍は当然。そこで▲9一馬とさらに補充しました。
                        
 勝敗が決するような差がついているわけではないでしょうが,初期局面で先手が先に指すことができる程度か,それよりやや大きなリードを先手が保っているようです。後手は息長く入玉を目指して指すべきであったかもしれませんが,そこは渡辺竜王らしく攻め合いを選択。この結果,後手玉は受けが効かない形になり,先手玉が詰むかどうかの勝負に。非常にきわどい形で,僕が30秒で指せば間違いなく詰まされていたように思いますが,羽生二冠は的確に対応。逃げ切って先手の勝ちとなりました。
 羽生二冠は第38回で初優勝。41回,45回と制した後,47回と48回を連覇。さらに50回を制すると58回,59回,60回と三連覇中で,四連覇で10回目の優勝。これにより名誉NHK杯の称号獲得。名誉NHK杯は囲碁ではいますが将棋では初めて。このためNHKのニュースでも伝えられました。
                        

 一般的にスピノザの哲学において,ある観念が第一部定理二一の様式で発生すると主張する場合,それは同時に次のような意味を含んでいなければならないと僕は考えます。
 ある観念が神の思惟の属性から発生すると主張することは,それが思惟する絶対的な力を原因として発生するといっていることにほかなりません。これは第二部定理一第一部定理一一で示されている考え方からして否定することは不可能でしょう。するとこのとき,もしも結果としてある個物の観念が発生するなら,そうした思惟する絶対的な力を原因としなければ発生することはないといわなければなりません。これは第一部公理三ふたつの意味のうち,弱い意味の方から明らかで,これを否定することも僕には不可能であるように考えられます。したがって要するにこれは,こうした観念というのは,思惟する絶対的な力を有するもののうちにだけ発生するのであって,そういった力を有さないもののうちには発生しないということだろうと思うのです。
 したがって,神の思惟の属性に包含されている限りで存在する個物の観念の原因が神の思惟の属性であると主張するなら,これは思惟する絶対的な力を有さないような知性,ここでは僕はとくに人間の知性のことを念頭においてそういっているのですが,そうした知性のうちにはそれが発生しないと結論しなければならないと思います。もちろんそれはそのように主張しても構わないわけですが,しかしこれには明らかにある不都合が生じていると思います。というのも,たとえ第三種の認識に依拠しているとはいえ,スピノザ自身が,むしろこうした観念は人間の知性のうちに発生し得る,あるいはある人間の知性の一部を構成し得ると主張していると僕には思えるからです。少なくともスピノザが,個物の十全な観念が人間の知性のうちにも生じ得ると主張するとき,それを,現実的に存在する個物の観念だけに限定してそのようにいっているというわけではなくて,むしろ個物の観念が神の思惟の属性に包容されている限りにおいても該当すると主張しているとしか僕には考えられないからです。したがって,こうした主張は,明らかに矛盾を抱えてしまうと思えます。
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