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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ウィナーズカップ&ゲーテの場合

2019-03-25 19:03:22 | 競輪
 大垣競輪場で行われた昨日の第3回ウィナーズカップの決勝。並びは渡辺‐郡司‐中村の南関東,脇本‐浅井の近畿中部,太田‐松浦の四国中国で山崎に佐藤。
 取り合いになったスタートを佐藤が取って山崎の前受け。3番手に太田,5番手に脇本,7番手に渡辺で周回。残り3周のバックを過ぎると渡辺が上昇を開始。これをみて太田も動き,まず太田がホームで山崎を叩いてそのまま誘導も斬りました。渡辺はさらに上昇。バックで太田を叩いて前に。4番手に太田,6番手に引いた山崎,8番手に動かなかった脇本の一列棒状となって打鐘。すぐに山崎が発進。ホームで渡辺を叩くことに成功。しかし脇本が発進するとバックであっさりと山崎を捲り,追走の浅井と3番手以下を離してふたりの優勝争い。浅井の差し込みを凌いだ脇本が優勝。浅井が4分の3車輪差の2着で近畿中部のワンツー。渡辺が叩かれたため自力に転じて前を追った郡司が4車身差の3着。
                                       
 優勝した福井の脇本雄太選手は10月の寛仁親王牌以来の優勝でビッグ3勝目。優勝から遠ざかっていたのは競技に力を入れているためで,競輪は今年はこれが初出走。ここは脚力は上位ですが,南関東は渡辺が捨て身で駆けて郡司が番手捲りというレースが予想され,郡司クラスの選手にこれをされると脇本でも厳しいというケースもあり得ると思っていました。しかし渡辺はあまり早くから駆けていくことはせず,しかも山崎に叩かれてしまうという失敗レースに。こうなれば脇本には願ってもない展開。準決勝まではずっと後ろが離れていただけに,しっかりマークして差を詰めた浅井も強かったです。

 具体的な例をいくつかみていきます。
 『ゲーテとスピノザ主義』や『ゲーテ『親和力』における「倫理的なもの」』を読むと,ゲーテJohann Wolfgang von Goetheは小説や詩などの文学作品を作るときにスピノザの哲学を意識していただけではなく,自然科学の研究をする場合もスピノザの哲学を参考にしていたふしがあることが窺えます。これはきわめて特異な例といえるように思いますが,ある時代においては自然科学者というのはスペシャリストのことではなく,むしろゼネラリストであった時代があるわけで,現代的な感覚では特異でも,過去にはそうではなかったのかもしれません。たとえばデカルトやライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizが数学を研究するとき,自身の哲学のことが念頭になかったとは考えられないからです。一方,人文科学でいえば,スピノザの政治論は哲学ありきの政治論であることは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』からも『国家論Tractatus Politicus』からも明白で,これと同じようなことがゲーテの場合にも発生していたと考えるのがよいでしょう。
 ただ,自然科学を専門的に研究する研究者というのは,研究の後にそれを支える形而上学や方法論がどのようなものであるのかということを意識するということはあっても,最初からある形而上学と方法論を念頭に置いて自然科学の研究に入るというのは珍しいでしょうから,この意味ではゲーテの自然研究は特異であるといってよいだろうと僕は思います。これは文学作品の創作の場合にもたぶん同様です。たとえばスピノザの哲学に感銘を受けたのでスピノザを賛美する詩を創作するということは珍しいことだとは僕は思いませんが,ゲーテの場合はスピノザの思想の方を意識して創作活動に入っているからです。
 ゲーテの研究に顕著にみられるのは方法論の観点です。哲学的方法というのは分類の仕方がいくつかありますが,その中に分析的方法と綜合的方法という分類があり,スピノザは方法論としては後者を支持していました。これはスピノザが何をもって数学というのかということとも関連するのですが,それについては後述します。ゲーテはこの方法論を手掛かりとして,自然研究の道に入っています。つまりゲーテの自然学は,まず方法論ありきであったのです。
コメント
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