スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

北条早雲杯争奪戦&切断

2014-08-17 18:43:09 | 競輪
 記念競輪としては最上級といえるメンバーでの争いになった小田原記念の決勝。並びは新田に柏野、根田-桐山-林の南関東、浅井-村上-南の中部近畿で笠松は単騎。
 南がさっとスタートを取って浅井の前受け。4番手に新田、6番手に根田で、単騎の笠松は南関東ラインを追走するレース。残り3周のホームの出口から根田が一気に上昇。新田も動いて笠松の後ろに入り、7番手に浅井となって一列棒状。根田はそのままほとんど緩めず、残り2周のホームからはスピードを上げて先行。新田は残り1周を過ぎてから動き出しましたが、林にうまく牽制され、スピードに乗りきれず。その間にバックから桐山が番手捲りを敢行。林と新田が競るような形になり、少し差が開いたこともあり、最後まで危なげなく優勝。林を極めた新田が1車身差で2着。新田マークの柏野が4分の3車身差で3着。
 優勝した神奈川の桐山敬太郎選手はデビューおよそ11年で記念競輪初優勝。2007年にS級に特進してからはずっとその地位を守っていて、同年9月の初優勝以降、FⅠでは何度も優勝していますから、記念競輪はいつ勝ってもおかしくない力がありました。今日は根田が思い切りよく駆け、後ろの林もよい仕事をしてくれた上、流れ上ですが笠松もラインに続く競走となり、かなり恵まれたところはあります。トップクラスの実力をもっているとまではいえませんが、そこまでいく可能性は残っていると思いますし、たとえそうでなくても、記念を制覇するチャンスはまだまだあるだろうと思います。

 第一部定理二八および第二部定理九でスピノザが「無限に進む」というとき,そこにある消極的意味を発見することが可能です。これと同じことが,個物res singularisの複合の無限連鎖を,「無限に進む」といい表したときにも生じると僕は考えます。なぜなら,任意に抽出されたどのres singularisも,他のres singularisと協同して複合個体を構成しますが,その複合個体自体は必ずres singularisなのです。これでみれば分かるように,この連鎖はたとえどこまで進めていったところで,最終的に現れる個体はres singularisであり,それ以外のものではあり得ません。いい換えれば,これを無限に進めていった先に間接無限様態があるというのは,間接無限様態がres singularisであるというのでない限り,論理矛盾です。
 こう考えると,第二部自然学②補助定理七備考のテクストをどのように調整すればいいかが分かってきます。それはつまり,存在するどの物体corpusも,ほかの物体と協同でより複雑な物体を構成するということを暗に示唆している部分と,不変の形相formaを有する物体的自然について言及している部分に,意味上の切断が存在していると解釈することです。
 まず,この考察の前提では,間接無限様態は部分に分割することはできません。ただし,だから間接無限様態の内部では何事も生じないのかといえば,そうではありません。その内部でどんな事柄が生じたとしても,間接無限様態はその本性essentiaおよび形相を維持するのです。文章は確かに物体が延長の属性Extensionis attributumの間接無限様態の部分を構成するかのように記述されてはいます。しかし僕の考えでは,この箇所の主旨は,個々の物体は延長の属性の間接無限様態の本性および形相を維持するような仕方で,無限に多くの延長作用すなわち運動motusおよび静止quiesをするということだと理解します。このことは,延長の属性の間接無限様態にのみ妥当するのではなく,すべての属性において一致します。そしてこの意味において,間接無限様態が仮にひとつの個体ではあっても,res singularisではないと解します。
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