スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典さきたま杯&第三部定理五八証明

2018-05-30 19:03:14 | 地方競馬
 第22回さきたま杯。キングルアウは競走除外で11頭。森泰斗騎手が25日の最終レースで落馬し,大怪我を負ったためネロは矢野騎手に変更。
 激しい先行争いになりましたが絶対に逃げたかったであろうノブワイルドがハナを奪いきり,2馬身ほどのリード。序盤に競り掛けたネロが2番手。1馬身強でグレイスフルリープが3番手。この後ろにサクセスエナジーとナガラオリオン。その後ろにアンサンブルライフ,サクラレグナム,ベストウォーリアの3頭。ここから2馬身ほど開いてキタサンミカヅキでその直後にトロヴァオ。ユッコは大きく離されました。最初の600mは35秒1のハイペース。
 3コーナーを回るとネロは一杯になり,グレイスフルリープが2番手。直線に入ってグレイスフルリープがノブワイルドを抜いて先頭に立ちましたが,その外からサクセスエナジーとキタサンミカヅキが並んで伸び,あっという間にグレイスフルリープを捕えると2頭のマッチレース。激しい競り合いがフィニッシュまで続き,見た目ではどちらが勝ったかまったく分かりませんでした。写真判定になり,優勝は内のサクセスエナジー。キタサンミカヅキがハナ差で2着。アンサンブルライフがフィニッシュ前に一旦先頭のグレイスフルリープを差して4馬身差の3着。グレイスフルリープがクビ差で4着。
 優勝したサクセスエナジーかきつばた記念からの連勝で重賞2勝目。前走で地方競馬の馬場への適性はクリアしていましたので,ここも優勝候補の1頭。2着馬より1キロ軽い斤量でしたので,現時点での能力が上とみるのは早計かもしれませんが,前走とは明らかに違った形のレースでも結果を出せたのは収穫でしょう。4歳馬ですから今後の短距離路線の中心的存在となり得そうです。父はキンシャサノキセキ。母の父はジャングルポケット。母の8つ上の半姉が2002年にフィリーズレビューを勝ったサクセスビューティ。4代母は日曜に日本ダービーを勝ったワグネリアンの5代母です。
 騎乗した松山弘平騎手と管理している北出成人調教師はさきたま杯初勝利。

 喜びlaetitiaすなわち善bonumが,僕たちの現実的本性actualis essentiaを十全な原因causa adaequataとしても生じ得るということは第三部定理五八から明らかです。
                                
 第三部定理五三にあるように,僕たちは僕たち自身の働く力を観想するagendi potentiam contemplaturならそのことを原因として喜びを感じますlaetur。そして僕たちは僕たち自身のうちに十全な観念idea adaequataが発生するなら,そのことを原因causaとして自分自身を観想します。というのも第二部定理四三により,僕たちは僕たち自身のうちに真の観念idea veraすなわち十全な観念を有していれば,自分がそうした観念を有していること,いい換えればその観念を有している自分自身を知ることができるからです。そして第二部定理三八第二部定理三九の様式を通して,僕たちは現実的に存在するなら,第二部定理三七によりそれは個物res singularisの十全な観念ではありませんが,必ず共通概念notiones communesといわれる十全な観念を有しています。また,第三種の認識cognitio tertii generisを通して個物の十全な観念を有する場合もあります。したがって僕たちは,十全な観念を原因としても喜びを感じます。いい換えれば僕たちの現実的本性だけを原因として喜びを感じるのです。よって僕たちにとっての善が,僕たち自身を十全な原因として発生する場合もあり得るのです。というか,第二部定理三八系により僕たちは少なくとも共通概念を有さないことは不可能なので,必然的にnecessarioあるといわなければなりません。
 現在の考察とは無関係ですが,欲望cupiditasについても証明しておきましょう。
 第三部定理九により,僕たちは十全な観念を有していようと混乱した観念idea inadaequataを有していようと,自己の有に固執する力すなわちコナトゥスconatusは有しているのであり,かつそれを意識することができます。そしてこのコナトゥスこそはスピノザがいっている欲望にほかなりません。したがって十全な観念を有する限りで僕たちのうちに欲望が生じます。ですから僕たちの現実的本性だけを原因として何らかの欲望が発生し得るのです。というよりも,現実的本性そのものを欲望と解した方が適切といえますから,十全な観念を有する限りでも僕たちは欲望を有しているのであり,よって第三部定理一により,僕たちは働く限りにおいて,いい換えれば僕たち自身を十全な原因として,何らかの事柄を現に欲望していることになります。
コメント
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