昨日の第46回高松宮記念。
先行争いになることが容易に推測できましたが,ハナを奪ったのはローレルベローチェ。2番手にハクサンムーン,3番手にミッキーアイルとなりました。少し離れた4番手にビッグアーサー。この後ろはサクラゴスペル,サトノルパン,アクティブミノルの3頭の集団。そしてブラヴィッシモ,スノードラゴン,アルビアーノ,ウリウリの4頭が集団で追走。前半の600mは32秒7のハイペース。
直線に入るところでローレルベローチェがやや外に出るような形に。自然とハクサンムーンがその外になり,さらにその外になったミッキーアイルが前の2頭を差して先頭。さらにこの外からビッグアーサーが伸びてミッキーアイルを差し切ってレコードタイムで優勝。4分の3馬身差の2着にミッキーアイル。内目から馬群を割るように伸びたアルビアーノが1馬身4分の3差で3着。
優勝したビッグアーサーはこれが重賞初勝利での大レース制覇。5歳ですが虚弱体質の影響もあり,3歳4月にデビューして4歳の6月まで5連勝。その後もオープンは勝ち,重賞でもすべて入着。前走の5着がワースト着順でしたが,京都の1200mの大外枠での敗戦はあまり気にする必要がないもので,僕はここでは最有力候補と考えていました。条件戦でもスプリント戦で連戦連勝するような馬は大概は大成するもので,それを実証する形。1600mでも長いかもしれない典型的なスプリンターではないでしょうか。右回りより左回りの方が馬にとって走りやすいということはあるかもしれません。レコードタイムは馬場状態の影響が大きかったものと判断します。父はサクラバクシンオー。
騎乗した福永祐一騎手は昨年の南部杯以来の大レース制覇。第24回以来12年ぶりの高松宮記念2勝目。管理している藤岡健一調教師は開業から約13年4か月で大レース初勝利。
第三種の認識cognitio tertii generisが第二種の認識cognitio secundi generisを否定しないということは,認識の様式として直観scientia intuitivaが推論を否定しないことを直ちに意味しなければなりません。確かに推論なくして直観なしと断言するのは危険性が伴いますが,認識の様式として推論が直観に対立することはあり得ないという結論にはなるからです。なぜなら,もしも第三種の認識と第二種の認識が,認識の様式として対立的であるとするなら,一方が他方を排除するという関係にあるのでなければなりませんが,『エチカ』の記述は明らかにそういう関係があるということを否定していると僕は考えるからです。
たとえば第二部定理四一の記述というのは,僕がいう意味においての虚偽falsitasと真理veritasとの関係から,第二種の認識と第三種の認識は対立的ではなく,むしろそれらふたつの認識が,第一種の認識cognitio primi generisと対立するということを示しています。そして次の第二部定理四二の記述も,第二種の認識と第三種の認識は共に真理の規範になるという点での共通性を有し,真理の規範とはなり得ない第一種の認識と対立するという主旨の記述になっています。これらから理解できるように,少なくとも真理と虚偽という観点からみる限り,第二種の認識と第三種の認識が対立するということはあり得ず,むしろそれぞれが第一種の認識と対立するのです。『エチカ』における最終的な目標が,現実的に存在する人間が享受する至福beatitudoにあるのだとしても,記述自体は真であるか偽であるかの二項対立でなければなりません。だから『エチカ』が第二種の認識に基づいて記述されていたとしても,それはそのことだけを根拠にして記述が真であるということの証明Demonstratioになりますし,少なくとも真偽の観点からは,第三種の認識によって排除されたり否定されたりしなければならない記述ではあり得ないということになります。

ですが,第三種の認識が第二種の認識を排除しないという点だけに注目するなら,そのことを最も明瞭に示しているのは第五部定理二八であるといえるでしょう。
「物を第三種の認識において認識しようとする努力ないし欲望は,第一種の認識から生ずることはできないが,第二種の認識からは生ずることができる」.
先行争いになることが容易に推測できましたが,ハナを奪ったのはローレルベローチェ。2番手にハクサンムーン,3番手にミッキーアイルとなりました。少し離れた4番手にビッグアーサー。この後ろはサクラゴスペル,サトノルパン,アクティブミノルの3頭の集団。そしてブラヴィッシモ,スノードラゴン,アルビアーノ,ウリウリの4頭が集団で追走。前半の600mは32秒7のハイペース。
直線に入るところでローレルベローチェがやや外に出るような形に。自然とハクサンムーンがその外になり,さらにその外になったミッキーアイルが前の2頭を差して先頭。さらにこの外からビッグアーサーが伸びてミッキーアイルを差し切ってレコードタイムで優勝。4分の3馬身差の2着にミッキーアイル。内目から馬群を割るように伸びたアルビアーノが1馬身4分の3差で3着。
優勝したビッグアーサーはこれが重賞初勝利での大レース制覇。5歳ですが虚弱体質の影響もあり,3歳4月にデビューして4歳の6月まで5連勝。その後もオープンは勝ち,重賞でもすべて入着。前走の5着がワースト着順でしたが,京都の1200mの大外枠での敗戦はあまり気にする必要がないもので,僕はここでは最有力候補と考えていました。条件戦でもスプリント戦で連戦連勝するような馬は大概は大成するもので,それを実証する形。1600mでも長いかもしれない典型的なスプリンターではないでしょうか。右回りより左回りの方が馬にとって走りやすいということはあるかもしれません。レコードタイムは馬場状態の影響が大きかったものと判断します。父はサクラバクシンオー。
騎乗した福永祐一騎手は昨年の南部杯以来の大レース制覇。第24回以来12年ぶりの高松宮記念2勝目。管理している藤岡健一調教師は開業から約13年4か月で大レース初勝利。
第三種の認識cognitio tertii generisが第二種の認識cognitio secundi generisを否定しないということは,認識の様式として直観scientia intuitivaが推論を否定しないことを直ちに意味しなければなりません。確かに推論なくして直観なしと断言するのは危険性が伴いますが,認識の様式として推論が直観に対立することはあり得ないという結論にはなるからです。なぜなら,もしも第三種の認識と第二種の認識が,認識の様式として対立的であるとするなら,一方が他方を排除するという関係にあるのでなければなりませんが,『エチカ』の記述は明らかにそういう関係があるということを否定していると僕は考えるからです。
たとえば第二部定理四一の記述というのは,僕がいう意味においての虚偽falsitasと真理veritasとの関係から,第二種の認識と第三種の認識は対立的ではなく,むしろそれらふたつの認識が,第一種の認識cognitio primi generisと対立するということを示しています。そして次の第二部定理四二の記述も,第二種の認識と第三種の認識は共に真理の規範になるという点での共通性を有し,真理の規範とはなり得ない第一種の認識と対立するという主旨の記述になっています。これらから理解できるように,少なくとも真理と虚偽という観点からみる限り,第二種の認識と第三種の認識が対立するということはあり得ず,むしろそれぞれが第一種の認識と対立するのです。『エチカ』における最終的な目標が,現実的に存在する人間が享受する至福beatitudoにあるのだとしても,記述自体は真であるか偽であるかの二項対立でなければなりません。だから『エチカ』が第二種の認識に基づいて記述されていたとしても,それはそのことだけを根拠にして記述が真であるということの証明Demonstratioになりますし,少なくとも真偽の観点からは,第三種の認識によって排除されたり否定されたりしなければならない記述ではあり得ないということになります。

ですが,第三種の認識が第二種の認識を排除しないという点だけに注目するなら,そのことを最も明瞭に示しているのは第五部定理二八であるといえるでしょう。
「物を第三種の認識において認識しようとする努力ないし欲望は,第一種の認識から生ずることはできないが,第二種の認識からは生ずることができる」.