スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

小鹿の雑感⑨&横柄な態度

2019-03-04 19:13:53 | NOAH
 小鹿の雑感⑧で示した,馬場は日本プロレスの悪しき面を改革しようとしていたという小鹿の見解に対して,天龍は馬場が目指したのは日本プロレスとアメリカンプロレスをミックスさせたものだったといっています。馬場は修業時代にアメリカで高額のファイトマネーを得られるトップレスラーになっていましたから,アメリカンプロレスに対する憧憬があったのは事実だと思います。そして全日本プロレスはアメリカで人気の高かったレスラーを数多く招聘し,それで興行を成り立たせようとしていましたし,NWAの権威を高く認めてもいましたから,実際に全日本プロレスを設立した頃に目指していたプロレスがそのようなものであったのは事実と僕は思います。天龍は試合が終わったらノーサイドであるとか,すべてのものを超えたのがプロレス,これはおそらく有名な発言である,プロレスを超えたものがシューティングではなくシューティングを超えたものがプロレスであるということばを念頭に置いたものだと思いますが,馬場はよくそのようなことを言っていて,そうしたことばの中にもそれが含まれているのだとみています。ただこれらはどちらかといえば,アメリカンプロレスの影響を大きく感じさせるものであって,日本プロレスからの影響というのは僕には感じ取ることができないです。
 ただ,馬場は晩年にはアメリカのプロレスに対しては幻滅していたと思います。三冠ヘビー級というベルトを創設したのは,もはやNWAの権威,それが馬場にとってのアメリカンプロレスの権威そのものであったと僕は解していますが,その権威を認めなくなったためだと思うのです。同様にタッグの王者には世界タッグという名称をつけましたが,これなどは全日本プロレスの王者が世界の王者であるという馬場の矜持だったのではないかと思います。馬場が全日本プロレスの当初に目指していたと思われるアメリカンプロレスというのは,どんなに遅く見積もってもネイチャーボーイの時代が終焉した頃には消滅していたと思いますし,馬場自身がフレアーのタイトルには挑戦しなかったということを考慮に入れれば,美獣の時代までだったのかもしれません。

 このときに,これまで医師の所見を記入していたのはこども医療センターの主治医であったということの僕の推測の正しさが確認されました。僕はそれを調べてくれた担当者に対して,現時点ではこども医療センターに通院していないので,その医師に依頼することはできないという旨を告げました。それならば早急に主治医を決定し,その医師に所見を書いてもらうようにという返答でした。
 その主治医というのは精神科医のことであると僕は解しました。実際にはそうではなかったのですが,僕はそれ以上のことは確認しなかったのです。というのは,このときに応対した担当者が,僕が腹立たしいと感じるくらい横柄であったので,あまり長く話をしていたくなかったからです。今から考えれば,おそらくそれは普通の態度であったのでしょう。たぶんこの担当者は,僕が障害支援区分認定という制度のことをよく知っていると勘違いしたために,僕の質問をあまりに当たり前の質問であると思われたのだろうと思います。それが態度となって表出されたのでしょう。僕自身がこの認定の手続きをするのは初めてであるということをよく分かるように伝えておけば,もっと親切に対応してくれたのだろうと思います。
 いずれにしても精神科医の主治医を決定しなければならないという僕の認識はこの時点では変わりませんでした。ですがすでに説明した通り,僕にはそういうあてがありませんでしたし,妹の通所施設で精神科検診を行っている医師には頼めないということも分かっていましたので,次の本牧脳神経外科への通院のときに,よさそうな精神科医を紹介してもらうほかないだろうと思いました。
 11月22日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。23日は勤労感謝の日で祝日だったからです。夜の8時にピアノの先生から電話がありました。11日に延期となったピアノのレッスンの開始時刻の件でした。
 11月25日,日曜日。この日のレッスンは予定通りに行われました。午後3時半からでした。
 11月26日,妹を通所施設に送りました。送った後,11時40分に区役所からの電話がありました。これも障害支援区分認定に関係する件でした。
コメント
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