スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ニューイヤーカップ&管理のための要求

2019-01-09 19:17:33 | 地方競馬
 第62回ニューイヤーカップ
 マムティキングは立ち上がり3馬身の不利。アギトはダッシュがつかず5馬身の不利。内目の枠に入ったヒカリオーソが逃げると予想していましたが,まず先頭に立ったのはトーセンボルガ。正面に入って外からこれを追い抜いたレベルフォーの逃げに。向正面に入ったところでリードは3馬身。2番手にトーセンボルガ。4馬身差で3番手がヒカリオーソ。アイアスがその外。4馬身差の5番手にトーセンガーネット。5馬身差でマイコート。6馬身差でカネトシテッキンとレオズソーダライト。3馬身差でスズブルースカイとマムティキング。3馬身差の最後尾にアギトというとても縦に長い隊列。前半の800mが47秒9という猛烈なハイペース。
 レベルフォーの逃げは向正面まで。どうやら心房細動を発症したようで競走中止。トーセンボルガが先頭に立ち,アイアスが2番手。内にヒカリオーソで外からトーセンガーネット。さらにマイコートが追ってくるという形でコーナーを通過。アイアスは一杯になり,トーセンガーネットがトーセンボルガに並び掛けて直線の入口へ。ここでトーセンボルガも一杯。トーセンガーネットがやや外に膨れたので,その外を回っていたマイコートはトーセンガーネットの内に進路を取り,ずっと内を回ってきたヒカリオーソと並んで追い上げようとしましたが,直線ではトーセンガーネットが差を広げる形になり優勝。内目を何とか捌いてきたヒカリオーソが1馬身半差で2着。マイコートはクビ差の3着。
 優勝したトーセンガーネットはこれが2勝目で南関東重賞初制覇。平和賞ではヒカリオーソの2着でしたが,今日はヒカリオーソがスムーズさを欠いた分,逆転したという形。ですからこの2頭は実力の差はさほどないとみてよいようです。となると牡馬のクラシック路線ではやや厳しいという気がするのですが,この馬は牝馬ですから,同じ条件の桜花賞では可能性があるとみておいた方がいいでしょう。父はアグネスデジタル。母の父はクロフネ。祖母のひとつ下の全弟に2004年にデイリー杯2歳ステークス,2005年にシンザン記念に勝ったペールギュント
 騎乗した浦和の短期免許を獲得中の五十嵐冬樹騎手は2001年2月に報知グランプリカップを勝って以来の南関東重賞2勝目。同年の12月には全日本2歳優駿も勝っています。管理している浦和の小久保智調教師第57回,58回に続く4年ぶりのニューイヤーカップ3勝目。南関東重賞は33勝目。

 原理に例外はあるのですが,食とか睡眠,排泄に関わる観念ideaは,基本的には第二部定理一二が原理となって現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちに発生ます。これが原理となっているということが重要なのは,この定理Propositioは続く第二部定理一三,すなわち僕たちの精神は僕たちの身体の観念であることを導くための鍵となっている点なのです。とりわけ僕たちは食欲の赴くままに食べるとか,睡眠欲に従属するがままに眠ることについては,排泄の場合のようなトレーニングすなわち学習を課せられることがありません。食を管理するとか統御するとかいうのは一般的には食べ過ぎないように注意するという意味をもつのであって,これは節制temperantiaに属します。節制は精神の力potentiaなのであって,僕たちがそれについて学習して習得する技術とは異なります。睡眠を管理するとか統御するというのは,寝不足に注意するか,そうでなければ寝坊とか寝過ごしをしないようにすることを意味するのであって,これは睡眠そのものというより自分にとっての時間tempusを管理したり統御したりすることを正確には意味するのであり,睡眠をそれ自体で統御したり管理することを意味はしません。というか,眠っている間に何かを統御したり管理したりすることは僕たちには不可能なので,これは当然といえば当然といえるでしょう。
                                
 ところが,僕たちが習得を求められるトイレトレーニングの場合には,排泄をそれ自体で統御したり管理したりすることを要求されます。そして統御するとか管理するということの意味は,適切な場所で適切な仕方で排泄するということなのです。なので,ある場合には排泄に関する欲望cupiditasに従ってはいけないけれども,ある場合には従ってもよいということを意味することとなり,従ってよい場合にはむしろ積極的に従うということを求められ,そうでない場合は従わないことを求められるのです。よってそうした欲望があるということが意識されているということが第一歩の段階で必要になるのです。このために,精神が身体の観念であるということが,食や睡眠の場合よりもずっと重要になります。というか,そのことも知っているということを実際には要求されているのです。
コメント
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