スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

フサイチリシャール&第四部定理五七の意味

2018-02-15 19:21:26 | 名馬
 7日の報知グランプリカップを勝ったリッカルドの父はフサイチリシャールです。
 父はクロフネ。母が1999年にシンザン記念と桜花賞トライアルの4歳牝馬特別,2000年にダービー卿チャレンジトロフィーとマーメイドステークスを勝ったフサイチエアデール。ひとつ上の4分の3姉が2005年にクイーンカップを勝ったライラプス。Richardはブランデーの名前。
 2歳9月にデビュー。新馬は2着で2戦目で初勝利。3戦目にオープンも勝って東京スポーツ杯2歳ステークスをレコードタイムで制して重賞初制覇。さらに朝日杯フューチュリティステークスで大レース制覇を達成。この年のJRA賞の最優秀2歳牡馬に選出されました。
 3歳初戦の共同通信杯はアドマイヤムーンの2着。スプリングステークスも2着で皐月賞は5着。NHKマイルカップが6着でダービーは8着。この春は尻すぼみの戦績でした。
 秋の初戦は神戸新聞杯で4着。ダート路線に切り替え武蔵野ステークスに出走して5着。ジャパンカップダートは13着に大敗。また芝に戻って阪神カップを制しました。
 4歳初戦の京都金杯は13着と謎の大敗。ドバイに向かってダートのゴドルフィンマイルに挑戦するも6着。帰国して出走した京王杯スプリングカップは5着。CBC賞で12着に敗れてこの春のキャンペーンは終了。
 秋の初戦はセントウルステークスで12着。スワンステークスは2着に頑張ったもののマイルチャンピオンシップダイワメジャーの12着。連覇を狙った阪神カップはスズカフェニックスの12着でした。
 5歳初戦は阪急杯で8着。そして出走したのが高松宮記念。個人的に思い出深いレースです。
 関連性などまったくなさそうなのですが,東京スポーツ杯2歳ステークスを好走した馬が高松宮記念に出走すると好走するという傾向があります。そこで僕はこのレースでこの馬を狙いました。直線で先頭に立ち,これは勝ち負けではないかと思ったところで急激に失速。レース直後は非常に不可解な思いだったのですが,レース中に故障を発生したからでした。それがなければ,という思いは10年近くが経過した今でもあります。結果的にこのレースで現役生活を終えることになってしまいました。
 成績だけみると早咲きで,3歳以降は確たる結果を残せなかった馬。2015年産まれの現役馬までは残っていますが,リッカルドが代表産駒になるという可能性が高いのではないかと思います。

 第四部定理五七を解するにあたって注意しておかなければならないのは,高慢superbiaという感情affectusに支配されている人間と,その人を過大に評価する阿諛追従の徒が,別々に存在するとは限らないということです。むしろ同じ人間が,高慢に隷属した人間であり,また阿諛追従の徒であるということもあるのです。
                                
 阿諛追従の徒を,僕は高慢な人物を過大に評価する人間であると解します。ただ,第四部定理五七備考にあるように,他者を過少に評価して相対的に自身を過大に評価している人間も高慢といわれるのと同じで,高慢な人間のことを過大に評価しないにしても,その人が過少に評価している人のことをその人と同じように過少に評価するなら,総体的にはその人を過大に評価していることになりますから,これもまた阿諛追従の徒といわれなければなりません。したがって,Aという人間がXという民族に排他的感情を有することによって排他的思想を有し,このためにXという民族に属する人のことを,その民族の人間であるということを理由として過少に評価するなら,Aという人間は高慢であることになります。このとき,Bという別の人物が,Aと同じような排他的感情および排他的思想を有し,かつAと同じ理由によってXという民族に属する人のことを過少に評価するなら,Bもまた高慢であるといわれますが,同時にこの人はAのことを相対的に過大に評価していることになりますから,Aの阿諛追従の徒であるということにもなります。同じことはAについてもいえるのであって,Aは単に高慢であるだけでなく,Bにとっての阿諛追従の徒であることになるのです。このようにして同じ対象に排他的思想を有する複数の人物は,高慢な人間であると同時に,互いに互いが阿諛追従の徒であることにもなります。そして第四部定理五七により,高慢な人間は阿諛追従の徒のことを愛するのですから,AはBを愛し,BはAを愛するでしょう。一般に排他的思想を有する人は,同じ思想を有する人びとと徒党を組みがちですが,そうなるのにはこのような必然的なメカニズムが働いているといえるでしょう。阿諛追従の徒とは,同志とか仲間という意味でもあるのです。
コメント
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