一昨日の佐世保記念の決勝。並びは新山‐五十嵐の東日本,古性‐山田の近畿に柏野,井上‐坂本‐園田の九州で諸橋は単騎。
まず古性が誘導の後ろになりましたが,新山が追い上げてくると車を下げ,前受けは新山。3番手が古性,6番手の諸橋は結果的にこのラインの追走に終始。7番手に井上で周回。残り3周のバックから井上が上昇。新山は前を譲らない構えでしたが,ホームの手前でやや強引に井上が新山を叩いて誘導も斬りました。ホームでは古性も動いて1コーナーでは井上の前に。引いた新山がその後で発進。打鐘から新山の先行になりました。古性はうまく3番手には入ったものの新山のスピードアップに対応できず,五十嵐との車間が開きました。後方になってしまった井上はバックから発進したもののすぐ前にいた諸橋に牽制されてスピードダウン。徐々に五十嵐との差を詰めていった古性はその勢いのまま差しに回りましたが,後ろを見ていた五十嵐に牽制気味に踏み込まれて失速。古性の番手から山田がよく伸び,五十嵐とほとんど並んでフィニッシュ。ですが僅かに届かず,優勝は五十嵐。山田がタイヤ差の2着。逃げ粘った新山が半車輪差の3着で古性は8分の1車輪差の4着まで。
優勝した神奈川の五十嵐力選手は5月の小田原のFⅠ以来の優勝。記念競輪は2011年8月の富山記念以来となる記念競輪3勝目で佐世保記念は初優勝。このレースは井上が先行することは考えにくく,古性と新山なら先行意欲が高いのは新山の方なので,諸橋が新山の番手を主張するのではないかと思っていました。しかし五十嵐が新山マークを選択すると諸橋は単騎戦を選択。この両者の選択が明暗を分ける形になりました。古性はうまく立ち回りましたが,おそらく新山がどういうペースで先行していくのかを読み間違えたため,第二先行のような形になってしまいました。これも明暗を分けた部分でしょう。五十嵐は自力で記念競輪を優勝するほどの力は残っていないと思うのですが,これだけ楽に番手を回れれば優勝できると分かりましたので,今後はそういう競走を増やしていくことになるものと思います。
それでは8月17日,金曜日の朝の話に戻りましょう。
目が覚めたのは午前9時50分でした。葬儀は午前10時からで,これは遺体の火葬の前に済ませるために設定された時刻でしたから,変更の余地はありません。葬儀の開始に間に合わないのは確実でしたが,喪主である僕が参列しないわけにはいきませんから,さしあたり妹を起こし,着替えをさせて僕自身も喪服に着替えました。この喪服は父が死ぬ直前に購入した夏用のもので,もう体型は変化しませんから,同じ夏場ということもあり,母の儀式のときにも使用することになったものです。
このとき家には,僕たちのことを心配してくれた,父のきょうだいの三女の長男の奥さん,ややこしいいい方ですが僕からみれば義理の従姉が訪ねてくれていました。妹の着替えについては従姉にも手伝ってもらい,自動車で来ていましたので同乗させてもらい,式場に向いました。家を出たのは葬儀の開始時刻だった10時です。本門仏立宗の読経は概ね1時間はありますので,僕たちは導師による読経の最中に到着し,所定の席に座りました。この日は住職は来ず,導師だけでした。
読経が終った後,喪主としての挨拶を済ませ,導師の戻った部屋に挨拶に伺いました。これはお布施を渡すためです。前夜はこのときにいろいろ話したのですが,この日はまだ予定が詰まっていましたので,本当にお布施を渡しただけです。その後で式場に戻り,棺の中に花を入れました。また母はちぎり絵が趣味のひとつで,大腸癌が発覚した後は教室には通っていませんでしたが,それ以前に作った作品が家に何枚かありました。僕はそのうちの1枚を持っていき,それも棺の中に納めました。
式場と斎場は隣接していましたから,そのまま母の遺体は隣の斎場に運ばれました。そして時間通りに火葬のための炉の中に入れられました。火葬が終了するまでには時間がありますので,参列者はこの間は別室で待機することになりますが,ここで弁当を出しました。火葬が午前11時からでしたので昼食には少し早かったのですが,ここで解散することになっていましたので,軽食より食事の方がよいだろうと判断したのです。
まず古性が誘導の後ろになりましたが,新山が追い上げてくると車を下げ,前受けは新山。3番手が古性,6番手の諸橋は結果的にこのラインの追走に終始。7番手に井上で周回。残り3周のバックから井上が上昇。新山は前を譲らない構えでしたが,ホームの手前でやや強引に井上が新山を叩いて誘導も斬りました。ホームでは古性も動いて1コーナーでは井上の前に。引いた新山がその後で発進。打鐘から新山の先行になりました。古性はうまく3番手には入ったものの新山のスピードアップに対応できず,五十嵐との車間が開きました。後方になってしまった井上はバックから発進したもののすぐ前にいた諸橋に牽制されてスピードダウン。徐々に五十嵐との差を詰めていった古性はその勢いのまま差しに回りましたが,後ろを見ていた五十嵐に牽制気味に踏み込まれて失速。古性の番手から山田がよく伸び,五十嵐とほとんど並んでフィニッシュ。ですが僅かに届かず,優勝は五十嵐。山田がタイヤ差の2着。逃げ粘った新山が半車輪差の3着で古性は8分の1車輪差の4着まで。
優勝した神奈川の五十嵐力選手は5月の小田原のFⅠ以来の優勝。記念競輪は2011年8月の富山記念以来となる記念競輪3勝目で佐世保記念は初優勝。このレースは井上が先行することは考えにくく,古性と新山なら先行意欲が高いのは新山の方なので,諸橋が新山の番手を主張するのではないかと思っていました。しかし五十嵐が新山マークを選択すると諸橋は単騎戦を選択。この両者の選択が明暗を分ける形になりました。古性はうまく立ち回りましたが,おそらく新山がどういうペースで先行していくのかを読み間違えたため,第二先行のような形になってしまいました。これも明暗を分けた部分でしょう。五十嵐は自力で記念競輪を優勝するほどの力は残っていないと思うのですが,これだけ楽に番手を回れれば優勝できると分かりましたので,今後はそういう競走を増やしていくことになるものと思います。
それでは8月17日,金曜日の朝の話に戻りましょう。
目が覚めたのは午前9時50分でした。葬儀は午前10時からで,これは遺体の火葬の前に済ませるために設定された時刻でしたから,変更の余地はありません。葬儀の開始に間に合わないのは確実でしたが,喪主である僕が参列しないわけにはいきませんから,さしあたり妹を起こし,着替えをさせて僕自身も喪服に着替えました。この喪服は父が死ぬ直前に購入した夏用のもので,もう体型は変化しませんから,同じ夏場ということもあり,母の儀式のときにも使用することになったものです。
このとき家には,僕たちのことを心配してくれた,父のきょうだいの三女の長男の奥さん,ややこしいいい方ですが僕からみれば義理の従姉が訪ねてくれていました。妹の着替えについては従姉にも手伝ってもらい,自動車で来ていましたので同乗させてもらい,式場に向いました。家を出たのは葬儀の開始時刻だった10時です。本門仏立宗の読経は概ね1時間はありますので,僕たちは導師による読経の最中に到着し,所定の席に座りました。この日は住職は来ず,導師だけでした。
読経が終った後,喪主としての挨拶を済ませ,導師の戻った部屋に挨拶に伺いました。これはお布施を渡すためです。前夜はこのときにいろいろ話したのですが,この日はまだ予定が詰まっていましたので,本当にお布施を渡しただけです。その後で式場に戻り,棺の中に花を入れました。また母はちぎり絵が趣味のひとつで,大腸癌が発覚した後は教室には通っていませんでしたが,それ以前に作った作品が家に何枚かありました。僕はそのうちの1枚を持っていき,それも棺の中に納めました。
式場と斎場は隣接していましたから,そのまま母の遺体は隣の斎場に運ばれました。そして時間通りに火葬のための炉の中に入れられました。火葬が終了するまでには時間がありますので,参列者はこの間は別室で待機することになりますが,ここで弁当を出しました。火葬が午前11時からでしたので昼食には少し早かったのですが,ここで解散することになっていましたので,軽食より食事の方がよいだろうと判断したのです。