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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ダンスタイム&遺骨の保管

2018-12-01 19:04:44 | 血統
 マイルチャンピオンシップを勝ったステルヴィオの基礎輸入繁殖牝馬は6代母で,1957年にアイルランドで産まれたダンスタイムです。ファミリーナンバー11-c
                                     
 ダンスタイムはイギリスで4頭の産駒を出してから輸入されました。日本での初産駒が誕生したのは1967年。この馬が輸入されなければ日本の競馬史はだいぶ違ったものになった筈です。1984年に皐月賞,日本ダービー,菊花賞の三冠と有馬記念,1985年に天皇賞(春),ジャパンカップ,有馬記念を勝ち,ディープインパクト以前の最強馬だったシンボリルドルフはダンスタイムの孫にあたるからです。
 ステルヴィオは5代母がシンボリルドルフの母です。4代母がシンボリルドルフの3つ上の全姉です。ステルヴィオの母のひとつ上の半兄で2011年の阪神ジャンプステークスを勝ったクランエンブレムやひとつ下の半弟で2011年に新潟ジャンプステークスに勝ったクリーバレンの兄弟も,同じようにシンボリルドルフの母の子孫ということになります。
 2007年にJRA賞の最優秀障害馬を受賞したメルシーエイタイムも祖母がシンボリルドルフのひとつ下の全妹です。ですからダンスタイムを祖とする大レースの勝ち馬は,ステルヴィオで3頭目ということになります。
 重賞の勝ち馬はすべてシンボリルドルフの母の子孫に該当します。ただ,2010年にユングフラウ賞を勝ったバックアタックは,3代母がシンボリルドルフの母のひとつ上の半姉にあたり,ほかの系統から活躍馬がまったく出ていないというほどではありません。
 ダンスタイムはいつになってもシンボリルドルフの祖母として日本では語られる存在でしょう。平地競走での重賞の勝ち馬がシンボリルドルフ以降は出ていなかったのですから,ステルヴィオの活躍は血統面からは意外性があるといっていいくらいです。ただ,障害とはいえ近親に重賞を勝った馬が出ているので,ステルヴィオの祖母の子孫には注目していいのかもしれません。

 母の遺骨をいずれ会堂の中にできる納骨スペースに収めることになるのは,母の希望でしたし,そのスペースの代金は支払ってあったわけですから,決定事項です。ですが会堂は建設中で,この時点ではまだ完成の目途が立っていませんでした。現在の時点で,来年の2月に完成の予定となっているくらいですから,8月の時点では完成の時期は未定であったのです。
 一般的に納骨は四十九日の法要のときに行います。ですがその時点で会堂が完成していない,すなわち母が入るべき納骨スペースがまだ存在していないということはこの時点ではっきりとしていました。なので,完成するまでの間,母の遺骨をどう保管しておくのかということは,僕にとってわりと大きな関心事であったのです。少なくともその点について,住職をはじめとするお寺の人たちがどのように考えているかということは,確認しておかなければなりませんでした。
 考え得る対応は僕にはみっつあるように思えました。ひとつは四十九日のときには納骨をせず,会堂が完成するまでは遺骨を骨壺に入れて僕の家で保管するというやり方です。ふたつめは,本来的に納骨するべき時期にはまだ納骨スペースが未完成なので,日野公園墓地の中にある墓に,父および父の両親の遺骨と一緒に納骨するという方法です。そして最後が,お寺には納骨堂は昔からありますから,さしあたってはその納骨堂に納骨し,会堂が完成したら,その時点でそちらに遺骨を移動するというやり方です。
 僕は個人的には三番目の方法が最もよいと思っていました。というのは,遺骨を保管するということ自体はそう難しいことではありませんが,さすがに何もないところに骨壺だけを置いておくというわけにはいきませんから,家で管理するならそのための祭壇も維持しなければなりません。これは単純にいって生活する上で不便であるとしかいいようがありません。一方,日野公園墓地のお墓に入れると,納骨するときの手続きだけでなく,遺骨を移すときの手続きも必要です。もうすでに入っている遺骨は仕方ありませんが,移すことを分かっていてそういう手間をかけるのはいかにもばかばかしく思えたからです。
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