スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

高松宮記念&生年月日

2009-03-29 19:33:47 | 中央競馬
 春のスプリント王決定戦の高松宮記念
 大外からジョイフルハートがかなり押していきましたが,譲ることなくローレルゲレイロの逃げ。スリープレスナイト,ウエスタンダンサー,ジョイフルハート,ドラゴンファング,ビービーガルダンといったあたりがごった返すように続きました。前半の600メートルは33秒1。ハイペースでしょうが,もたないような流れではありません。
 直線に入ると最内から少し外に出してきたスリープレスナイトがローレルゲレイロの外に並び掛け,この2頭で後ろを離してマッチレースに。一旦はスリープレスナイトが出たようですが,まだ余力があったローレルゲレイロが差し返し,半馬身の差をつけて優勝。休み明けも力を見せたスリープレスナイトが2着で,直線でやや強引なところはありましたが,伏兵のソルジャーズソングが3着に入りました。
 優勝したローレルゲレイロはこれが大レース初優勝。昨年暮れに香港スプリントに出走,日本馬としてはいいレースをした後,東京新聞杯は不可解な大敗でしたが,前哨戦の阪急杯で2着となり,ここに臨んでいました。生粋のスプリンターという感じではありませんが,スピードを生かす競馬が最も適してはいるようです。父はキングヘイローで,父子制覇となりました。
 鞍上は藤田伸二騎手。昨年のヴィクトリアマイル以来の大レース勝ちで,大レース昇格後の高松宮記念3勝目。管理するのは昆貢調教師。こちらは昨年のダービー以来の大レース制覇で,高松宮記念は初制覇になりました。

 それではこの自己保存の法則というべきコナトゥスというスピノザ哲学の概念を中心としながら,僕自身の病気について語っていくということにします。しかし,僕自身の病気について具体的に語るのであれば,その前に,僕自身に関するいくらかのパーソナルデータがやはり必要ではないかと思います。そこで本格的な闘病記に突入する前に,僕自身の個人的な思い出なども交えながら,僕自身のことを少し詳しく自己紹介しておくことにします。
 僕は過去に競馬キャリア将棋キャリア,プロレスキャリアといった記事を書いたことがありまして,これらの記事から僕の年齢がどのくらいであるかということは大体の推測がつくであろうと思います。正確なところをいえば僕の生年は1970年ですので,今年で39になります。ただ,僕の誕生月は12月なので,今年の元旦に僕が病院に運ばれたのは38になって間もなくのことであったということになりますし,実際に僕の身体に異変が生じたときとなれば,年齢は37,もうすぐ38を迎える頃であったというのが正確でしょう。この点については後に正式な闘病記の中でもっと詳しくお話します。
 次のような点にも興味をもたれる方は僕が思っているより意外に多いので言及しておきますと,1970年産まれは干支は戌になります。誕生日は12月の7日ですので,星座は射手座です。それから血液型なのですが,これは調べたことがないので不明です。ただ,父はA型で母はO型ですので,僕もA型であるかO型であるかのどちらかであるということにはなります。
コメント
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