スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典黒船賞&第二部定理八系

2012-03-20 19:16:39 | 地方競馬
 2年ぶりの実施となる第14回黒船賞
 先行争いはかなり激化しましたが,最終的に先手を奪ったのはセイクリムズン。ケイアイライジン,トウショウカズンが外に続き,内のアイルラヴァゲインまで差なく続きました。ただしハイペースだったかもしれませんが,ミドルペースに近かったと思われます。
 前半は後方に位置していたスーニは向正面で追い上げを開始。ばてた馬もいて,4番手までは進出しましたがそれ以上の伸びはありませんでした。前の2頭の叩き合いに迫ったのは一旦はスーニに先を譲ったもののさらに外を追い上げたダイショウジェットで,3頭はタイム差なしでのゴール。逃げ切ったセイクリムズンの優勝で,2着にもトウショウカズンが残り,ダイショウジェットは3着まで。
 優勝したセイクリムズンは昨年5月のかきつばた記念以来となる重賞4勝目。一線級と伍して戦うだけの力はないようですが,これくらいのメンバーであれば必ずよいレースをしていて,ここも優勝候補と考えていた1頭。現状はこの距離が最も力を発揮できるようです。大レースは難しいかもしれませんが,重賞はまたどこかで勝てるのではないでしょうか。アストニシメントヤマトナデシコの分枝で甥に障害重賞1勝のオープンガーデン
 騎乗したのは岩田康誠[やすなり]騎手で第10回以来の黒船賞2勝目。管理しているのは服部利之調教師で,こちらは第9回以来の黒船賞2勝目でした。

 個物res singularisの観念ideaというのは神Deusの思惟の属性Cogitationis attributumの個物です。ですから個物の存在existentiaは『エチカ』においてはふたつの様式で考えられるということ,すなわち第一にその個物が現実的に存在するという意味であり,第二にはその個物が様態化している神の属性に包含されて存在するという意味で考えられるということは,当然ながら個物の観念に関しても妥当しなければなりません。そしてそのことを,第二部定理八系が示していると考えられるでしょう。
 「この帰結として次のことが出てくる。個物(res singulares)がただ神の属性の中に包容されている限りにおいてのみ存在する間は。個物の想念的有(esse objectivum)すなわち個物の観念は神の無限な観念が存在する限りにおいてのみ存在する。しかし個物が神の属性の中に包容されている限りにおいて存在するばかりでなく,さらにまた時間的に持続すると言われる限りにおいても存在すると言われるようになると,個物の観念もまた持続すると言われる存在を含むようになる」。
 まず,ふたつほど注意しておきます。この系Corollariumの冒頭でこの帰結としてといわれているのは,当然ながら第二部定理八の帰結としてという意味です。そして確かにこの系は,第二部定理八から直接的に帰結すると僕は考えますので,この系に関してそれ以上の証明Demonstratioは不要でしょうから何も追加しません。これはスピノザ自身も同様であり,この系は証明が付与されていない系です。
 次に,この系の中で想念的といわれているのはobjectumというラテン語の訳です。しかし僕は想念的ということばは知りませんから,これを客観的と訳しています。したがって岩波文庫版の『エチカ』では想念的と訳されていて,ここはそれをそのまま利用しているのでこのことばの方を用いましたが,このブログにおけることばに置き換えれば,この想念的有というのは客観的有esse objectivumであるということになります。これは元来のラテン語をどう日本語に訳すかという問題ですので,僕と訳者である畠中尚志との間に,系の理解という点において何らかの相違があるということではありません。
 この系が,個物の観念にも,ふたつの様式があるということを示しているということは,とくに説明せずとも明白でしょう。
コメント
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