スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ひろしまピースカップ&第三部定理五六備考

2018-12-11 19:01:44 | 競輪
 9日の広島記念の決勝。並びは小松崎‐山崎‐和田の北日本,吉沢‐神山の茨城栃木,三谷‐松浦の西日本で諸橋と中川は単騎。
 少しの牽制の後,松浦がスタートを取って三谷の前受け。3番手に中川,4番手に小松崎,7番手に諸橋,8番手に吉沢で周回。残り3周のバックを出てコーナーに入ると吉沢が一気に上昇。ホームで誘導を斬り,ペースを落としました。ここから小松崎が動き,諸橋まで続いた4人で吉沢を叩いて打鐘。引いた三谷が発進すると小松崎は叩かれ,三谷のかまし先行に。バックから吉沢が発進しましたが,小松崎の後ろの山崎に牽制されて失速。無風で番手有利に進めた松浦が早めに踏んで優勝。松浦マークになった小松崎が1車身差で2着。小松崎マークの山崎も流れ込む形で4分の3車輪差の3着。
 優勝した広島の松浦悠士選手は記念競輪初優勝。このレースは諸橋が関東での結束を選択しなかったので,吉沢の先行になる可能性が低くなり,おそらく小松崎が先行し,単騎を選んだ諸橋が番手や3番手を奪いにいくケースもあるのではないかというのが僕の見立てでした。ところが三谷のかまし先行に。小松崎にやや油断があったかもしれません。松浦は自力も使える上,前を回った3人のうち最も力があるのは三谷ですから,その番手でのレースなら楽だったでしょう。中川は脚を溜めて一気に発進するのが得意ではありますが,さすがに最後尾となっては届きません。三谷ラインについていった方がチャンスはあったように思えます。ほかの選手たちの組立の失敗があったレースだったという印象も強く残りました。

 スピノザもまた,節制temperantiaを感情affectusではなく,精神mensの力potentiaとして規定しています。第三部定理五六備考で次のようにいわれているのです。
                                
 「我々が美味欲に対立させる節制,飲酒欲に対立させる禁酒,最後に情欲に対立させる貞操は,感情あるいは受動ではなくて,それらの感情を制御する精神の能力を表示するものだからである」。
 ここではスピノザは食欲ではなく美味欲luxuriaと,他面からいえば畠中尚志は食欲ではなく美味欲と訳していますが,これは過剰な食欲を意味します。すでに僕が説明したことから分かるように,適度な食欲は現実的に存在する人間にとって必要なものであり,この限りで理性ratioは食欲を肯定します。したがってこの種の食欲は精神の力によって制御される必要はありません。ここで過剰な食欲だけが抽出されているのは,節制が精神の力であるということをいいたかった,いい換えればこの部分の主旨がそこにあったからで,そのために適度な食欲は除外される必要があったからです。
 備考Scholiumのこの部分では注意するべき点がいくつかあります。
 まずこの文章は,節制という精神の力がそれ自体で過度の食欲を制御することができることを前提としているかのようです。しかし実際はそうではありません。もし制御できるとすればそれは食べないということ,いい換えれば過度な食欲を我慢するということであって,過度の食欲それ自体を消滅させるということではありません。このことは第四部定理七から明らかだといわなければなりません。ただし,節制が過度の食欲に対する相反する感情を惹起するということはあり得るので,精神の力がそのような感情の力を利用することによって間接的に過度な食欲を消滅させたり減退させたりすることはあります。これも僕がすでに説明した通りです。また,相反する感情は,第四部定義五からも分かるように,本来的には同じ人間のうちでは両立し得ないので,一方の感情だけが強力になってゆくものですが,節制は感情ではありませんので,過度の食欲と節制はいつまでも同じ人間のうちで両立し得ることになります。これはこの意味で節制をしたことがある人なら経験的に理解できるところでしょう。
コメント
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