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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&徳のあり方

2018-12-21 19:18:13 | 将棋
 下関市で指された第31期竜王戦七番勝負第七局。
 下関市長の振駒広瀬章人八段の先手と決まり角換り相腰掛銀。前例のある端を絡めた先手の攻め方に対して後手の羽生善治竜王が新手を出す展開になりました。
                                     
 後手が1二の歩を払った局面。ここで先手は☗4五銀とぶつけていきました。
 後手が☖6七歩と垂らしたのに対して先手は☗5四銀☖同歩と交換してから☗6七飛。これには☖5五桂が飛車金両取りですが☗6六飛と逃げ☖4七桂成に☗同馬と取りました。第1図の時点で先手の桂損となっていましたのでこれで金損に拡大です。
 後手はその金を☖7五金と打ち☗6八飛に☖2七成香と逃げました。そこで先手は☗5六馬。
                                     
 この局面は先手の金損ですが,後手は馬はともかく飛車の働きが鈍く,先手の飛車は6筋の攻めに利いている上に,馬が後手玉をにらんだ好位置。それが金損を補ってあまりあり,先手の方が優位に立っているのではないかと思います。第1図での先手の懸案は5六の銀と4七の金だったのですが,その2枚が銀桂と交換ならまずまずなのではないでしょうか。ですから第1図から第2図の間で,後手は何らかの変化をすべきで,とくに成香を逃げなければならないのであれば,☖7五金と打つところでは別の手がなければいけなかったということになるように思えます。
 広瀬八段が勝って4勝3敗で竜王を奪取。2010年度の王位以来となる通算2期目のタイトル獲得です。

 受動passioのあり方によって能動actioの対処は異なること,いいかえれば欲望cupiditasのあり方によって徳virtusのあり方も異なるということで僕がいわんとしたことのひとつが,ここまで説明してきたことです。すなわち,現実的に存在する人間Aと同じように現実的に存在する人間Bでは,各々の現実的本性actualis essentiaすなわち与えられた欲望が異なるので,AにもBにも同じ対処をすればいいというものではありません。AにはAの対処が必要で,Bにはそれと異なる別の対処が必要なのです。ただし,徳いい換えれば理性ratioは,Aへの対処とBへの対処が異なるのであったとしても,少なくとも論理的には各々の対処を十全に認識するcognoscereことができます。ですからAへの対処がいかなることであるべきかも,Bへの対処がいかなるべきことであるのかも,万人が同じ認識cognitioを有するに至ります。この点において,第四部定義八とか第四部定理三五は,与えられている欲望に対しても成立することになります。また,同じ人間であってもその現実的本性は持続duratioのうちに変遷しますから,あるときのAの欲望に対する対処法と,別のときのAの欲望に対する対処法は同一であるとは限りません。つまり別の人間であれば別の対処法が必要とされるように,同じ人間であってもときによって異なった対処法が必要とされる場合があり得ます。ただ,この場合も論理的には理性はそのときそのときによってAを十全に認識することができるので,やはり理性による判断は万人で一致するということになるでしょう。
 ここまでは同じ欲望について,別の人間への対処法,あるいは同じ人間でも異なったときの対処法についての説明でした。ここからは,一般に異なった欲望に対する最善の対処法のことを説明します。これもまた,各々の現実的本性すなわち与えられた欲望が異なった分だけ異ならなければならないのです。つまり受動的な欲望に対する最善の対処法というのは,一律ではあり得ず,欲望の種類が異なるだけ異なった対処法が必要とされるのです。これもまた,欲望のあり方が異なれば徳のあり方が異ならなければならないということを示していることは明白でしょう。つまり徳のあり方にはふたつの意味があるのです。

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