スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

化粧②&対抗

2018-12-07 19:28:21 | 歌・小説
 化粧①で僕はこの歌は情念的であるといいました。そしてこの情念には,幾分か歌い手である女の妄想が入り混じっているようにも感じています。

                                

     あたしが出した 手紙の束を返してよ
     誰かと二人で 読むのはやめてよ


 歌い手はこのように歌っています。
 歌い手がかつて男に手紙を出したのはおそらく事実なのでしょう。そして束といっているくらいですから,歌い手が出した手紙は一通や二通ではなく,かなりの量に上るのでしょう。これもまた事実だと思います。そしてかくも多くの手紙を同じ男を相手に出すことができたこの歌い手は,きわめて情念的な人間であるという見方が可能だと思います。歌い手はそれはその男以外のだれかには読まれてはいけない手紙であると知っているから,だれかと読むのはやめろといっているのであり,よってその手紙の内容はさぞかし情念的なもの,あるいは情熱的なものであっただろうと推測されるからです。なおかつそれを何通も出しているのですから,確かにこの部分には歌い手の性質が含まれているといえるのではないでしょうか。
 歌い手がだれかといっているのは,当然ながら男の恋人でしょう。ふたりでといういい方がそれを示唆しています。でもこの部分には歌い手の想像力が働いているのだろうと僕は思います。つまり,実際に男が恋人とこの手紙を読んでいるというわけではなくて,読んでいるということが歌い手に想像されているだけだと僕は思うのです。そしてその想像によって,歌い手は自身のプライドが傷つけられるように感じているのでしょう。
 束にできるほどの手紙を送る人間は珍しいかもしれず,その限りで男は本当にだれかとその手紙を読むかもしれませんが,歌い手はそれを事実として知っているわけではないでしょう。そしてそれほど多くの手紙を書いて送ることができるということは,実は歌い手にとっては誇りであったのです。その誇りに傷がつくことを,想像の上で歌い手はひどく恐れているのです。

 眠気を感じるということは,他面からいえば眠気を感じる意識があるという意味で,これは起きている状態でしか生じません。スピノザの哲学では意識とは観念の観念idea ideaeのことで,眠気を感じるということは,眠気を感じている自分の身体corpusの観念の観念があるという意味です。
 僕はこの眠気は,睡眠欲という感情affectusを身体とだけ関連させたものであると規定しました。よってこれは,自身の睡眠欲の観念があるといっているのと同じです。感情は身体の状態だけでなく精神mensの状態も意味することになっていますから,この場合には観念の観念という必要はありません。第三部定義三はある種の観念が感情であるといっているので,感情の観念というだけでそれは観念の観念を意味し得ることになるからです。
 このとき,睡眠欲を意識し得るということは,起きているということだから,睡眠欲に対抗できているという意味であると解されるかもしれません。ですが僕はそのようには考えないのです。むしろ起きているにも関わらず睡眠欲を感じているとするなら,それは睡眠欲に従属しているということだと考えるからです。つまり,睡眠欲という感情に支配されて眠ってしまうか,それを感じつつも起きているかということが睡眠欲への対抗であるとは僕はみなしません。睡眠欲に対抗するにはその睡眠欲という欲望cupiditasを解消することが絶対的であると考えるのです。そこでもしも睡眠欲に対抗するということだけを眼中に置けば,むしろそのまま眠ってしまう方がよりよい対抗手段であり得るでしょう。眠れば睡眠欲は除去されるであろうからです。最初にいったように,いかにそれが自然の秩序ordo naturaeが要求する受動的な欲望であったとしても,睡眠自体は現実的に存在する人間の現実的存在を維持するために必要なのですから,睡眠欲に従属してしまうことがその受動的な欲望に対抗することであり得るというのは,本来的にはおかしなことなのですが,確かに対抗の手段であるということは僕は認めます。
 そしてこのようなことを認めざるを得ないのは,起きている限り,睡眠欲そのものを解消するということは不可能であると僕は考えるからです。これにも理由があるのです。
コメント
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