100mは4位でした。マスターズ水泳大会第3日の結果です。
12日は、12時前に日本ガイシプールに着き、サブプールで500mほど練習してからプールサイドのスタート・リストを見にいきました。70歳区分は6名出場。エントリー・タイムは私が一番遅い。これは6位かな?しかし、棄権する人もいるからな。100mはデッキシーデイングがないから、棄権者はその場にならないと分からない。
観覧席に上がると、泳愛クラブが中央の一番見やすい席を占めているので、IIDAさんに手で挨拶を送り、クラブの端に坐った。混合メドレーリレイの後、自由形100mが始まる。この後がバタフライだが、クロールは出場者が多い。女子31組、男子51組だ。1組で10コース泳げるから800名以上が泳ぐ。
女子の最初に、95歳区分山口県の長岡さんが泳ぐ、昨年200mで、95歳の世界新を出した人だ。
男子が半分ぐらい終わった3時頃、プールサイドに下り、選手控え室に行った。出番の予定は4時6分。SATOH KENさんが来た。手を挙げて挨拶すると、「いつもがんばっていますね」と笑顔。「何回泳いでも、泳ぐ前は、向うまで泳いでかえってこれるかな?と不安になります」と私が言うと、「僕も同じなんですよ」と答える。SATOUさんのような超ヴェテランでもそうなの!
一昨日、200mを泳げたのだから、100m泳げないはずはないのに、プールに出て向うをみると、あんな遠くまで行って戻ってこれるか?と心臓が早鐘を打つ。平泳ぎだと、そんなことはないのだから、バタフライだけの現象。バタのキツさを身体が覚えているのだ。
私だけそうかな?と思っていたが、他の人もそうなんだ!
向うまで泳いで行ってもまだ「帰りがある!」とHさんが言いましたが、バッタを泳いだことのある人だけに「言い得て妙」です。
召集の時間です。1組2コースに並ぶと、私の隣の1,3コースがいない。棄権です。1コースが75歳、3コースが70歳ですから、ライバルが1人減った。それに9コースの四日市、80歳のGさんが来ない。
女子バタの最後の組が跳び込んだので、2コースの位置に。誰か寄ってきて何か言った。そちらを向くと浅野先生だ(県体でコーチを受けている)。スターターが浅野先生なのだ。聞き取れなかったので「はぁ?」と聞きなおすと「きちんと停止して」という。スタートの注意だ。スタート台に乗って「ヨウイ!」を聞いたら、飛び込みの体勢で停止しないといけない。
200mのスタートで、しっかり停止してなかったかな?
スタート台に上り、注意があったので早めに飛び込みの姿勢で台に両手を触れ号砲を待つ。スタート!飛び込んだ。水の冷たさはない。3日間、三千人の選手の熱気で水が温かくなった。飛び込んでしまうと、もう不安はない。前へ、前へ進むしかない。
50mターン後は、2掻き1呼吸。あっという間にフィニッシュしたが、まだプールサイドで「ソーレ、ソーレ」と応援の声があがっている。まだ泳いでいる人がいる!7コースだ。タイム2分19秒台。2分20秒を切れれば今の体調.では上出来と思った。
プールを上がって右手の甲を見たら、2箇所擦りむいて、かすかに血がにじんでいる。
「やったか!」多分ターン直後に、右に寄り過ぎ、回した後戻す手が水中でコースロープを下から叩いたのだ。夢中で泳いでいたので全く気がつかなかった。
サブプールで、ダウンの泳ぎをしてから、帰り支度をして観覧席に上がると選手表彰が始まる。男女の最優秀選手と優秀選手の発表。「男子最優秀選手はIIDA AKIRA君。泳愛クラブ」のアナウンス。去年は100m自由形、今年は200m個人メドレーの日本新だから、文句なしの最優秀だ。男子優秀選手も泳愛クラブだった。今名古屋で最も元気のある水泳クラブのようだ。
5時になったので帰ることにした。掲示板で記録を確認。2分19秒89(50mは1分6秒14)で70歳区分の4位に入賞していた。
5位の選手のタイムを見ると、50mで1分1秒98と私より4秒以上早い。私の後半の粘りで逆転。というよりも、5位の選手が後半疲れて失速した!この人、「まだ帰りがある!」キツサを実感しただろう。
4位のメダルは、真鍮色でした。
12日は、12時前に日本ガイシプールに着き、サブプールで500mほど練習してからプールサイドのスタート・リストを見にいきました。70歳区分は6名出場。エントリー・タイムは私が一番遅い。これは6位かな?しかし、棄権する人もいるからな。100mはデッキシーデイングがないから、棄権者はその場にならないと分からない。
観覧席に上がると、泳愛クラブが中央の一番見やすい席を占めているので、IIDAさんに手で挨拶を送り、クラブの端に坐った。混合メドレーリレイの後、自由形100mが始まる。この後がバタフライだが、クロールは出場者が多い。女子31組、男子51組だ。1組で10コース泳げるから800名以上が泳ぐ。
女子の最初に、95歳区分山口県の長岡さんが泳ぐ、昨年200mで、95歳の世界新を出した人だ。
男子が半分ぐらい終わった3時頃、プールサイドに下り、選手控え室に行った。出番の予定は4時6分。SATOH KENさんが来た。手を挙げて挨拶すると、「いつもがんばっていますね」と笑顔。「何回泳いでも、泳ぐ前は、向うまで泳いでかえってこれるかな?と不安になります」と私が言うと、「僕も同じなんですよ」と答える。SATOUさんのような超ヴェテランでもそうなの!
一昨日、200mを泳げたのだから、100m泳げないはずはないのに、プールに出て向うをみると、あんな遠くまで行って戻ってこれるか?と心臓が早鐘を打つ。平泳ぎだと、そんなことはないのだから、バタフライだけの現象。バタのキツさを身体が覚えているのだ。
私だけそうかな?と思っていたが、他の人もそうなんだ!
向うまで泳いで行ってもまだ「帰りがある!」とHさんが言いましたが、バッタを泳いだことのある人だけに「言い得て妙」です。
召集の時間です。1組2コースに並ぶと、私の隣の1,3コースがいない。棄権です。1コースが75歳、3コースが70歳ですから、ライバルが1人減った。それに9コースの四日市、80歳のGさんが来ない。
女子バタの最後の組が跳び込んだので、2コースの位置に。誰か寄ってきて何か言った。そちらを向くと浅野先生だ(県体でコーチを受けている)。スターターが浅野先生なのだ。聞き取れなかったので「はぁ?」と聞きなおすと「きちんと停止して」という。スタートの注意だ。スタート台に乗って「ヨウイ!」を聞いたら、飛び込みの体勢で停止しないといけない。
200mのスタートで、しっかり停止してなかったかな?
スタート台に上り、注意があったので早めに飛び込みの姿勢で台に両手を触れ号砲を待つ。スタート!飛び込んだ。水の冷たさはない。3日間、三千人の選手の熱気で水が温かくなった。飛び込んでしまうと、もう不安はない。前へ、前へ進むしかない。
50mターン後は、2掻き1呼吸。あっという間にフィニッシュしたが、まだプールサイドで「ソーレ、ソーレ」と応援の声があがっている。まだ泳いでいる人がいる!7コースだ。タイム2分19秒台。2分20秒を切れれば今の体調.では上出来と思った。
プールを上がって右手の甲を見たら、2箇所擦りむいて、かすかに血がにじんでいる。
「やったか!」多分ターン直後に、右に寄り過ぎ、回した後戻す手が水中でコースロープを下から叩いたのだ。夢中で泳いでいたので全く気がつかなかった。
サブプールで、ダウンの泳ぎをしてから、帰り支度をして観覧席に上がると選手表彰が始まる。男女の最優秀選手と優秀選手の発表。「男子最優秀選手はIIDA AKIRA君。泳愛クラブ」のアナウンス。去年は100m自由形、今年は200m個人メドレーの日本新だから、文句なしの最優秀だ。男子優秀選手も泳愛クラブだった。今名古屋で最も元気のある水泳クラブのようだ。
5時になったので帰ることにした。掲示板で記録を確認。2分19秒89(50mは1分6秒14)で70歳区分の4位に入賞していた。
5位の選手のタイムを見ると、50mで1分1秒98と私より4秒以上早い。私の後半の粘りで逆転。というよりも、5位の選手が後半疲れて失速した!この人、「まだ帰りがある!」キツサを実感しただろう。
4位のメダルは、真鍮色でした。