古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

小布施と広島

2002-05-29 | 旅行
 5月26日、27日はD社のOB会懇親バス旅行で信州に出かけました。
 27日8:30、上山田温泉のホテルを出て、善光寺参りの前に9:20小布施町、小さい
町ですが、美術館や博物館の多い町です。最初に岩松院を訪れました。ご存知の方が
多いと思いますが、長野県小布施町は近年、富嶽36景で有名な葛飾北斎の町として観
光客の人気を呼んでいます。このお寺にも北斎89歳の天井画「八方睨み鳳凰図」とい
うのがあります。広間に座り天井を見ながら説明を聞きましたが、この寺院は裏手の
池に蛙がよく集まり、「やせ蛙負けるな一茶これにあり」の発句の地と伝えられてい
るそうです。
 もう一つ、ここは戦国の武将福島正則の終焉の地、本堂の裏に正則の遺骨を埋葬し
た霊廟があります。関が原の合戦で功名を挙げ、広島城(49万8千石)の太守とな
りましたが、元和5年この地(4万5千石)に左遷され生涯を終えた。元和元年が大
阪夏の陣ですから、豊臣家が滅亡した後、徳川にとっては御用済みで、この遠隔の地
に流された。
 まさに「走狗煮らる」の悲哀を味わったわけです。
 広島と小布施は、正則を介しての縁がありました。
 岩松院の後は、小布施町内の散策、小生は「北斎館」に入ってみました。
 最後の作と言われる富士越竜の絵が一番気にいりました。
 江戸人であった北斎がどうして小布施とつながりがあるのか?
 高井鴻山という文人が幕末に居たそうです。小布施の豪商の家に生まれ当代一流の
文化人だった。この鴻山と北斎がとても気があったそうです。年は鴻山のほうが46
歳若かったそうですが、80代の北斎は240kmの道を遠しとせず、鴻山に逢うべく
江戸から小布施に通い、沢山の作品を残したのです。
 詳しくお知りになりたい方は、http://www.hokusai-kan.com/ を御覧下さい。
(た
だこのサイト、絵が多いせいか、私のPCでは読み込むのにえらく時間がかかりまし
た)
 小布施の後は、善光寺まで行って昼食、食事の後参拝し、胎内巡りというのかな?
真っ暗闇の地下巡りをしてきました。
 長野駅に戻り、新幹線で東京方面に帰る友人たちと別れ、後は長野道、中央高速を
一路名古屋に帰りました。