Life in America ~JAPAN編

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Japan Blues festival 2014 道中記⑤ ~See you again

2014-08-14 21:32:45 | music/festival
7月27日(日曜日)

外が白み始めた午前5時、夕べのお店「Crazy Horse」の閉店と同時に私たちもやっと店を出てホテルへ戻りしばしの仮眠。
今日は再び、長い長い移動日だ。

予定では午前8時すぎに全員がロビーに集合して、もろもろのお金の精算をすませ空港に向かうはずだったのだが、ここでまあさかの大失態。セットしたはずのアラームがなぜか作動せず、電話でスタッフに起こされたときにはすでに8時を大幅に回っていた。
荷物もまとめていなかったので涙ちょちょ切れ大パニック。

とにかくスーツケースにそこらじゅうの物をしっちゃかめっちゃかにぶちこんで、平謝りに謝りながらロビーへ。もちろんすでにみなさんはお金の精算を終えて待機していた。
ああ、ほんまに。去年も最後に大事件が起こったし、ひたすら自己嫌悪。
・・・と、よく見るとボス(カルロス)がいない。あれれ?
なんと、カルロスも寝過ごした模様。ほどなくロビーに現れた彼は超不機嫌顔。
「アラームが鳴らなかったじゃないか!今までオレは時間前には誰よりも早く絶対に来ていたんだ。ああ、それなのにこんなことになるなんて、ちくしょー!」と逆ギレ。

おっしゃるとおり、カルロスは今まで絶対に集合時間にはゐの一番に来ていたし、そうすることが使命だと豪語していたのだ。それをまさかの寝過ごし・・よほど悔しかった様子。ボスの精算が終わらないとみんなのギャラの配分もできないので、そこで時間を少しロスしてしまった。
あー、ごめんなさい。私がちゃんと起きていれば部屋に電話して起こしてあげられたのに。

急いで空港に向かい、今度は無事にギターとベースのチェックイン(機内持ち込み無料サービス)をすませ、全員で羽田へと向かう。
あっという間の青森での3日間だった。



羽田からは、シカゴ直行帰還組(プーキー、ビル、デミトリア)、翌日ソウル経由シカゴ行(カルロス)、ポーランド行(ピーター)の3方向に分かれることになる。入りもバラバラだったが、帰りもバラバラだ。
私はしばらく東京に滞在予定なので、翌日までカルロスと行動を共にすることにし、シカゴ直行組の3人を成田行きのバス停で、同じく羽田の国際線からフランクフルトに向かうピーターをターミナルバスのバス停で見送った。
ピーターとは3日前に初めて会ったばかりなのに、なんだかもう長い友人同士のような不思議な友情が芽生えていた。
彼もこの夢のような3日間が忘れがたかったのか、名残惜しそうに皆に別れを告げ、私にも何度も何度もお礼を言ってくれた。
最後まで気持ちのいいほど礼儀正しい人だった。私の中でも、すべてにおいて彼は現在一番好きなピアニストになっていた。
決してテクニックをひけらかさず、音数は多すぎず少なすぎず、かつ的確なコードを的確なタイミングでおさえられる稀少なピアニスト。こういうタイプはシカゴにもいない。

みんなを見送ったあと、カルロスともども今晩宿泊する羽田のホテルへチェックイン。彼は明朝6時過ぎの便で乗り継ぎのためソウルに向かうので、羽田に滞在するのが何かと便利だった。
この日、東京の最高気温は37℃にもなろうかという猛暑だ。カルロスはお疲れの様子で、今日はもうどこへも行きたくない、部屋でゆっくりしたいという。
それもそのはず。彼はツアー先のベルギーから先週直接日本に入り、そのまま青森でタフな3日間をすごしたのだから体の時計はぐちゃぐちゃになっているに違いない。
「昼寝して目が覚めたら電話するよ。一緒に晩メシでも食べよう」そう言って、ビールを持って部屋に入っていった。

私は、ひとまずカルロス以外の皆を無事に送り出して少しほっと一息。近所で軽く腹ごしらえし、そのまま同じくホテルに戻ってだらだらすることにした。この暑さの中とても出ていく気分になれなかったのだ。
そしてバタンキュー。カルロスからの電話で目覚めたのは、午後8時すぎだった。
「下のレストランでご飯でもどうだい?」

カルロスも良く眠れたようだった。
ふたりで、ツアーの成功を祝して乾杯し、飲みながら実に楽しい話に花が咲いた。
この人と話をしていると話題が尽きるということがなく、楽しい。ユーモアセンスにあふれ、とにかくよく人を笑わせ、自身もよく笑う。
「Humor is the most romantic thing (ユーモアは一番ロマンティックなこと)。オレのユーモアセンスは母親譲りなのさ。オレの母は本当に面白い人だった」といいながら、母の面白秘話をいろいろ聞かせてくれた。

一言でいうと“チャーミング”な人。
この魅力が人を惹きつけるのだろう。メンバーにも心から慕われているのがわかる。自分の愛する人を命がけで守る、それに対して周りが命がけでついて来るのだ。
「正直言うと、今回のギャラは普段ならとても受けられない(低い)金額だった。それでも久々に日本のファンの前で演奏したい、その気持ちが強かったんだ。彼ら(メンバー)はオレのそんな気持ちについてくれたんだよ。“Moral Attachment”(精神的な愛着)があるからさ。たとえただでもオレについてきてくれる、そんな奴らなんだ。」カルロスはうれしそうに話してくれた。


一方で、彼は感激屋さんで涙もろい人情人でもある。
初日のライブのとき、大阪から駆けつけてくれた懐かしい友人の顔を見て感激のあまりぽろぽろ涙を流していたし、ライブのときのファンの熱い声援にも熱いものがこみあげていた。
「今回の3時間15分というのは、オレのギグの中でも最長記録だ。それでもまだやっていたかったのは、1曲目からステージの真下で一生懸命見つめてくれるファンを見たからなんだ。あれには鳥肌がたったよ。だからみんなの顔を目に焼き付けながら一人ひとりの目を見て歌ったんだ。ある女の子なんてボロボロ泣いていたよ」
夕べの熱いライブを思い出しながら語る彼の眼には、再び涙が光っていた。

また、今回わざわざポーランドから呼び寄せたキーボードのピーターに話が及んだとき、「シカゴにも普段から一緒にやっているピアニストがいるのにどうしてピーターだったの?」と聞いてみた。
「彼はポーランドでギグをするときのハウスバンドのメンバーで、素晴らしいピアニストなんだ。(シカゴでいつも一緒に演奏している)ルーズベルトは飛行機がダメだから海外ツアーは無理。だからピーターに連絡したってわけさ」
カルロスからのメールを受けたピーターは、はじめは「ハハハ、からかわないでください」と、真に受けなかったそうだ。「それが本当のオファーだと分かった時は夢のようにうれしかった」とピーターも夕べ話してくれた。
シカゴにも来たことがない彼に、海外経験を積ませてあげようというカルロスの痛いほどの親心を感じたと同時に、ピーターならこの役目を完璧にこなしてくれるだろうというゆるぎない信頼があってこそのオファーだったのだろう。
部下(メンバー)を信じきれるのが、本当のボスの姿なのだ。

結局8時半ごろからゆるゆると飲みながら晩御飯をごちそうになり、レストランが閉店する午前2時過ぎまで、真面目話から下ネタトークまでしゃべりたおし、笑い倒した。(ここではとても書き尽くせない・・・胸にしまっておくことにしよう。またいずれブルースマンたちの知られざる素顔をまとめた本でも書くかな)
ああ、あと数時間後にはカルロスもシカゴに帰っちゃうんだなぁ、そう思うと急にさびしくなってきた。でも、シカゴに戻ったら今度いろんな思い出話しながらまた一緒に飲めるだろう。その日を楽しみにしておこうっと。


ありがとう、カルロス!


7月28日(月)
午前4時半のモーニングコールを部屋に入れると、カルロスはばっちり起きていた。どんなに飲んでも絶対に時間に遅れない。さすがだ。
羽田空港国際ターミナル行のシャトルバスに乗って、午前5時過ぎに空港着。無事にチェックインをすませいざお別れというとき、ツアーの間中かぶっていた帽子を記念にくれた。
カルロスと共に、スペイン、ベルギー、日本と3国をツアーした汗(と匂い)のしみこんだ素敵なパナマ帽。一生大切にします。ちょっとくさいけど(笑)




~完~
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