Life in America ~JAPAN編

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Japan Blues festival 2014 道中記② ~Day1〝山のステージ”

2014-08-02 20:09:04 | music/festival

7月25日(木曜日)

フェスティバルの宣伝のため、地元テレビ局の朝のローカル情報番組にカルロスとデミトリアが生出演。9時に局入りしてリハーサルを終えたあと、10時から本番開始。
カルロスの演奏で“Sweet Home Chicago”をデミトリアが軽く歌って出番は約1分半ほどで即終了。


 

ホテルの部屋に戻り、のんびりしようかと思っていたら、Pookyが「どっかマッサージに連れて行って」とやってきた。
そういや昨日、彼に「いいマッサージ屋知ってるよ」と話したばかりだった。そこでデミトリアとPookyのふたりを連れてホテル近くのマッサージ屋さんへ。
ここは2年前にココ・テイラーバンドのVinoとBrianを連れてきた場所。とにかくものすごい効き目だったので、Pookyのような屈強な人にはもってこいなのだ。
オーナーの大将は私のことを覚えてくれていて、キャンペーン価格をよりサービスしてくれた。約30分たっぷりコリをほぐしてふたりとも満足の様子





店で見つけた奥深いひとこと


午後1時、今日の会場である浪岡へ。ほっとするような田舎の風景が広がる。
そしてサウンドチェック。
今回ポーランドから参加した最年少のピーター(キーボード)は、カルロスがポーランドでギグをするときのハウスバンドのピアニスト。地元の人気ブルースバンド“Hoodoo Band”のピアニストであり、アレンジャー、作曲家としても活躍している。大学で音楽教育学位を取得したインテリ派ミュージシャンだ。
今回のシカゴのメンバーと合わせるのは今回が初めてだという。それでいきなりフェスティバル本番を迎えようというのだから、いかにカルロスが彼を信頼しているかがわかる。



そのピーターは、本場シカゴのミュージシャンたちと共演できるとあって昨日から夢心地。数か月前にカルロスからオファーがあった時、冗談だと思ってしばらく信じなかったらしい。
シカゴにも来たことがない東ヨーロッパのあるピアニストが、憧れのシカゴバンドとがっぷり組んで日本のフェスティバルに初出演するのだから、興奮するのも当たり前だ。
とても謙虚で穏やかな人で、なるべく周りに迷惑をかけないようにと気遣いをしているのが感じられた。
カルロスはそんな彼をおもんぱかって一生懸命フォローしていた。
ピアノのボリュームペダルがないと知ると、「そんなものがなくて演奏ができるか、ちくしょーめ!」と怒り出し、それをピーターがなだめる一幕もあった。
結局、ペダルとドライバーは本番前に機材スタッフが会場に届けてくれ、ピーターは何度も丁寧にお礼を言っていた。
最高の音を出すため、そして愛するメンバーのため、必死で戦う熱いカルロスの姿が今日もそこにあった。
毎年、ミュージシャンの無理な注文に一生懸命応えてくださるスタッフの方にも頭が下がる。大感謝。


西陽をもろに受けてのサウンドチェックに、みんな汗ダラダラ


Billは道の駅で食べた「りんごソフトクリーム」のおいしさに大感激。


午後7時。いよいよカルロスバンドの登場だ。
もう、言葉はいらない。



 Pooky Styx

 Bill "The Buddah" Dickens
5分以上にも及ぶベースソロに会場は息をのむ。もはやベースじゃない、7弦の魔術。

 Piotr Świętoniowski
“シカゴの音”のなかにどっぷりと漬かって気持ちよさそうに楽しんでいたピーター。
他のメンバーも、彼のピアノセンスに何度もうなずき、微笑んでいた。
言葉や国が違っても、こうやって音を出すだけでひとつになれる。音楽はまさにコミュニケーションだ。

 Carlos Johnson
ルリー・ベルもそうだが、体から直接弦一本一本に伝わるこの情熱の塊のような感じ。
私はこういうタイプにめっぽう弱い。もうメロメロ。


このふたりが組んで、最高のグルーブにならぬわけがない。


 
子供たちもカルロスのすごさを体いっぱいで感じている



1時間ほどカルロスがたっぷりとステージを聞かせたあと、ゲストシンガーのデミトリア・テイラー登場。



3年前にもJW.ウィリアムスのバンドで一度同じステージを踏んでいる彼女だが、
その時よりも格段に貫禄が増して、自分の世界が広がった感じがする。
「年を重ねて人生経験と共にどんどん良くなっている気がするの」と彼女自身も語っていた。




お客さんもノリノリで“Wang Dang Doodle”の一節を熱唱。青森のお客さんはノリがいい


今回、誰よりも早く日本入りしてすでに日光、原宿、北九州と3か所をツアーしてきた彼女、時差ボケも抜けきらず幾分疲れていたが、本番前にスタッフの用意してくれた涼しい和室でゆっくりと横になっていたらしく、完全復活。
「おかげでゆっくりできたわ、ありがとう。あなたたち(フェスティバルのスタッフ全員)は本当に最高ね。私、すっかり甘やかされちゃったわ。シカゴに帰ったらみんなに自慢しなきゃ」とデミトリア。
今までともすると女性シンガーはバンドとは“別扱い”的な、特別な気を遣わなければならなかったが、彼女はいつもバンドと一緒(Pookyべったり)だったのでとても楽だった。

彼女をはじめ、カルロスという強くて優しいボスのもとにがっちりとまとまったこのメンバーの結束はとても強い。
きちんとお礼を言う。時間に遅れない。勝手な個人行動をしない。決して頭ごなしにモノを言わない。そして、みな陽気でユーモアセンスがあふれていて楽しい。
カルロス自身が普段大切にしている行動規範が、メンバーひとりひとりに浸透しているのを感じた。


 
今回は会場に「Choose Chicago」(シカゴ観光局)のブースも設けられ、東京オフィスの責任者である薄井さんが仕事と休暇を兼ねてご家族で来てくださった。
彼女とは、昨年のミシシッピ川流域の旅でご一緒させていただいて以来、何かと親しくさせていただいている。
この「Japan Blues Festival」も近い将来、シカゴ観光局とタイアップできるかもしれない。




ライブ終了後、ある女性ファンが興奮してデミトリアに駆け寄ってきて「あなたは最高です!」と何度も何度も握手を求めていた。
普段は何もない静かな田舎町にシカゴの歌姫がやってきてその歌声に心を撃ち抜かれ、「ありがとう」と手を握るしかないおばちゃんの、その天にも昇る気持ち、わかるなー。
都会のフェスでは見られないこういうシーンに出合えるのが、このJBFの醍醐味なのだ。


予定の時間を上回り(これも毎年のことだけれど)、ライブは大盛り上がりで終了。
このあと浪岡市内の居酒屋さんでやっと夜ご飯。

しかし、ここで今回の語り草ともなるとんでもない「大事件」が起こるのだった。



・・・つづく

Japan Blues festival 2014 道中記① シカゴから青森へ。

2014-08-02 01:18:02 | music/festival
今回、シカゴからの出演メンバーの日本入りは、本人たちのスケジュールの都合上ばらばらだった。

カルロスは、同じく去年のゲストだったマシュー・スコラーたちとともに「Chicago Blues :A Living History Band」の一員として7月19日からスペイン、ベルギーを回るツアー中。
7月20日のベルギーでのライブ終了後、ひとりだけバンドを抜けて22日に日本入り。(スペインのカルロスファンの人たち、ごめんよ~)
今回が初来日となるキーボードのピーターは、遠路はるばるポーランドから一人旅。
ゲストシンガーのデミトリアは、すでに20日に日本に入り、Shun(菊田俊介)さんとともに全国3か所の都市をツアー中だった。
結局、今回シカゴから一緒に行ったのはベースのビルとドラムのプーキーのふたりだけ。11人という大所帯で行った2年前と比べると楽チンそのものだ。

2年前の記事はこちら

しかしその分、日本に入ってから他のみんなと無事に待ち合わせ場所で会えるかどうかという緊張感がいつもとは違って重くのしかかっていた。
でもまぁ、ネットでフライト情報を見る限りは何のトラブルもなく日本に到着しているようだし、そこから先はよほどのことが起こらない限り何とかなる・・・はず。



★7月23日(水曜日)

オヘアで二人と合流、いざ日本へ出発。フライトは快適&順調。


★7月24日(木曜日)

定刻に成田に到着、そこで第一関門のピーターとの待ち合わせ。
彼はすでにこの日の早朝に成田に到着していたので、ここで約半日間ゆっくりと過ごしてもらいながら私たちの到着を待ってもらうことにして待ち合わせ場所を細かく伝えていた。私たち3人とピーターはこれが初対面。
ドキドキして出口を出ると、そこにはちょっと緊張した面持ちのピーターが私たちを待ち受けてくれていた。(ほっ)

すぐにシャトルバスで羽田へ。ここで、カルロスとデミトリアと合流の予定だ。
うれしいことに、その日北九州からデミトリアと共に東京に帰ってきたShunさんが、彼らのアテンドと青森行のチェックインまで済ませてくれるという。よかった!これで時間がかなり短縮できる。
果たして羽田で無事にふたりと合流することができた。
これで一安心。




これから一路青森へ。
左から、Shun、Pooky、Demetria、Carlos、Piotr、Bill


しかーし。好事魔多し。
何とスムーズな旅なことよ、と喜んだのも束の間、やはり恐れていた“いつもの”事件が勃発。
カルロスのチェックインをしてくれたShunさんによると、カルロスはやはりギターの機内預入を完全拒否。どんなに説得してもギターを抱きかかえて離さず、「こいつと一緒じゃなければ青森へは行かない」とすごい剣幕だったそうだ。
結局、主催者側に相談してギター用に席を購入(2年前と同じパターン)、なんとかその場をしのいだのだが彼の怒りは収まらない。
「俺は30年以上このビジネスをやってきて世界中行っているが、機内で彼女(ギター)をこの手から放したことは一度もないんだ。それにどんな機体に乗るのか事前にちゃんと調べはついている。737なら荷物置き場に十分収まるはずなんだ」

理屈はわかっているものの、日本の航空会社はどこもギターの機内持ち込みができない掟。
その板挟みになるのはきまって、チェックインを手伝う人(つまり私やShunさん)ということになる。
「楽器の運搬に関してはミュージシャンがすべての責任を負い、追加で発生した費用も本人が支払うという契約になっているから何の問題もないでしょう」と事前に聞いていたけれど、そうは簡単にいくまいと嫌な予感がしていたがそれが的中してしまった。

一方、カルロスの一件を知らなかったベースのビルには、去年のフェルトンのようにJALの用意した専用のギターケースに入れて荷物として問題なく預入れしてもらった。
本人は渋ったが事前にこのことは伝えてあったので本人もいやいやながら納得。

そしていざ機内に乗り込んだとき、事態は思わぬ方向に。
機体後部の荷物棚がガラガラだったのをその目で確認したカルロスの怒りが沸騰。(これも2年前と同じパターン・・)
なんでも、JALの地上係員が「本日は満席ですので荷物棚にスペースがございません」というような説明をしたらしく、そのウソに対して爆発したらしい。

「スペースがこんなに空いているじゃないか! 彼らは大ウソつきだ。それにビルのベースはどうした?荷物預入したって?もしベースに何かあっても責任をとらない(免責書類にサインさせられたこと)とはどういうことだ。今すぐ倉庫から出してここにもってこい!!」
事情を知ったビルも「なんでカルロスだけ(席を買って)機内持ち込みというオプションが許されて自分のベースはチェックインさせられたんだ?もし何かあったらこの選択をした君の責任だ」と私に迫ってきた。
たとえ保険をかけたとはいえ、100万円を超える思い入れのあるベースを荷物預入した前代未聞の事態に激しく動揺しているようだった。

カルロスのあまりの剣幕に、すでに席について離陸を待つ体制に入っていた機内は静まり返った。
彼は怒りのあまり目が充血し手が震えている。
「俺は今ものすごく怒っている。どうしていいかわからないほどだ」
怒りはごもっともだ。私だって心の中は煮えくり返っていた。
その場しのぎのウソをついて席を購入させたJALの係員の、プロフェッショナルとは程遠いその対応。乗せてしまえばなんとかなるだろう的な読みの甘さ。
他のお客さんの手前上、おとなしく言うことを聞き入れてくれる(だろう)横並び的な日本人には通用しても、外国人にはそう簡単には通用しないのだ。
特に彼らは「音」に命をかけている。楽器は体の一部であり、何か起こったらそこでThe Endなのだ。いや、「たら」はありえない。そのためにはどんな交渉だってするのが彼らだ。
変な話だが、JALの対応の甘さとカルロスたちの強気姿勢に、日本の腰抜け外交の縮図を見た気がした。

しかし今は、とにかくこの状態を納めなければ離陸できない。
震えるカルロスの背中をさすりながら、私も必死でなだめる。
「あなたの言うことはごもっともです。彼らが“荷物棚にはスペースがない”というウソをついたのは許しがたい行為です。ビルのベースの件も、事前にご説明していたとはいえ本意ではない選択をさせてしまったことに心からお詫びします。この件は、もし万が一何かが起こった場合の責任も含めてくれぐれも主催者に伝えておきます。ただアメリカとは違い彼らは楽器を貴重品としてとても丁寧に扱ってくれますし、他の荷物と一緒にされることもターンテーブル出てて来ることも決してありませんから、ここはなんとか青森に向かいましょう」

びびりまくって始終を眺めるだけだったフライトアテンダントからも、「青森に着いたら責任者から説明をし謝罪をさせていただきます」という約束を取り付け、なんとか離陸することになった。
ただ、バンドリーダーとして、ビルのベースを守れなかった。このことがカルロスを混乱させ悲しませたことは事実。
その気持ちを汲んであげられなかった自分の無力さに、青森に向かう1時間は私も針のむしろに寝ているようなつらさだった。

青森に着き、ベースのはいったケースがちゃんと人の手で丁寧に運ばれてきた。
早速中を確認し、ベースの無事を確認してようやく二人とも安堵の表情。
JALの責任者も私たちに謝罪に訪れた。
「帰りにも同じことが起こりますから対応をお願いします」と抗議すると、「お帰りの際にはお二人分の楽器のスペースは無料で確保させていただきます」と約束。
これを聞いてカルロスたちの怒りもやっと静まった。
(それが簡単にできるならどうしてそれが行きのフライトでできなかったんだよ!?と今度は私の怒りが爆発)

「もしここでベースになにかあったら、と思うと飛行中は生きた心地がしなかった」そう言って、カルロスは涙目になっていた。
彼はなんて素敵なボスなんだろう。そのとき私は心からそう思った。
機内での暴れぶりは日本人からみると大げさで横暴に見えるかもしれない。しかし、これほどまでにプロとしての仕事を全うすることに、そしてそれを一緒に遂行しようとついてきてくれるメンバーのために自ら命を懸けて戦う姿に、私は心を打ち抜かれた。
この先、どんなことがあってもこの人をひとりで戦わせてはいけない。絶対に守らなければ、そう決意した。




 
ホテル裏の焼肉屋でやっと夕食。明日から本番だ。




・・・・つづく