ここ数年、夏の恒例行事となりつつある「Japan Blues Festival」。
一昨年の第10周年のときに、取材を兼ねてシカゴのミュージシャンたちのシカゴからの引率係兼通訳兼なんでも雑用係として帰国したのが最初だった。で、なぜかそれから毎年続いているツアーコンダクターも今年で3年目。
今年のシカゴからの参加アーティストは、私が今シカゴで一番大好きなカルロス・ジョンソン・バンド。
カルロスの出演が決まったとき、彼のステージに熱狂する観客の様子が目の前に克明に浮かんでひとりでにやにやしていた。
5月にカルロスをライブハウスに見に行ったとき、私のこの空想は確信に変わった。その圧倒的な存在感とバンドのグルーブにもう、ただただ圧倒され、気が付いたら涙がぼろぼろでていた。これを日本で再現できるのだ。こんなにうれしいことはない。
カルロス自身も2009年以来久々の日本公演。
もともと日本でも多くの根強いファンを持つ彼のこと、このタイミングで行けることに彼自身もとても喜んでいて、「I cannot wait」を連発していた。
しかも誰かのサブミュージシャンとしてではなく、自らのリーダーバンドを引き連れての公演は彼のキャリアにとっても大きな転機になる。
そういう意味でも、今回のカルロスの“Japan Blues Festival”への出演は、彼とファンの双方にとっても絶妙のタイミングとなった。
さて、今回のバンドメンバーは、
Carlos Johnson (Guitar & Vocal)
Bill“The Buddah”Dickens(Bass)
Pooky Styx (Drum)
Piotr Świętoniowski (Keyboard) ※ポーランドからの参加
ゲストシンガーに、当フェスティバル3年ぶり2度目の出演となる
Demetria Taylor (Vocal)
一応サイトに紹介されてたプロフィールをご紹介。
Carlos Johnson(カルロス・ジョンソン)
(ギター & ヴォーカル)
シカゴ出身のギタリスト、シンガー、バンドリーダー。
過去20年以上にわたって、ココ・テイラー、オーティス・ラッシュ、ジュニア・ウェルズ、サン・シールズ、ヴァレリー・ウェリントン、ケアリー・ベルなどの伝説的ブルース・ミュージシャンらと共に世界中をツアーしてきた実力派で、現在、世界屈指のブルース・ギタリストのひとりに挙げられている。シカゴ・ウェストサイドの伝統的なディープサウンドに、現代風のファンキーなサウンドを取り入れた独自の音作りが特徴。左利きのアップサイドダウン(右利きギターを弦の張替えなしにひっくり返して使う)奏法から奏でられる情熱的で個性的なギターサウンドとパワフルなヴォーカル、そのカリスマ的ステージパフォーマンスは常に見る者を圧倒し、現在“最も熱いブルースマン”と評される。
1989年に初来日、ヴァレリー・ウェリントンのバンドのギタリストを務め注目を集めた。2004年には、脳梗塞で演奏が不可能になったオーティス・ラッシュの来日公演にサポート・ギタリストとして参加し、一気に彼の名を知らしめた。2007、2009年には、ソロ・アーティストとして日本ツアーを行っている。
これまでに、ビリー・ブランチとデュオ名義で発表した「Don't Mess With The Bluesmen」(2004年)やサン・シールズとのレコーディングなどに参加。自身名義でも「My Name Is Carlos Johnson」(2001年)、「In And Out」(2004年)を発表。2007年には地元シカゴのクラブでのライヴを収録した「Live At B.L.U.E.S. on Halsted」をリリース。また近年では、2010年のグラミー賞・ベスト・ブルースアルバム賞にノミネートされた「Chicago Blues: A Living History」(2009年)、続く「Chicago Blues: A Living History, The (R)evolution Continues」(2011年)にも、ギター及びヴォーカルで参加している。
Bill “The Buddha” ビル“ザ・ブッダ”ディケンス)(ベース)
シカゴ北部、エバンストン出身。7弦ベースを弾きこなすただものじゃない男、ビル・ディケンスは、ジャズからポップ、ロックからブルースやR&Bまでありとあらゆるジャンルの作詞、作曲、プロデュース、演奏をこなすミュージシャンだ。40年以上にわたって数々のヒット作を生み出し、トップミュージシャンと共演を続け、“ベースの仏陀”との異名をとる。
直近では、レオ・ノセンテリ&ミーターズExperience、カルロス・ジョンソン&ザ・シリアス・ブルース・バンド、スティービー・ワンダー、ドクター・ジョンと活動を共にしている。
作曲家としても数々のヒット作を生み出しており、数百万枚を売り上げた、『In Case You Forgot』をアレサ・フランクリンに提供したほか、ビルボードNo.1ヒットとなった『Don’t Lose The Magic』(ショーン・クリストファー)、ジャズのNo.1ヒットの『Bernice』(ラムゼイ・ルイス)などを作曲、レコーディングしている。
また、グラミー賞にノミネートされたアルバム、“Chicago Blues:A Living History“(2009)や、シュガー・ブルーの“Threshold”にもベーシストとして参加。“Chicago Blues:A Living History; The (R)evolution Continues”は、2012年のブルース・ミュージック・アウォード、ベスト・トラディショナルアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。8年間のラムゼイ・ルイスとの共演では、4アルバムのレコーディングに参加、(そのうち1アルバムをプロデュース)、7曲を書き下ろした。
近々、ビルのソロ・デビューアルバムとなる“Tha Truth”がリリースされる予定で、これにはマイク・ゴードン(Phish)や他の偉大なアーティストたちも参加している。また、レオ・ノセンテリのソロ・デビューアルバムでも数曲ベースを弾いている。レオ・ノセンテリのプロジェクトでは、ジョージ・デュークと共に(彼が亡くなる6か月前)加わったが、これには、カート・ウォーラム、ピーター・ガブリエル、ドクター・ジョンなどもゲスト参加している。これらの作品により、長い間隠れた存在だった実力派ベーシスト、ビル“仏陀”ディケンスにスポットライトが当たることになるだろう。
Pooky Styx(プーキー・スティクス)
(ドラム)
プロとして35年間、常に一線で活躍し続ける才能あふれたベテランドラマー。教会のバンドでドラマーとしてのキャリアをスタート、これまでに様々なバンドと共に国内外をツアー、レコーディングを行っている。おもなバンド歴は、チコ・バンクスのバンドに12年、ココ・テイラーのバンドで2年、現在はカルロス・ジョンソン・バンドのドラマーとして活動を続けている。また、ハーモニカプレーヤー、シュガー・ブルーのバンドでもドラマーを務めている。多才にして、シカゴでもっとも多忙なドラマーである。
Piotr Świętoniowski (ピオトール・スィトニオスキー)
(キーボード)
1979年10月生 ピアニスト、作曲家、アレンジャー
音楽教育、教育学学位をポーランド・ポズナンのアダム・ミツキェヴィチ大学で取得。カルロス・ジョンソン・バンドのポーランドツアーメンバー。ポーランドで最も人気のあるブルースバンドのひとつ、“フードゥー・バンド”のメンバー。
プロデューサー、音楽監督、アレンジャーとして参加しているプロジェクト: “トリビュート・トゥ・マイケルジャクソン”、映画“ディサアピアランス”の映画音楽作曲。
ヴロツワフ・ポーランド劇場、 ヴロツワフ“キャピトル”音楽劇場所属、 ビッグバンド“フェルベックバンド”メンバー、ジャズグループ、“ウィ・ラブ・マイルス”メンバー
録音アルバムは以下のとおり。
オプティミスティック〝オプティミスティック“ ルナミュージック(2010)
キャロルXVII&MBバレンス“マイナーコード2”ロコレコード(2010)
アリーシャ ヤノス〝ビンテージ“ ライオンステージレコード (2011)
エレクトロネーズ “ピカス” (2011)
タックスフリー “ラジエスターン”(2012)
バルテック・ミアルカ “ バルテック・ミアルカ(2013)
フードゥーバンド “アンプラグド” ダーマフォン (2013)
Demetria Taylor(デミトリア・テイラー)
(ヴォーカル)1973年、伝説のブルースマン、エディー・テイラーの8人の子供の7番目としてシカゴで生まれる。母親のヴェラ・テイラーもボーカリストというブルース一家で、自宅にはフロイド・ジョーンズ、ケアリー・ベル、サニーランド・スリム、ジョニー・リトルジョン、サム・レイ、ウィリー・ケント、テイル・ドラッガー、エディ・ショウ、ジョニー・B・ムーア、マジック・スリムらが出入りしていた。そのような環境のなかで、エタ・ジェームス、ベッシー・スミス、ビッグ・ママ・ソートンなどを聴いて育ち、中でも“ブルースの女王”ココ・テイラーから最も大きな影響を受けた。
亡き父やブルース界の先達のレガシーを受け継いだデミトリアは、海外各地でのツアーはもとより「シカゴ・ブルース・フェスティバル」やシカゴの名だたるブルースクラブで積極的に活動を行っている。現在はデルマークレコードの専属アーティストで、2011年にデビューアルバム『Bad Girl』をリリース。これは、2012年のブルース・ミュージック・アウォードの「ベスト・ニューアーティスト・デビュー」にノミネートされた。
「母は家の中でよく歌っていたわ。ハミングバードみたいに、皆が聞き惚れるようなすごくソウルフルな、透き通るような声だった。彼女は私たちにいつもこう言っていたわ。“あなたたちの内にあるもの、それをただ外に出すだけでいいのよ”って。私はブルースを歌うために生まれてきたんだって」(デミトリア)
一昨年の第10周年のときに、取材を兼ねてシカゴのミュージシャンたちのシカゴからの引率係兼通訳兼なんでも雑用係として帰国したのが最初だった。で、なぜかそれから毎年続いているツアーコンダクターも今年で3年目。
今年のシカゴからの参加アーティストは、私が今シカゴで一番大好きなカルロス・ジョンソン・バンド。
カルロスの出演が決まったとき、彼のステージに熱狂する観客の様子が目の前に克明に浮かんでひとりでにやにやしていた。
5月にカルロスをライブハウスに見に行ったとき、私のこの空想は確信に変わった。その圧倒的な存在感とバンドのグルーブにもう、ただただ圧倒され、気が付いたら涙がぼろぼろでていた。これを日本で再現できるのだ。こんなにうれしいことはない。
カルロス自身も2009年以来久々の日本公演。
もともと日本でも多くの根強いファンを持つ彼のこと、このタイミングで行けることに彼自身もとても喜んでいて、「I cannot wait」を連発していた。
しかも誰かのサブミュージシャンとしてではなく、自らのリーダーバンドを引き連れての公演は彼のキャリアにとっても大きな転機になる。
そういう意味でも、今回のカルロスの“Japan Blues Festival”への出演は、彼とファンの双方にとっても絶妙のタイミングとなった。
さて、今回のバンドメンバーは、
Carlos Johnson (Guitar & Vocal)
Bill“The Buddah”Dickens(Bass)
Pooky Styx (Drum)
Piotr Świętoniowski (Keyboard) ※ポーランドからの参加
ゲストシンガーに、当フェスティバル3年ぶり2度目の出演となる
Demetria Taylor (Vocal)
一応サイトに紹介されてたプロフィールをご紹介。
Carlos Johnson(カルロス・ジョンソン)
(ギター & ヴォーカル)
シカゴ出身のギタリスト、シンガー、バンドリーダー。
過去20年以上にわたって、ココ・テイラー、オーティス・ラッシュ、ジュニア・ウェルズ、サン・シールズ、ヴァレリー・ウェリントン、ケアリー・ベルなどの伝説的ブルース・ミュージシャンらと共に世界中をツアーしてきた実力派で、現在、世界屈指のブルース・ギタリストのひとりに挙げられている。シカゴ・ウェストサイドの伝統的なディープサウンドに、現代風のファンキーなサウンドを取り入れた独自の音作りが特徴。左利きのアップサイドダウン(右利きギターを弦の張替えなしにひっくり返して使う)奏法から奏でられる情熱的で個性的なギターサウンドとパワフルなヴォーカル、そのカリスマ的ステージパフォーマンスは常に見る者を圧倒し、現在“最も熱いブルースマン”と評される。
1989年に初来日、ヴァレリー・ウェリントンのバンドのギタリストを務め注目を集めた。2004年には、脳梗塞で演奏が不可能になったオーティス・ラッシュの来日公演にサポート・ギタリストとして参加し、一気に彼の名を知らしめた。2007、2009年には、ソロ・アーティストとして日本ツアーを行っている。
これまでに、ビリー・ブランチとデュオ名義で発表した「Don't Mess With The Bluesmen」(2004年)やサン・シールズとのレコーディングなどに参加。自身名義でも「My Name Is Carlos Johnson」(2001年)、「In And Out」(2004年)を発表。2007年には地元シカゴのクラブでのライヴを収録した「Live At B.L.U.E.S. on Halsted」をリリース。また近年では、2010年のグラミー賞・ベスト・ブルースアルバム賞にノミネートされた「Chicago Blues: A Living History」(2009年)、続く「Chicago Blues: A Living History, The (R)evolution Continues」(2011年)にも、ギター及びヴォーカルで参加している。
Bill “The Buddha” ビル“ザ・ブッダ”ディケンス)(ベース)
シカゴ北部、エバンストン出身。7弦ベースを弾きこなすただものじゃない男、ビル・ディケンスは、ジャズからポップ、ロックからブルースやR&Bまでありとあらゆるジャンルの作詞、作曲、プロデュース、演奏をこなすミュージシャンだ。40年以上にわたって数々のヒット作を生み出し、トップミュージシャンと共演を続け、“ベースの仏陀”との異名をとる。
直近では、レオ・ノセンテリ&ミーターズExperience、カルロス・ジョンソン&ザ・シリアス・ブルース・バンド、スティービー・ワンダー、ドクター・ジョンと活動を共にしている。
作曲家としても数々のヒット作を生み出しており、数百万枚を売り上げた、『In Case You Forgot』をアレサ・フランクリンに提供したほか、ビルボードNo.1ヒットとなった『Don’t Lose The Magic』(ショーン・クリストファー)、ジャズのNo.1ヒットの『Bernice』(ラムゼイ・ルイス)などを作曲、レコーディングしている。
また、グラミー賞にノミネートされたアルバム、“Chicago Blues:A Living History“(2009)や、シュガー・ブルーの“Threshold”にもベーシストとして参加。“Chicago Blues:A Living History; The (R)evolution Continues”は、2012年のブルース・ミュージック・アウォード、ベスト・トラディショナルアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。8年間のラムゼイ・ルイスとの共演では、4アルバムのレコーディングに参加、(そのうち1アルバムをプロデュース)、7曲を書き下ろした。
近々、ビルのソロ・デビューアルバムとなる“Tha Truth”がリリースされる予定で、これにはマイク・ゴードン(Phish)や他の偉大なアーティストたちも参加している。また、レオ・ノセンテリのソロ・デビューアルバムでも数曲ベースを弾いている。レオ・ノセンテリのプロジェクトでは、ジョージ・デュークと共に(彼が亡くなる6か月前)加わったが、これには、カート・ウォーラム、ピーター・ガブリエル、ドクター・ジョンなどもゲスト参加している。これらの作品により、長い間隠れた存在だった実力派ベーシスト、ビル“仏陀”ディケンスにスポットライトが当たることになるだろう。
Pooky Styx(プーキー・スティクス)
(ドラム)
プロとして35年間、常に一線で活躍し続ける才能あふれたベテランドラマー。教会のバンドでドラマーとしてのキャリアをスタート、これまでに様々なバンドと共に国内外をツアー、レコーディングを行っている。おもなバンド歴は、チコ・バンクスのバンドに12年、ココ・テイラーのバンドで2年、現在はカルロス・ジョンソン・バンドのドラマーとして活動を続けている。また、ハーモニカプレーヤー、シュガー・ブルーのバンドでもドラマーを務めている。多才にして、シカゴでもっとも多忙なドラマーである。
Piotr Świętoniowski (ピオトール・スィトニオスキー)
(キーボード)
1979年10月生 ピアニスト、作曲家、アレンジャー
音楽教育、教育学学位をポーランド・ポズナンのアダム・ミツキェヴィチ大学で取得。カルロス・ジョンソン・バンドのポーランドツアーメンバー。ポーランドで最も人気のあるブルースバンドのひとつ、“フードゥー・バンド”のメンバー。
プロデューサー、音楽監督、アレンジャーとして参加しているプロジェクト: “トリビュート・トゥ・マイケルジャクソン”、映画“ディサアピアランス”の映画音楽作曲。
ヴロツワフ・ポーランド劇場、 ヴロツワフ“キャピトル”音楽劇場所属、 ビッグバンド“フェルベックバンド”メンバー、ジャズグループ、“ウィ・ラブ・マイルス”メンバー
録音アルバムは以下のとおり。
オプティミスティック〝オプティミスティック“ ルナミュージック(2010)
キャロルXVII&MBバレンス“マイナーコード2”ロコレコード(2010)
アリーシャ ヤノス〝ビンテージ“ ライオンステージレコード (2011)
エレクトロネーズ “ピカス” (2011)
タックスフリー “ラジエスターン”(2012)
バルテック・ミアルカ “ バルテック・ミアルカ(2013)
フードゥーバンド “アンプラグド” ダーマフォン (2013)
Demetria Taylor(デミトリア・テイラー)
(ヴォーカル)1973年、伝説のブルースマン、エディー・テイラーの8人の子供の7番目としてシカゴで生まれる。母親のヴェラ・テイラーもボーカリストというブルース一家で、自宅にはフロイド・ジョーンズ、ケアリー・ベル、サニーランド・スリム、ジョニー・リトルジョン、サム・レイ、ウィリー・ケント、テイル・ドラッガー、エディ・ショウ、ジョニー・B・ムーア、マジック・スリムらが出入りしていた。そのような環境のなかで、エタ・ジェームス、ベッシー・スミス、ビッグ・ママ・ソートンなどを聴いて育ち、中でも“ブルースの女王”ココ・テイラーから最も大きな影響を受けた。
亡き父やブルース界の先達のレガシーを受け継いだデミトリアは、海外各地でのツアーはもとより「シカゴ・ブルース・フェスティバル」やシカゴの名だたるブルースクラブで積極的に活動を行っている。現在はデルマークレコードの専属アーティストで、2011年にデビューアルバム『Bad Girl』をリリース。これは、2012年のブルース・ミュージック・アウォードの「ベスト・ニューアーティスト・デビュー」にノミネートされた。
「母は家の中でよく歌っていたわ。ハミングバードみたいに、皆が聞き惚れるようなすごくソウルフルな、透き通るような声だった。彼女は私たちにいつもこう言っていたわ。“あなたたちの内にあるもの、それをただ外に出すだけでいいのよ”って。私はブルースを歌うために生まれてきたんだって」(デミトリア)