私は今でこそ昭和歌謡マニアの端くれとしてお気に入りの歌手のCDやLPやシングルをせっせと集めて楽しんでいるが、若い頃は寝ても覚めてもビートルズとハードロックと80'sポップス一辺倒で、本格的に昭和歌謡にハマりだしたのは8年ぐらい前のことだった。たまたま立ち寄ったツタヤでお目当ての任侠DVDがすべて貸し出し中でガッカリし、せっかく来たんやから他も見てみようとそれまで見向きもしなかったCDのコーナーへと足を踏み入れたのがすべての始まりで、そこでたまたま見つけたのがレーベルの枠を超えて歌謡曲のヒット曲を1年ごとにまとめた「青春歌年鑑」というコンピレーション・シリーズだった。
当時の私の手持ちの歌謡曲音源と言えばリアルタイムで買ったキャンディーズと太田裕美とジュリーのシングル盤だけで、真の黄金時代と言える60年代後半から70年代前半のヒット曲は “どっかで聞いたことあるなぁ...” 程度の認識だったが、手ぶらで帰るのも癪だったのでとりあえず1枚借りてみようと「1970年」版を選んだ。早速帰って聴いてみると「黒猫のタンゴ」や「白い蝶のサンバ」など、小学校に入ったばかりの頃に流行った曲が入っていてめっちゃ懐かしかったが、2枚組全30曲の中で最もインパクトが強かったのが藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」、「新宿の女」、「女のブルース」の3曲だった。
前に取り上げた「圭子の夢は夜ひらく」は例の “十五、十六、十七と 私の人生暗かった~♪” のフレーズに聴き覚えがあったが、「新宿の女」と「女のブルース」は初めて聴く曲で、どちらも彼女のヴォーカルが怖いくらいリアルに迫ってくる。心の奥底までグイグイと入り込んでくるようなその歌声に完全KOされ、その濃厚な歌世界にズルズルと引き込まれていった。私はこの時初めて藤圭子という歌手の凄さを知ったのだ。この「青春歌年鑑」シリーズには他にもいしだあゆみや青江三奈など私好みの女性歌手の曲が数多く収録されており、これをきっかけに本格的に昭和歌謡に目覚めた私はその後時系列に沿ってヒット曲を後追いしていくことになるのだが、それはまた別のはなし。
話を藤圭子に戻そう。まずは彼女のデビュー曲「新宿の女」だが、演歌というジャンルに対する先入観を捨てて聴けばその魅力的なイントロに心を奪われること間違いなし。クリスプなベースを露払いに颯爽と登場するトランペットの響きの何と瑞々しいことよ! 一杯ひっかけてホロ酔い気分のクリフォード・ブラウンが鼻歌感覚で吹いているかのような(?)見事なソロだ。それに続くギターもまるでハーブ・エリスが日本に帰化して演歌に改宗したかのような(←するかそんなもん!)歌心溢れるプレイで彼女の歌を引き立てているし、隠し味的に使われているヴィブラフォンや流麗なストリングスも彼女のドライでドスの効いたヴォーカルを柔らかく包み込んで歌と演奏の絶妙なバランスを演出している。曲調は古臭いネオン演歌の域を出ないが、この曲が今聴いても風化せずに新鮮な感動を覚えるのはそのあたりの器楽アレンジの妙によるところが大きいと思う。藤圭子というとついつい “暗い” だの “怨歌” だのといった面ばかりが語られがちだが、とにかく一度この曲のインスト・パートに注目して聴いてみれば、その素晴らしさに驚倒するだろう。
この曲を聴いてもう一つ印象的だったのはその歌詞の展開だ。曲の出だしは “私が男になれたなら 私は女を捨てないわ~♪” と一人称の “私” を主語にしたストーリーテリングの定石に沿った始まり方をするのだが、途中の “バカだなぁ バカだなぁ だまされちゃーあぁてぇ~♪” で視点を第三者から見た “私” へと移動させることによって聴き手におやっと思わせ、最後は “夜が冷たい 新宿の女~♪” と体言止めでビシッとキメて余韻を残すという高等テクニックに唸ってしまう。 “バカだなぁ バカだなぁ~♪” という自虐的フレーズを敢えてサラッと歌い流す彼女のヴォーカリストとしての力量にも脱帽だ。これ、ホンマにエエ歌やわぁ... (≧▽≦)
新宿の女
「新宿の女」路線を更に推し進めた彼女のセカンド・シングル「女のブルース」は彼女にとって初の№1ヒット、しかも8週連続1位という大ヒット曲で、続くサード・シングル「圭子の夢は夜ひらく」も含めたこれら初期シングル3枚にこそ藤圭子という歌手の魅力が凝縮されているように思う。この3曲に関してはただ単に “歌い手が歌を歌う” という次元を遥かに超越して、 “作詞作曲者がその歌に込めた想いを余すことなく聴き手に伝える表現者としての藤圭子” が堪能できるのだ。
この「女のブルース」はそんな3曲の中で最もシンプルな構成で、1番から4番までそれぞれ “女ですもの ○○○~♪”、“あなた一人に △△△~♪”、“ここは東京 ×××~♪”、“何処で生きても □□□~♪” の繰り返しから成る4行詩なのだが、逆にそれが彼女の傑出した歌唱によってザ・ワン・アンド・オンリーな世界を構築し、聴き手に強烈なインパクトを与えるのだ。この曲に “昭和のオンナ” の情念を宿らせた藤圭子... まさに “シンプル・イズ・ベスト” のお手本のような名曲名唱と言えるだろう。
女のブルース
当時の私の手持ちの歌謡曲音源と言えばリアルタイムで買ったキャンディーズと太田裕美とジュリーのシングル盤だけで、真の黄金時代と言える60年代後半から70年代前半のヒット曲は “どっかで聞いたことあるなぁ...” 程度の認識だったが、手ぶらで帰るのも癪だったのでとりあえず1枚借りてみようと「1970年」版を選んだ。早速帰って聴いてみると「黒猫のタンゴ」や「白い蝶のサンバ」など、小学校に入ったばかりの頃に流行った曲が入っていてめっちゃ懐かしかったが、2枚組全30曲の中で最もインパクトが強かったのが藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」、「新宿の女」、「女のブルース」の3曲だった。
前に取り上げた「圭子の夢は夜ひらく」は例の “十五、十六、十七と 私の人生暗かった~♪” のフレーズに聴き覚えがあったが、「新宿の女」と「女のブルース」は初めて聴く曲で、どちらも彼女のヴォーカルが怖いくらいリアルに迫ってくる。心の奥底までグイグイと入り込んでくるようなその歌声に完全KOされ、その濃厚な歌世界にズルズルと引き込まれていった。私はこの時初めて藤圭子という歌手の凄さを知ったのだ。この「青春歌年鑑」シリーズには他にもいしだあゆみや青江三奈など私好みの女性歌手の曲が数多く収録されており、これをきっかけに本格的に昭和歌謡に目覚めた私はその後時系列に沿ってヒット曲を後追いしていくことになるのだが、それはまた別のはなし。
話を藤圭子に戻そう。まずは彼女のデビュー曲「新宿の女」だが、演歌というジャンルに対する先入観を捨てて聴けばその魅力的なイントロに心を奪われること間違いなし。クリスプなベースを露払いに颯爽と登場するトランペットの響きの何と瑞々しいことよ! 一杯ひっかけてホロ酔い気分のクリフォード・ブラウンが鼻歌感覚で吹いているかのような(?)見事なソロだ。それに続くギターもまるでハーブ・エリスが日本に帰化して演歌に改宗したかのような(←するかそんなもん!)歌心溢れるプレイで彼女の歌を引き立てているし、隠し味的に使われているヴィブラフォンや流麗なストリングスも彼女のドライでドスの効いたヴォーカルを柔らかく包み込んで歌と演奏の絶妙なバランスを演出している。曲調は古臭いネオン演歌の域を出ないが、この曲が今聴いても風化せずに新鮮な感動を覚えるのはそのあたりの器楽アレンジの妙によるところが大きいと思う。藤圭子というとついつい “暗い” だの “怨歌” だのといった面ばかりが語られがちだが、とにかく一度この曲のインスト・パートに注目して聴いてみれば、その素晴らしさに驚倒するだろう。
この曲を聴いてもう一つ印象的だったのはその歌詞の展開だ。曲の出だしは “私が男になれたなら 私は女を捨てないわ~♪” と一人称の “私” を主語にしたストーリーテリングの定石に沿った始まり方をするのだが、途中の “バカだなぁ バカだなぁ だまされちゃーあぁてぇ~♪” で視点を第三者から見た “私” へと移動させることによって聴き手におやっと思わせ、最後は “夜が冷たい 新宿の女~♪” と体言止めでビシッとキメて余韻を残すという高等テクニックに唸ってしまう。 “バカだなぁ バカだなぁ~♪” という自虐的フレーズを敢えてサラッと歌い流す彼女のヴォーカリストとしての力量にも脱帽だ。これ、ホンマにエエ歌やわぁ... (≧▽≦)
新宿の女
「新宿の女」路線を更に推し進めた彼女のセカンド・シングル「女のブルース」は彼女にとって初の№1ヒット、しかも8週連続1位という大ヒット曲で、続くサード・シングル「圭子の夢は夜ひらく」も含めたこれら初期シングル3枚にこそ藤圭子という歌手の魅力が凝縮されているように思う。この3曲に関してはただ単に “歌い手が歌を歌う” という次元を遥かに超越して、 “作詞作曲者がその歌に込めた想いを余すことなく聴き手に伝える表現者としての藤圭子” が堪能できるのだ。
この「女のブルース」はそんな3曲の中で最もシンプルな構成で、1番から4番までそれぞれ “女ですもの ○○○~♪”、“あなた一人に △△△~♪”、“ここは東京 ×××~♪”、“何処で生きても □□□~♪” の繰り返しから成る4行詩なのだが、逆にそれが彼女の傑出した歌唱によってザ・ワン・アンド・オンリーな世界を構築し、聴き手に強烈なインパクトを与えるのだ。この曲に “昭和のオンナ” の情念を宿らせた藤圭子... まさに “シンプル・イズ・ベスト” のお手本のような名曲名唱と言えるだろう。
女のブルース
私の駄文に共感していただき、とても嬉しいです。
昭和歌謡ネタでハーブ・エリスに反応していただけるとは思いもよりませんでした(笑)
仰るように『新宿の女』は昭和歌謡の範疇を軽く超越した凄い作品ですよね。
ヴォーカルも、インストも、アレンジも、そのすべてが素晴らしい!!!
彼女はジャニス・ジョップリンやビリー・ホリデイと比肩する偉大なシンガーだと思います。
(以前 Izumi 名でもコメントさせていただきました)
藤圭子についてマトモなことを言ってる文章をあんまり見たことがないもんですから。
アルバム『新宿の女』のインストは本当に凄いです。これほど密度の濃い美しさを持った「音楽」が詰まったレコードは、歌謡曲に限らずなかなか見つかるもんじゃありません。(ハーブ・エリス GJ!ww)
「今聴いても風化せずに新鮮な感動を覚えるのはそのあたりの器楽アレンジの妙による」―
まったくそのとおりだと思います。
『新宿の女』は、藤圭子のファンだけに聴かれて終わってしまうような作品ではありませんね。
shiotch7さんみたいに広く音楽を聴いてる人の分析は、やっぱり読み応えがあります。『歌いつがれて25年』の「銀座カンカン娘」や「有楽町で逢いましょう」の評価も、「こういうふうに藤圭子を紹介してほしい」っていうツボにハマるのです。
(ライブ盤の後期の3枚がツライというのも同感です)
古い話ですみませんでした。
あのアルバムはバックの演奏が抜群なので
クサい演歌になってません。
収録曲も良い曲ばかりですし、
藤圭子で1枚と言われれば絶対にファーストに限ると思います。
私、若い頃はサックスが嫌いだったんです。
ロックはギターとベースとドラムス以外は認めない!みたいな...
(エレファンツ・メモリーのゴリ押し・サックスは好きでしたけどね)
やがてジャズを聴き始めてこんな↓演奏に出会ってからサックスが大好きになりました。
http://www.youtube.com/watch?v=aUoqhuSjBKk
http://www.youtube.com/watch?v=0pC9LDLOqLA
ただし、クールファイブの “歌のない歌謡曲 むせび泣くテナー” みたいなのはちょっと堪忍してほしいです。
セカンドアルバムは圭子姐さんのヴォーカル一点狙いで聴いてみて下さい。
Live at BBC Vol.2の発売まで待ってたらフヌケになりそうなので(笑)
そろそろ中和しなければ...
ファーストアルバムに入っている「逢わずに愛して」は結構お気に入りです、藤圭子はトランペットですがクールファイブはサックスのようですね。
サックスと言えばジョンのWhatever Gets You Thru The Nightを思い出すのですが、同じ楽器でも使い方でずいぶん変わるものです。
セカンドアルバムもいつかは聞いて見たいです。
Live at BBC Vol.2で中和は確かに効きそうです(笑)
ポールの大阪公演第1回抽選、ハズレました...(泣)
9月に入ってB'z 4連敗、ポール1敗で現在5連敗中。
来週2回目の抽選にチャレンジします。
その前にお祓いしてもらわなあかんかも...
「新宿の女」はやっぱりこの必殺のイントロですよねー
何て言うか、心に沁みわたる感じです。
セカンド・アルバムは基本的にはファーストと同じ路線なんですが
むせび泣くテナー・サックスが幅をきかせていて
バックの演奏が完全に内山田洋とクールファイブ化しており
サウンド面でより演歌志向が強まっているところが私的にはネックですね。
藤圭子のヴォーカルが絶好調なだけに勿体ないです。
だからファーストは1枚通しで聴きますが
セカンドは「女のブルース」と「命預けます」のシングル2曲を
つまみ聴きすることが多いです。
Live at BBC Vol.2 はみながわさんおっしゃるところの “中和” に最適ですね(^.^)
また、shiotchさんの言う、デビュー曲からの3曲に藤圭子の魅力が凝縮されているという意見に全く同感です。
私はベスト盤よりアルバム「新宿の女」聞く頻度が高いです、カバー曲が多いですがアルバムとしての完成度が高く、当時記録的ヒットになったというのもうなずけますね
セカンドアルバムはまだ聞いていないのですが同じ路線と考えていいのでしょうか。
今は昭和歌謡沼にどっぷり浸かっていますが、Live at BBC Vol.2も楽しみですね。