shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

Picaso's Last Words - Getting Closer / Paul McCartney with Dustin Hoffman

2014-04-14 | Paul McCartney
 最近面白いブツを入手した。前回取り上げた「A Super DJ Sampler」と同じ greenAPPLE から出た「Picaso's Last Words / Paul McCartney with Dustin Hoffman」という CD(←ピカソの綴りが間違ってるのはご愛嬌...)がそれで、ブートレッグとしては珍しいシングル盤でのリリース(1,000円!)だ。「ピカソの遺言」は言わずと知れた「バンド・オン・ザ・ラン」収録の名曲で、ここに収録されているのはそのデモ音源なのだが、この曲の誕生にまつわるエピソードがメーカー・インフォにわかりやすく書いてあるのでここにそのまま引用してみたい:
 “・・・そう、あの時は休暇でジャマイカにいたんだ、、、モンテゴ湾の外側にある小さな家さ。THE DAILY GLEANERという地元紙を読んでいると、ダスティン・ホフマンとスティーヴ・マックイーンが町に居て「PAPILLON」って映画を撮影しているって書いてあったんだ。彼らは沿岸に滞在していてさ、リンダと一緒にダスティンと夕食でも取れたら良いなあって話になったんだよ。そしたらリンダがダスティンの奥さんに電話してくれて、夕食に誘うと彼らも乗り気でね。彼らもジャマイカには馴染めず退屈していたみたい。それで彼らの家にお邪魔したんだ。すぐに仲良くなって、おしゃべりしてたんだ。ふと曲作りの話題になって、ダスティンが「色んなことについて曲作りできるなんて、すごい才能だね!」って言うんだ。そう考える人は多いみたいだけど、僕にしてみたらそれも色々ある才能と同じだと思うんだよ。だってダスティンが色んな役を演じることができるのと一緒さ。監督が「スタート!」って言えば、君はすぐにその役になるんだよ。君は意識してないかもしれないけど、君はそれを自然と出来るんだよ。その才能を君は持って生まれたんだよ。だからそれは僕と同じさ。曲は空気みたいに有るんだよ。いくつかのコードを弾けば、メロディーが出てくるんだよ、、、そのメロディーが前に聴いたことのないものであれば、僕はそれを覚えておくんだ。するとダスティンは「じゃあ、今、それが出来るってわけ?」って言うんだ。可愛い奴だよね、ダスティンは念を押すように「出来るの?」って言うから僕は出来るよって言ったんだ。数日後また同じ話になって、彼は雑誌 TIME に載ってたピカソの記事を考えていたって言うんだ。TIME のほんの小さな記事なんだけど、その記事が僕にはとても詩的に思えてね。音楽になると思ったんだ。彼は死に際に「DRINK TO ME. DRINK TO MY HEALTH. YOU KNOW I CAN’T DRINK ANYMORE」ってつぶやいたらしいんだ。ピカソはその後ちょっと絵を書きに行って、それから夜中の3時に寝たんだ。そして翌朝死んでたんだって。ダスティンは「DRINK TO ME. DRINK TO MY HEALTH. YOU KNOW I CAN’T DRINK ANYMORE.」は死ぬ間際の言葉としちゃ最高だね、まさにピカソの遺言だね。それでダスティンはこのネタで曲を書いてくれって言うんだ。そのとき偶然ギターを持ってきていてね。ちょっとギターをさわって、「わかったよ。もちろん、書けるよ」って言ったんだ。コードをいくつか弾きながら DRINK TO ME. DRINK TO MY HEALTH って歌い始めたんだ。すると彼はイスから立ち上がって「アニー!アニー!」って奥さんを呼んで、「すごいことが起きたぞ! ポールが曲を書いている! 今ここで!」ダスティンったら立ったり座ったり、、、まるで映画みたいに。彼があまりに喜ぶもんだからびっくりしたよ・・・
 すてきなお話ですね。名曲の裏に隠れているキラキラと輝くエピソード。これを知らなくても良い曲なのですが、知った後ではもっとステキな曲に生まれ変わっているはずです。前置きが長くなりましたが、今回の音源はその曲を作っているまさに「その時」の音源なのです! この歴史的な一場面が目の前に浮かぶような、プライベート感があふれるホーム・レコーディング。多くの人にこのステキなエピソードを知ってもらいたい。音楽、俳優、芸術の天才三人が関わった名曲が生まれた瞬間を聴いてください。” とのこと。
 いやー、これ以上何を言えばいいのだろう? 名曲誕生の瞬間を目の当たりにして大コーフンしているダスティン・ホフマンの様子が目に浮かぶようだ。それと、「ピカソの遺言」に続いて「ゲッティング・クローサー」が歌われているのにもビックリ。1979年発表のこの曲の原型が既に1973年に出来上がっていたというのが凄いし、このラフなアコースティック・ナンバーをじっくりと煮詰めてシャープなロック・チューンへと昇華させ、他でもない「バック・トゥ・ジ・エッグ」に入れたポールのセンスに脱帽だ。
paul mccartney futzing around on his guitar in 1973, picasso's last words/getting closer

Picaso's Last Words Wings Live 1975


 トラック2はマザー・グースの中の「バー・バー・ブラック・シープ」というナーサリー・ライム(日本流に言えばわらべ歌?)から始まるメドレーで、幼い娘たちに “メエメエ、黒ひつじさん、毛糸はありますか...” と優しく歌いかけるポールに思わず頬が緩む。更にここから「ハンズ・オブ・ラブ」~「ゲッティング・クローサー」~「ペギー・スー」と、寛いだ雰囲気の中で意表を突いた展開が楽しめるところも◎だ。
 タイトル曲の「ピカソの遺言」、そしてこの「メェメェ黒ヒツジさん」それぞれオリジナル音源とリマスタリング音源(←オリジナルのヒスノイズが少し低減されて聴きやすくなってる...)の2種を収録した4トラック入り(計23分8秒)のこのブート・シングル、ポール・ファンなら聴いて損はない逸品だと思う。
paul mccartney and family... baa baa black sheep, hands of love, peggy sue
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