津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■眼のかゆみ・・花粉症

2021-02-22 15:15:40 | 徒然

 一週間ほど前から花粉症の症状で、眼が痒くなり始めたが、二日ほど散歩を休んで小康状態となった。
処が昨日・今日の散歩で元の木阿弥となり、又かゆくなりだし、瞬きしてもかゆい感じ・・・
度々目薬をさして、がまんしてこすらないようにしているが、耐え難い感じがしている。
鼻水も少々、時折爆発的なくしゃみをして奥方のひんしゅくをかっている。「肋骨が折れるよ・・・?」と。
しかし、マスクをつけているから、例年にくらべると鼻水現象は軽いような気がする。
眼は眼鏡ではカバーしきれないようだが、花粉症のせいで散歩中止というわけにはいかない。
暫くはつらい季節が続きそうである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(497)寛永七年・日帳(五月九日~十日)

2021-02-22 06:56:39 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年五月)九日~十日

         |                        
         |   九日  奥村少兵衛
         |
         |   (正直)
田川郡奉行惣庄屋 |一、河喜多五郎右衛門尉幷猪膝太郎左衛門尉罷出候、木代村之久左衛門尉を打果申候ものハ、いとこ
殺人ノ状ヲ報告ス |  の喜兵衛ニ相究候、昨日かの喜兵衛状を調、猪膝太郎左衛門門ニ立置申候、文躰ハ久左衛門尉儀
喜兵衛札ヲ惣庄屋 |  ハ親之かたきにて候ゆへ、夜前一刀うらミ申候、乍去、夜中之儀ニて候故、果申したる儀ハ不存
ノ門ニ立置ク   |  候、もはや本望ハとげ申候間、然上ハ、御間悪敷国へ参居申候も、公儀を憚さるにて御座候間、
久左衛門ハ親ノ仇 |  ニ三日中ニ其地へ罷越、如何様ニ成共、 御意次第ニ可仕とかき候而、文をたて置申候由ニ而、
領主ノ仲悪シキ国 |  右両人持参被仕候、御年寄衆へ被申候へと、申渡候事、
ニ在ルハ公儀ヲ憚 |
ラザル儀 立帰リ |
御意次第ニセム  |
         |(後筆)     (鷹家村)
高家村ノ者走リテ |「一、うさ郡武家のもの、前かとハ三淵内匠殿ニ奉公仕居、走候而、近年ハ筑前へ罷居、筑前ゟ女を
筑前ニアリ    |  盗、日田へ通候とて田川ニ而とらへ、連れ参候を、女ハ筑前へ、生源寺市兵衛を御そへ候て、境
         |  目迄被遣候、かの男ハ町籠ニ入置申候事」
         |                      (沼隈郡)
東岸寺届ナシニ広 |一、東岸寺、去年吉田縫殿助ニも届なしニ、備後ノ鞆ニ、東岸寺母有之を見廻ニ被参由候、左候而、
嶋ノ師ノ後住ニ移 | (安芸安芸郡)  
ル  檀家等東岸 |  広嶋ニ主師匠被居候処、被相果由候而、師匠ノ寺ニうつり被申候由承候、左候ヘハ、爰元東岸寺
寺ニ長老ヲ呼ビ下 |  ノだんなとも本寺へ申候而、長老壱人よび下申候、御次而を以、御目見え仕せ度由、縫殿被申候也、
シ拝謁ヲ願ウ   |
         |    (延俊)
木下延俊ヨリ音信 |一、木下右衛門太夫様ゟ御飛脚一人参候由にて、御文箱幷海老の鬚籠壱つ参候由にて、よしだ縫殿助持
         |  参被仕候也、
         |                     (上林)     (菰)
溜池ノ雁復死ス  |一、花坊申候ハ、ため池ノ鴈壱つ、又死申候、甚介組ノもの、こもをかり候て見付申候、何共迷惑仕
         |  通、申来候事、

         |                        
         |   十日  安東九兵衛
         |
三斎ノ買物代銀ヲ |一、永崎へ三斎様御買物代銀積下候御船頭重田吉左衛門尉・舟下五郎兵衛、今日罷戻候、永崎荷口
長崎へ届ク    |  未明不申由申候、御銀無事に積下、安井太右衛門尉ニ相渡候由、被申候事、
         |   (近利)
津川休閑下着ス  |一、津川休閑様、今朝御下着被成候、上下五人にて御下候由也、
上方ヨリ出家等下 |一、来月上方ゟ、御出家集御下候、御迎舟ニ五拾丁立壱艘・十端帆壱艘、弐十丁立ノ御小早壱艘上せ
向スルニ迎舟   |      (鏡)
         |  可申由、加々見善右衛門尉被申候事、
走リシ船頭ノ養女 |一、御船頭林六右衛門尉やしないむすめ被召上候、そのせかれ五つニ成申候を、皆川治アに預置申候
ヲ召上ゲソノ倅ヲ |  事、
皆川治部ニ預ク  |
忠利走リシ船頭町 |一、御船頭林六右衛門女房・町水夫孫市女房・同四つニ成申むすこ、遠江灘にて走申ニ付而、今日
水夫ノ妻子ヲ誅伐 |  御誅伐被 仰付候也、
セシム      |
朽木昭知京へ使ス |一、三淵内匠京都へ御使ニ罷上候ニ付而、表御納戸ゟ御帷子かミ袋ニ入候而、書状相添申候を御言伝
帷子等ノ請取   |  候、慥請取申候、内匠ニ可申聞候也、             三淵内匠内
         |                                  堀平太夫(花押)
津川休閑へ乗物舁 |一、休閑様へ御乗物かき四人、御小人ノ内より付置候へと、小頭之左右衛門尉ニ申渡候事、
ヲ付置      |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■木の芽立ち

2021-02-21 11:27:46 | 熊本

                                                         

 少し胸が痛くて二日散歩をさぼりました。今日も少々痛いのですが、ひっくり返ることもあるまいと、通常コースを歩きましたが、息切れ状態です。
昨日までは随分寒かったのですが、今日は午後は20度超えの予想です。
毎年、一番に花を咲かせる桜の木が、健軍自衛隊正門前の右から三本目、樹種が違うのか必ず一番です。
見上げてみると、ほかの木はまだ芽が堅いのに、この木はやはり芽を膨らませていました。
今年はいつころ花を咲かせるのか、興味深いところです。

あるお宅の塀越しに梅もどきが満開の状態で、思わずシャッターを切りました。春も本格的になってきました。

                                                         

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(496)寛永七年・日帳(五月五日~八日)

2021-02-21 07:10:41 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年五月)五日~八日

         |                        
         |    五日  加来二郎兵衛
         |
忠利鷹狩ス    |一、今日ハ御鷹野ニ被成御出候事、
江戸ヨリノ飛脚ノ |一、江戸ゟ御鉄炮衆弐人、寺本八左衛門尉与下野甚七・浅山修理組高橋少右衛門尉、江戸を五月廿二
行程       |  日ニ立、同廿鉢日之七つ時ニ大坂へ着申候、大井川ニ而五時逗留仕候、同廿九日之晩ゟ舟ニ乗
         |  り、今日九つ時ニ着仕候事、
         |  (中津郡)
大橋茶屋ノ家具ヲ |一、大橋御茶屋之家具取ニ参候間、次夫ニ而持せ遣候、但、御惣庄や帆柱儀左衛門ニ渡申候也、
渡ス       |

         |                        
         |    六日  奥村少兵衛
         |
横田権佐与ノ鉄炮 |一、横田権佐日申候は、私預りの御鉄炮之衆着仕候道服三十四、黒茶にて出来仕候、破候而約ニ立不
足軽道服ヲ仕直シ |  申候間、得 御諚候而、仕直シ申候、右之黒茶ノ道服、何にても御用ニも立候は払申度候、無左
古着ノ処分ヲ伺ウ |       (検)
         |  候ハヽ、見使申請候而、捨申度由、被申候也、
         |      もめん
同ジク鉄炮ノ袋ノ |一、同御鉄炮之袋、桐油にて三拾御座候、是茂御用ニ立不申候間、右同前ニ、何ニ成共払申候様ニ被
処分ヲ願ウ    |  仰付可被下之由、被申候也、
         |  (長勝)                                                   (長氏)
平野長勝宛返書ヲ |一、平野権平殿への御返書、幷飛脚ニ被遣候京銭弐貫文、河村七左衛門ニもたせ候て、平の苦労右衛
同長氏へ遣ス   |  門所へ遣候也、
         |              (成政)
銀子ノ請取    |一、安井太右衛門尉方へ、坂崎清左衛門尉殿ゟ被下候銀子弐百目ノ由一包、慥請取申候也、
         |                             御のほり衆宮崎作太夫(花押)
京ヘノ飛脚    |一、明日、京へ被遣御鉄炮衆、佐分利兵太夫与いそ井勘十郎と申候也ケリ、
         |一、明日、御飛脚乗上せ候御小早之船頭ハ、石松作内と申物也、

         |                        
         |    七日  安東九兵衛
         |
         |一、御年寄衆ゟ、京都まて被遣候御飛脚、今朝出船仕候也、
         |                    (主水)
         |一、右、乗せ上候御船頭石松作内ニ、此方ゟ寺嶋所へ遣候書状壱通渡候也、
忠利舟入ニテ水浴 |一、今日ハ御舟入にて水御あひなされ候也、
忠利惣奉行ヲ労ウ |一、修理・兵庫、今晩御食被下、六つ時ゟ前ニ、今晩ハ宿へ参、甘候へと被 仰出4、罷帰候也、

         |                        
         |    八日  加来二郎兵衛
         |
下着ノ諸白ヲ上台 |一、御小早ノ船頭小出惣左衛門尉罷下候ニ、諸白樽つミ下候、浦上瀬兵衛ニ渡候へと、申付候也、
所奉行へ渡ス   |
天守ノ道具奉行蠟 |一、林隠岐被申候ハ、らうそく無御座候間、調候へと被申候、五拾目かけハ大分御座候へ共、常ニ五
燭ノ補充ヲ願ウ  |  十めかけをとほし申候ヘハ、 御意ニ不入候間、小らうそくを調候へと被申候、江戸ゟなかれら
小蠟燭 なかれ蠟 |  う四貫目余参居候、又御国の木らうも可有之候間、油や小左衛門尉ニ申付候へと被申候也、
国産ノ木蠟    |
大塚喜兵衛兄弟従 |一、田川郡木代村之甚右衛門尉子共走候而、筑前之内ニ居候つるか、木代村へ参、いとこノ久左
兄弟ヲ討チ行方不 |                       なく                       
明        |  衛門尉を、去ル六日ノ夜打果候而、いづくとも〇参由、郡奉行衆ゟ申来候、仁躰ハ見届不申候へ
         |        (喜兵衛・五郎・仁右衛門)  (猪膝)
         |  共、定而、右ノ兄弟参候而可仕と存由、いのひさ太郎左衛門尉申候由ノ書状ニ候也、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■忠興側室を沼田延元内室に

2021-02-20 11:13:44 | 史料

 細川家家臣としての沼田家は細川幽齋室・麝香の兄・延清を初代としている。
二代目は四男・延元であるが、これは長兄・藤左衛門が福知山攻めで戦死、次兄は浅野長政に仕えて高麗陣で戦死、三兄は僧籍に入った故である。
大変剛毅な性格だったらしく、「沼田家記」ではその逸話がいくつも紹介されている。
叔母が幽齋夫人であることから、忠興とは従兄弟の間柄であり、そのことが彼の人間形成に大きく影響を与えていることもうかがえる。そんな延元が忠興から難題を持ち掛けられ大いに抵抗している。
それは忠興側室を内室にせよという命である。この人は真下七兵衛の妹とも娘ともされる人物だが、忠興との間に「岩千代」を成している。のちの松井寄之である。
沼田家記によると、慶長17年(1612)に内室が病死している。それから6年後(元和4年)の話である。
岩千代は元和2年の生まれだから2年後の話である。俗にいうおさげ渡しだが、忠興の心中は測りがたいがなんとも不可思議な話である。
切腹をも覚悟したとされるから、強硬な話であったのだろう。忠利が必死の説得をしたことが伺える。
しかしながら延元は寛永元年(1624)に死去するから、6年間の短い夫婦生活であった。
後室・永寿院のお墓が沼田家墓地(安国寺)に存在するのかどうか、いつか確認してみたいと思っている。

    一同(慶長)十七年九月御内室様御病死被成候 号大陽院殿 
          冨小路左衛門殿と申候公卿之御娘延元様御母公ニ而御座候叓
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    一同年(元和四年)の秋 忠興様御下向被成候而 北之丸様を 延元様
     御内室に可被遣と被仰出候得とも 延元様御同心無御座候
     御内證にて色々御異見等御座候得共切腹被仰付候得共
     此儀御請被成間敷との儀に御座候 其時分 忠利様ハ
     内記様と申中津に被成御座候 延元様と御挨拶能御座候
       〇内記様と申仲津ゟ夜遠シに小倉江被成御越直ニ
     に付延元様へ被遊御出種々様々に御扱御異見被遊
     貴殿切腹於被致は我等介錯可致候 其段に成候儀ハ無是非
     思召候間如何様に候ても此儀御同心可被成候 無左候ハヽ
     中津へ御帰不被成候間御感涙にて被成御意候に付て無據
     御請被仰上 忠利様もご満足被成被遊御帰候 左候而其
     暮か翌年か御祝言御座候叓 北之丸様後に号永寿院殿

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(495)寛永七年・日帳(五月朔日~四日)

2021-02-20 06:44:24 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年五月)朔日~四日

         |                        
         |    朔日  安東九兵衛
         |
         |  (波多)                                              国友半右衛門与小嶋
道仲上洛ニ船中賄 |一、道仲被罷上候ニ付而、船中賄奉行御鉄炮衆両人、財津惣左衛門与河並茂左衛門・佐分利兵太夫
奉行任命     |                                      〃〃〃〃〃〃
         |  権三郎
         |  礒井勘十郎也、
         |  〃〃〃〃〃〃
京都郡借米奉行算 |一、京都郡御借米奉行清田伝蔵・野瀬吉右衛門尉、御算用ニ罷出被申候也、
用ヲ始ム     |
朔日出仕ニ肩衣袴 |一、今日は何御侍衆肩衣・袴にて御礼御座候事、
ヲ着用ス     |
         |   (長晟)安芸広島42万石
浅野長晟使者ヘノ |一、浅野但馬様ゟ之御使者ニ、御帷子三・御道肥服壱つ被遣候事、
待遇       |                     〃
         |一、御樽弐つ、舟へ被入候へと 御意候て、被遣候事、御使者ニ舟橋太郎左衛門と申仁被参候也、

         |                        
         |    二日  加来二郎兵衛
         |
         |                 (広高)
野瀬某寺沢広高家 |一、野瀬吉右衛門尉被申候ハ、私兄寺沢志摩守殿ニ奉公仕居申候、見廻ニ人を遣申度奉存候、筑前之
中ノ兄ヲ見舞ハン |                         (正次)
トス   黒田領 |  内を通り申候か、如何可有御座哉と被申候、与頭嶋又左衛門尉ニ被相届、遣可被申由申渡候、又
通過ノ可否ヲ伺ウ |  左分別ニ而不成事候ハヽ、御年寄衆へ御談合可被申候間、とかく与頭へ可被申由、申渡候事、
与頭ノ指示ニ任ス |
         |    (元次)                   (華山、長門豊浦郡)
楊梅購入ノ足軽毛 |一、芦田與兵衛組井口少介・中国へ楊梅買ニ遣申候処、下山にて、毛利殿へ上り申やまもゝ見事ニ御
利家へ上ルヲ密ニ |  座候由、承及申ニ付、所のものを頼、かくし候て、壱荷かい候而罷帰候、則 御前へ上申候事、
求メ帰ル     |
宇佐郡ヨリ楊梅  |一、うさ郡佐田山ヨリ、楊梅弐籠、次飛脚ニ而持せ、差上申候、
         |      (延俊)
木下延俊へ音信物 |一、明日、木下右衛門尉様へ、まなかつほかすつけ五つ入小桶壱つ・山もゝ壱籠被進候、御小人二人
鯧ノ糟漬楊梅   |  ニ而被進候、弥介・も右衛門尉と申物也、

         |                        
         |    三日  奥村少兵衛
         |
鍼立意斎へ給与  |一、銀弐拾枚・御帷子弐つ・御単物壱つ、鍼立意斎ニ被遣候事、
京ノ町人へ給与  |一、銀子拾枚・御帷子三つ・御ひとへ物弐つ、京の作左衛門ニ被遣候事、
道仲へ給与ノ品々 |一、銀子三拾枚・御帷子三つ・緒ひとへ物弐・巻物五つ・せうか漬ノ杉箱壱つ、其外漬物・かうの物
上野焼ノ水差   |      (鬚籠)                              (波多)道仲ニ
金十枚ノ茶入   |  ・楊梅之ひけこ・上野焼ノ水さし・花入・うすいた・御道服色々、〇被遣候事、又金十枚仕候御
砂金       |  ちや入も被遣候事、砂金も二つかミ被遣由、
         |  (室、播磨揖西郡)
名村左太夫へ給与 |一、むろの左太夫ニ御帷子弐つ・御単物壱つ・御道服壱つ被遣候事、
         |     (如)               (肥前松浦郡)                                                          
菊原如庵長崎ヨリ |一、菊原女庵、長崎ゟ罷上候、買物とも平戸にて少仕申由、申候事、
来ル       | 

         |                        
         |    四日  奥村少兵衛
         |
道仲意斎等出船ニ |一、道仲・鍼立意斎・日爪作左衛門尉、今日罷上候ニ而、門司ニ而被成御振舞候、御奉行ニハ山本
門司ニテ振舞ウ  |  三四郎・真下七兵衛被遣候事、
忠利道仲ヲ本丸ニ |一、道仲、今朝は御本丸ニ而被成御振舞候事、
饗ス       |
惣積奉行等ニ蔵ノ |一、御蔵払之様子、伝介・新兵衛・甚丞へ申渡候、幷御蔵奉行山本弥兵衛・石本三介・田辺六左衛
諸払ニツキ申渡ス |  門ニ申渡候、溝口里兵衛ハ煩にて、登城不仕候事、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■顔面ほとんど白?

2021-02-19 14:29:48 | 徒然

 90%白髪頭になったころ「司馬遼太郎風」白髪頭と書いたら、或ることで問い合わせをしてこられた女性が「ボブですか?」と聞いてこられたことが有った。
「ボブ」とはおかっぱ頭のことだが、あとで思わず「俺には似合わないヨ」と突っ込んだことであった。
現在の私は99%の白髪頭となったが、髪の毛の癖が悪く、少し伸びると耳元で髪の毛がはねるから司馬さんの様にはいかない。
史談会も近いし、そろそろ床屋に行かずばなるまいと思っいるが、最近は散歩以外は外に出るのが億劫で、司馬さん状態まで伸ばしてみようかしらと思ったりしてもする。
最近は、眉毛が白くなりだした。毛抜きで抜いたりしていたら残りが少なくなり、下手をすると公家さん眉になりそうな感じ・・・
まずいと思って止めて、しみじみわが顔を鏡に映すと、無精ひげも白くなり「顔面殆ど白」状態になっている。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(494)寛永七年・日帳(四月廿七日~晦日)

2021-02-19 06:59:32 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年四月)廿七日~晦日

         |                        
         |    廿七日  安東九兵衛
         |
         |   (規矩郡)
道庵田之浦逗留中 |一、道庵田之浦二御逗留間被為付置、御用等を承候へと、申付遣候歩之御小性吉村次左衛門・渡辺六
ノ接待      |  太夫也、
         |一、同人様へ御音信の御使者ニハ、歩之御小性山路勘左衛門也、
         |一、朔日殿様めし候御舟ニ、扇子壱本御座候由弐而、御船頭村上七左衛門持被来候、主有之ハ遣し
         |  可申由に而、請取置候事、
普請日行事    |一、永良孫太郎儀、腹中気ニ御座候、然共、ふせり居申ほとニハ無御座候、御普請日行司ニ而御座候
地謡ニ欠席    |                                
         |  ニ付、御普請場へハ相詰申候、長袴にて御能地謡ニ出申儀罷成間敷被申候事、
        |一、矢野少右衛門尉煩候て、今度御能地謡ニ不被罷出候事、
能興行ニ箏ヲ郡奉 |一、明日御能ニ付、御台所の御用ニ、竹ノ子、当郡にて取せ可申旨、小崎與次右衛門所へ申遣候処、竹
行ニ採ラシム   |  ノ子七拾本取せ申候而、被差上候、則浦上せ兵衛ニわたさせ申候也、
中津村笛吹登城ス |一、中津ノ笛ふき新兵衛登城にて被申候ハ、今日爰元参着申候へ共、何方とも不存候ゆへ、不罷出候
         |  由ニて、登城被仕候事、
         |   (衝長)     (三淵重政)
谷衝長三淵重政妹 |一、谷内蔵丞殿へ、右馬助殿御妹子、今夜祝言有之事、
ト祝言ス     |

         |                        
         |    廿八日  賀来次郎衛
         |
         |一、今日御能被進筈候つれ共、朔日ゟ大雨ふり申ニ付、今日ハ被成御延候事、
荒井鹿毛ヲ売払ウ |一、上田忠左衛門途上にて、荒井鹿毛を銀子拾匁ニ売付申候由被申候、御用ニ不立御馬にて、それ高
用ニ立タザル馬  |  直ニかいて無之候ヘハ、御かい料御損候ま、さやうニも可然候由、申候事、
中津村ノ笛吹ニ被 |一、中津ゟ参候笛吹ニ、御小袖壱つ・御かたきぬ・御はかま壱下り被遣候事、
物        |
総持寺使僧ニ本丸 |一、能登捴持寺ゟ被参候使僧、御本丸にて被成御数寄候也、
ニテ数寄ヲ催ス  |
薬師道庵出船ス  |一、道庵田之浦へ御逗留間、御用等茂可在之ため、吉村次左衛門・渡辺六太夫被為付置候、道庵御舟
         |  茂今朝五つ時分ニ被成御出船由、右両人被申候、自然海中にて天気悪敷成、又田之浦へ御もとりの
         |                                   
         |  儀茂可在之かと存候而、昼過まて、田之浦へ罷有候へとも、次第ニ天気茂〇罷成、別条替儀茂無
         |  御座候間、両人ともニ罷帰候由被申候、道庵被仰候は、これまて被入御念、人を被為付置、忝思
         |  召候、此の宗御奉行衆まて申届、御奉行衆ゟ茂可然候様ニ 殿様へ被仰上候様ニ申候而くれ候様ニ
         |  と、道庵被仰候由、次左衛門・六太夫被申候也、

         |
         |        (ママ)                        
         |    廿九日  
         |
忠利演能     |一、今日ハ御能被遊候事、

         |                        
         |    晦日  安東九兵衛
         |
稲葉信通ヲ本丸ニ |一、彦四郎様、今朝御本丸にて被成御振舞候也、
饗ス       |
         |     (正成)
信通同道藪正成邸 |一、今晩、藪図書所へ、彦四郎様被成御同心、御成候也、
ニ臨ム      |
         |        (規矩郡)                  (専 教 寺
蒲生へ川狩ノ予定 |一、二三日ノ間ニ、蒲生へ御河かりニ被成御座候、御やとハせんきやうしにて候、御やとこしらへニ、
宿舎ヲ専教寺トス |         (正慶)
         |  真下七兵衛・加々山権左衛門被参候、手伝人、其外入申諸道具、明日持せ被下候様ニと被申候、
         |  得其意候由、返事候事、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■春の雪

2021-02-18 08:06:50 | 熊本

                   南国九州・熊本でも春の雪となりました。

         

 ここ二三日、随分寒い日が続いています。それでも今日一ぱいで、明日からはまた春らしい天気になりそうです。
三寒四温の落着かない状態で、爺様は些か鼻風邪・咽風邪気味です。皆様もお大事に・・「コロナばかりではありませんぞ・・」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(493)寛永七年・日帳(四月廿四日~廿六日)

2021-02-18 06:52:05 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年四月)廿四日~廿六日

         |                        
         |    廿四日  安東九兵衛
         |
台所口ノ番任命  |一、御台所口ノ御番、当分御家奉行ノ手伝仕居候惣右衛門尉と申もの申付候、則喜多村平右衛門尉ニ
         |  逢候而、様子を茂承届、念を入、御番仕候へと、惣右衛門尉ニ申渡候也、
豊後横目ヘノ音信 |一、豊後御横目衆へ、御音信の御使者ニ被遣候歩之御小性衆、田辺七郎兵衛也、
放シ飼之豚死ス  |一、ぶたかい三丞登城にて申候は、はなしかい仕候ふた、今夜ふるせんば町人作左衛門と申ものゝ浦
         |  にて死申候、此二三日已前に、せなかをきられ居申候、其手をいたミ、死申候かと三丞申候、
         |                               (瀬)
網打鱸ヲ捉ル   |一、西田吉内、鱸五つ大キ成をうち申候由ニ而、登城申候、則浦上せ兵衛ニ渡可申由、申渡候也、
惣積奉行等御印帳 |一、粟野伝介・加藤新兵衛・豊岡甚丞ゟ、去年此かたの御印帳借りニ参、則御印帳三冊かし候也、使
ヲ借出ス     |  者伝介内勘七、

         |                        
         |    廿五日  加来二郎兵衛
         |
忠利惣持寺使僧ヲ |一、能登捴持寺ゟ之使候、今朝被成御振舞候事、
饗ス       |
         | 常ノ御飛脚
江戸ヨリ常ノ飛脚 |一、江戸ゟ御飛脚として、井門亀右衛門与松尾十郎左衛門・西沢文右衛門与手嶋次左衛門・御小人惣
ノ行程      |  三郎、此三人ハ江戸を今月十日ニ立、大坂ニ廿日ノ日着仕由、舟せはきニ付、手嶋次左衛門ハ大
         |  坂逗留ノ由、
         | 上ノ早飛脚
上ノ早飛脚ノ行程 |一、田中兵庫与久保田作右衛門・竹内吉兵衛与嶋田與兵衛、此二人ハ江戸を今月十五日ニ立、廿日ノ
         |  七つ時ニ大坂着仕由にて、徳嶋八兵衛舟ニ乗、右四人下申候ニ、
三斎書状忠利宛  |  一、三斎様ゟ 殿様へ参候御文箱一つ、
         |  一、江戸御留守居衆ゟ言上箱一つ、
早飛脚      |    右ハはや飛脚持下、
         |  一、三斎様ゟ 殿様参候御文箱一つ、
         |  一、江戸御留守居衆ゟ言上箱一つ、
遅キ飛脚     |    右ハをそき飛脚御持下、
         |一、佐藤少左衛門ゟ、北原新十郎所へ遣し被申候扇子箱、生嶋平三郎ニ言伝、遣申候也、
片山示庵加増百石 |一、片山示庵へ御加増百石被遣旨、大塚長庵を以被 仰出候間、則加藤新兵衛ニ申渡候也、
松井興長邸ニ臨ム |一、今晩、式ア少輔殿へ御成候事、
菓子奉行其斎   |一、江戸御留守居衆ゟ、伝助・新兵衛・甚丞方へ参候書状、御くわし奉行其斎ニことつて候て届候也、
幕種々ヲ門司へ遣 |一、明石権太夫預りノ御まく・だんだんの御幕拾三はり、幷とんすの御まく三つ、御奉行所ニ在之
ス        |  を、御船頭重田吉左衛門請取候而、門司へ参候也、
         |                (卯辰)     (湛)
忠利文字行ニ明日 |一、明日門司へ被成御座候、しほ時うたつの間のたゝへニて候、四つ時まても、塩時は能御座候由、
ノ潮時      |  (鏡)
         |  加々見善右衛門申候也、

         |                        
         |    廿六日  奥村少兵衛
         |
忠利薬師道庵ヲ見 |一、今日ハ道庵を被成御送、門司迄被成御座候事、但、終日被成 御慰候也、
送リ文字ニ終日遊 |
ブ        |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■武家が「門」を閉じるという抵抗

2021-02-17 15:57:24 | 徒然

 古い絵図を見るとき、武家の家ごとに名前が書き込まれているが、上下左右の方向にバラバラに書き込まれている。
これはどうやら、門の位置が関係しているらしい。つまり縦書きにしろ、横書きにしろ頭の文字が向いている方向に「門」があったとされる。
扨これが、細川藩に残る絵図も同様かというと、これは何とも言い難い。

熊本城の二の丸には、細川家重臣の屋敷がずらりと並んでいる。西の大手門前正面には代々、沼田家の屋敷があった。
この沼田家に関する興味深い話がある。沼田家は2代・延元代の関ヶ原出陣、3代・延之代天草島原の乱出陣で二度にわたり留守居を仰せつかっている。共に大反発をしている。共に藩主や重臣が何とか納得させようと努力するが、夫々暗礁に乗り上げている。
幽齋夫人の麝香の実家である沼田家だが、だれもが嫌がる留守居を押し付けられた。

後者では延之の抵抗は激しく、大方が帰陣した後も納得出来ない延之の抵抗は激しく、終には「門」を閉ざしたという。家臣らは討手が遣わされることを覚悟したようだ。
そのことは、花畑邸にも知れわたることになり、松井興長が一人沼田邸を訪ねて懇切に説得に努めた。
結果延之は「門」を開かせたという。
武家が門を閉ざすという、主家に対する公然たる抵抗の意思表示の大事を窺わせる逸話である。


沼田家記「御家御代々御出陣之時分御留守居役御断之叓」に、内々の記録として生々しく記されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(492)寛永七年・日帳(四月廿一日~廿三日)

2021-02-17 06:33:53 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年四月)廿一日~廿三日

         |                        
         |    廿一日  安東九兵衛
         |
撓竹制作ノ奉行  |一、御しない竹ため申御奉行ニ、河村七左衛門尉申付候也、
町奉行盗人捕縛ノ |一、吉田縫殿助登城にて被申候は、夕へ京町かミやの太郎右衛門尉と申ものゝ所ニ、大工弥右衛門と
状ヲ報ズ     |  申ものの番子盗人ニはいり候て、きぬを大分盗、若松口へ夜中ニ参、御門を出可申と可仕候処
         |                                        〃
         |      門                (人脱ヵ)      
         |  ニ、御〇番見付候而、相改候処、彼盗口上不審ニ候而御門番存候而、御家中老衆へ御門番と幷
         |                     〃〃〃〃          〃
         |  村田彦一召連候而参候、吉田縫殿所へ其まゝめしつれ参候へ之由、被仰候ニ付、吉田縫殿所へつ
入牢       |  れ参候処、盗無紛ニ付、搦取、籠者申付候由、縫殿被申候也、
         |                     (伯)
稲葉信通乗馬ノ血 |一、彦四郎様御馬之血を可被成御取せ候間、白楽可申付由ニ御座候、則上田忠左衛門をよひ、此段申
取ヲ求ム     |  渡候、忠左衛門を則遣候也、
松田某忌明登城シ |一、松田五左衛門、親七右衛門忌明申候由にて登城被仕候、御礼之儀は如何可仕やと被申候ニ付、式ア
拝謁ノ如何ヲ問ウ |  少輔殿江御出候而、可有御尋之由、申渡候也、
         |       各                      (波多道仲)
薗田道各波多道仲 |一、薬師ノ道庵、江戸ゟ、道中御身廻ニ、今日下着被申候事、
ヲ見舞ニ江戸ヨリ |  〃〃〃 〃
下着ス      |
薬師道庵来ル   |一、道庵と申薬師被参候事、
         |                      (山本仁介)       (横野間)
逸隼居上ル    |一、修理前ノ与村田弥兵衛、隼一居すへ上ヶ参候、二介ニ渡候ヘハ、横沼権八預ノ御鷹ノ由申候也、
豚ノ子生ルニソノ |一、ぶた、子を九つうミ申候、内五つは犬くひ申候、〆四つ御座候、是を買度と申もの御座候、如何
売払ノ可否ヲ問ウ |     (ママ)
         |  可被成御買やと、ぶたかひのもの申候、松丸衆ニ相尋可申由、申渡候也、
         |                                       上申候、
箏        |一、彦四郎様御やとへ笋拾本〇横山進助与松田市助ニ渡ス也、

 

         |                        
         |    廿二日  加来二郎兵衛
         |
田川郡ヨリ早松茸 |一、田川ゟ、さ松茸五本参候、則御台所ニ払せ申候事、
藤崎某祖母危篤ニ |一、藤崎喜八郎申候ハ、ばゝ一人知行所ニ居申候、以之外相煩申通申来ニ付、罷越、見申度御座候
在所ニ行クヲ願ウ |       (友好)
         |  由、与頭松井宇右衛門へも申候ヘハ、我等共へも申理早漏へと被申候、如何可有御座哉と被申候、
         |  宇右衛門尉さへ被参候へと被申候ヘハ、此方ゟ申分無之候、自然御尋候ハヽ、右之通にて遣申段
         |  可申上由、申候也、
         |           (昭知)三淵藤英三男
稲葉信通同道朽木 |一、彦四郎様御同道にて内匠殿へ御成早漏也、
昭知邸ニ臨ム   |

         |                        
         |    廿三日  奥村少兵衛
         |
紙包ノ請取    |一、佐藤少左衛門ゟ、続権六方へ帋にてつゝミ申候もの壱つまいり候を、権六内吉兵衛ニ渡候、
         |                                   右、慥請取申候
         |                                      吉兵衛(花押)
         |          (沢村吉重)
         |一、佐藤少左衛門尉殿ゟ大学所へ紙包壱つ被指下候を、慥請取申候、沢村大学内山本十左衛門(花押)
         |一、門川阿心へ、京都ゟかミ包壱つ下候を、直ニ渡申候事、
信通薬師寺本丸ニ |一、今晩ハ彦四郎様、其外上方ノくすし衆、いつれも御本丸にて御すき被成候事、
数寄ヲ催ス    |
         |一、岡部道宇へ、上方ゟ下候状とも、門川阿心ニ言伝、遣申候事、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■小さな春

2021-02-16 12:03:55 | 徒然

              

 高さ5mほどの法面に、いくつかの小さな春が芽を出しました。散歩の途中で見つけたすみれです。
これは真上からの撮影ではなく、勾配60度ほどの法面で2.5m程の高さで咲いていましたから、やや仰角で映しました。
崖の上に銀杏の木があり、その枯れ葉が廻りに見えたりしています。ゴミも払えない状態です。

          菫ほどな 小さき人に生まれたし  漱石

有名なこの句は、漱石が熊本にいた頃の句なのだそうですが、どこで菫を見たのでしょうか。
多分このような素朴な景色だったことでしょう。ひそと咲きながらも輝いて生きる、そんな人生を歩みたいと考えたのではないか、私はそう解釈してみました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(491)寛永七年・日帳(四月十八日~廿日)

2021-02-16 07:17:26 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年四月)十八日~廿日

         |                        
         |    十八日  安東九兵衛
 笋         |
箏ヲ稲葉信通宿ニ |一、竹ノ子拾本、 彦四郎様御やとにて御前御上り被成候間、御料理のためニ、御掃除の者ニ持せ遣、
遣ス       |  小堀長左衛門尉ニ渡させ候也、
竹内長助知行ノ書 |一、竹内長助御知行拝領仕候由にて、御書出シ持来被申候、知行所は田川郡川崎村・池尻村両所にて
出ヲ持参ス    |  百五拾石也、
財津惣兵衛等忌名 |一、財津惣兵衛・同市兵衛、親惣左衛門尉忌中明候由にて、登城被仕候也、
登城ス      |
         |                 (乗栄)
信通同道清田乗栄 |一、今晩 彦四郎様被成同道候而、清田七助所へ御成候也、
邸ニ臨ム     |
京銭二十貫文調達 |一、京銭弐拾貫文調可被下由にて、上垣京右衛・野口久五郎ゟ、寺嶋へ差帋上せ申候ニ付、追而ノ
ヲ寺嶋主水へ命ズ |  書状相調、岡田茂兵衛ニ渡候也、但、使者御船頭小野又左衛門、御奉行所ニ参候ニ付而、此者ニ
         |  言伝、茂兵衛ニ慥ニ相渡候へ之由、申渡候也、
         |                                  忠利愛宕山時代の学友、殉死
江戸蔵本預米ノ出 |一、江戸御蔵本高木忠右衛門尉手前預米の出入ニ付、吟味仕候へ之由にて、田中以徳へ渡候切手ノ
入ノ吟味     |  覚
         |  一、四百三拾石ノ米の預状壱つ、但、忠右衛門切手、
         |  一、高木忠右衛門尉手前、寛永元年ゟ明ル二年五月五日まて忠右衛門手前請込候御米ノ払不残済候
         |    との、深野左助・保利與兵衛・高原茂兵衛・古内山助左衛門ゟノ書物壱つ、
         |  一、寛永元年四月ゟ明ル五月六日まての、御米・大つ・小豆少茂無滞被払候との書物壱つ、忠右衛
         |    門尉ニ当ル有田次兵衛・豊嶋源右衛門書物也、
         |  右三つ以徳ニ渡候事、

         |                        
         |    十九日  加来二郎兵衛
         |
         |一、昨夜半時分ニ、江戸ゟ御飛脚二人参候、壱人ハ御長柄ノ久次・壱人ハ御小人市蔵と申者也、
         |   (通春)
久留嶋通春使者ニ |一、来嶋越後殿ゟ使者被参候、但、歩之衆と見へ申候間、御宿奉行ニ歩之御小性衆加申付由、住江甚
宿奉行ヲ付ク   |               (喜)
         |  兵衛ゟ被申越ニ付、則真下木左衛門ニ申渡、遣候也、御道服壱つ被遣候也、
         |   (ママ)
藪道儀大破ノ家ノ |一、藪道蟻ゟ、豊岡甚丞を以被申越候は、道儀屋敷之内ニかや家壱軒、又道儀被居候いたや壱軒在之
改造ヲ願フ    |  候、かや家ニは助右衛門と申ものニかし置申候へとも、今ほと彼者居不申候、又人ニかし申候儀
         |  は火用心かた/\悪敷御座候、左様ニ御座候ヘハ、道儀被居候家茂以外大破ニ及申候間、右ノか
         |                                 (塀)
         |  や家をこほし、其道具にて道儀家を繕、同屋敷ノ内にて御座候間、屏を仕廻シ候て居申度由、被申
         |  候、此方ゟ申候は、同屋敷ノ内にて御座候而、屏なと仕廻御座候は、くるしかるましき由、返事候也、
         |          小崎四郎左衛門、膳所へ被遣
江戸膳所へ飛脚  |一、今日、江戸へ被遣〇御飛脚乗せ上り申御船頭ハ河村喜左衛門尉、
稲葉信通同道西ノ |一、今日八つ時分ゟ、彦四郎様被成御同道、西ノ御茶やへ被成御座、彼地にて夕御膳上ル、酉之下刻
茶屋ニ遊ブ    |  ニ被成御帰城候也、
         |一、菅沼小隼人かたへ被遣御文箱、御小人ノ弥左衛門与作左衛門
ニ相渡候事、

         |                        
         |    廿日  奥村少兵衛
         |
         |一、江戸へ小崎四郎左衛門尉被遣、今日出船被仕候、江戸御留守居衆へ我等ともゟ遣候書状、四郎左
         |  衛門尉ニ持せ遣、渡候事、
西ノ溜池ニ放セシ |一、西ノため池ニ御はなし被成候鴈壱つ、死申由ニ而持参仕候事、但、花ノ坊持参也、
雁死ス      |
         |       (元高)
忠利信通ヲ同道氏 |一、今晩、氏家志摩守殿へ御成候、但、彦四郎様御同道也、
家元高邸ニ臨ム  |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(490)寛永七年・日帳(四月十六日~十七日)

2021-02-15 09:05:33 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年四月)十六日~十七日

         |                        
         |    十六日  加来二郎兵衛
         |
         |一、今日、大雨ふり申候事、
本丸水遣所ノ漏水 |一、御本丸敷瓦ノ所へ、水遣候所ゟすき候て出申候間、水遣所を直させ可被申由、矢野勘右衛門ニ申
修理ヲ命ズ    |  渡候事、
         |   (雁木)
板雁木上ノ付庇ノ |一、板がんぎノ上ノ付ひさしノふち尊たる所有之間、是も直させ可被申由、右同人ニ申渡候事、
縁ノ修繕     |
間紹甫ヨリ召上ゲ |一、間紹甫ゟ被 召上茶壺、八喜木工ニ相渡申候、但、見達使にて持せ、御本丸へさし上申候事、
シ茶壺      |
         |   (辰珍)           (同近利)家康・秀忠に仕、寛永十九年没
津川休閑飛脚へ京 |一、津川四郎右衛門殿御舎兄休閑様ゟノ御飛脚ニ、京銭弐貫文被遣候也、
銭給与      |
小倉屋中津へ返上 |一、小倉や與四郎登城にて申候ハ、七左衛門中津返上銀ノため、式ア殿・頼母殿・監物殿御判ノ御借
銀ノ家老借状上方 |  状拾貫目一枚申請、差上申候処ニ、上方にてはかりかへ不成由にて、七左衛門ゟ下申由申候、御
ニテ借替ナラズ  |  年寄衆ノ借状弐て候ハヽ、上方にてかりかへ可申候間、被下候様ニと、其方申ニ付、我々申理、
家老等連署ノ借状 |  右ノ御借状取渡シ申候処ニ、さやうニ申渡儘ニ自由申儀不届候、其上中津ゟ、右ニ参候状ニ、其
ヲ渡スニ彼是無首 |  後其方中津ニ参候て、参候状ニ違却、かれこれ以無首尾成儀申上候、此段立 御耳候ハヽ、其方
尾ナル申様    |  ハろくニハ通り申間敷候、よく心得候へと申渡候、此方への談合ハ不入候、木や里右衛門と相談
木屋里右衛門ト相 |  仕候へと、申渡候事、
談スルヲ命ズ   |
         |     (仁保慰英)(米田是次)
大坂詰役人ヘノ状 |一、大坂衆太兵衛・左兵衛方へ遣候書状壱つ、
         |一、同寺嶋主水方への書状壱つ、
         |                  (加藤) (粟野) (豊岡)
         |一、太兵衛・左兵衛方へ新兵衛・伝助・甚丞かたゟ遣候書状壱つ、金守形右衛門ニ渡、上り候也、

         |                        
         |    十七日  奥村少兵衛
         |
      笋     
田川郡ヨリ筝上ル |一、夜前、田川ゟ竹子弐拾本持来候、内拾本、今朝彦四郎様御宿ニ而御膳上り申候間、御料理ニ成申
ヲ稲葉信通宿へ渡 |  様ニと申、御宿へ持せ上申候、〆而十本ハ重而御やとにて御膳上り申候時、又御宿へ持せ上可申
ス        |  由ニ而、御奉行所ニ置申候事、
         |(ママ)
         |一、
         |(ママ)
大坂寛永五年分ノ |  大坂ニ被詰居候御書物衆寛永五年分ノ借状を見出シ、加藤新兵衛所へ持せ遣候、相尋候処、持せ
借状       |  被下、忝候由申候也、
大手門番病死届  |一、大手御門番村田六兵衛、此中相煩、昨日相果候由、竹石五郎右衛門申候也、
         |  (山城久世郡)
宇治へ茶詰ニ遣ス |一、うぢへ御茶詰ニ鈴木助太郎・渡辺真斎、歩之御小性高橋久左衛門被成御上せ候ニ、付遣候御鉄炮
者        |  衆、
         |   (桑原)
         |  一、主殿与斎藤市右衛門・永瀬仁兵衛、
         |   (井関)
         |  一、久馬助与無田太右衛門、
         |  一、国友半右衛門与下田市右衛門・宗村六右衛門、
         |  右五人付遣候也、
         |                          (粟野)
江渡詰御切米取ノ |一、江戸御切米取御切米帳ニ落申分の書立、加藤新兵衛・あわの伝助・豊岡甚丞より差帋相調、松の
切米帳ニ付落シノ |  織ア・町三右衛門所へ遣被申候を、金守形右衛門所へ被相届候へと申、持遣候也、
書立       |
         |
掃除坊主死跡ノ補 |一、御掃除坊主喜斎、当春病死仕候付、先度治ア被申候ハ、喜斎儀病死仕候跡替之坊主得 御諚、召
充        |  抱可申候へ共、御事多内ニ御座候間、得 御諚申ニ及申間敷と存候、幸、喜斎せかれ御座候間、
         |  かミをそらせ、喜斎跡ニ入可申候間、得其意候へと被申候ニ付、此方ゟ申候ハ、其分ニ可被成と
         |  御差図申ニ而ハ無之候、承置候へとの儀ニ候は、承届候由申候処、今日かのせかれを治ア召連被
末期養子     |  参、被申候ハ、喜斎跡ニ入可申と、先度申候ハ此せかれにて候、喜斎以外相煩、相果申ニ究申ニ
ほそき倅     |  付、休羽せかれを養子ニ仕申候、喜斎直子にてハム御座候、喜斎跡ニ御入被下候へは、女房又ほ
         |  そきせかれも御座候間、やしない申儀ニ付、如此候由、被申候事、
能登総持寺使僧等 |一、吉田縫殿登城ニ而被申候ハ、能登之総持寺ゟ、使僧上下五六人にて罷下候、玄功寺ニ宿を申付候
下着ス      |  処ニ、安国寺ニも、玄功寺ニ茂宿仕間敷由申、如何可有之やと被申候、か様之儀は御年寄衆へ可
玄功寺安国寺ニ宿 |  被申由、申渡候事、
セズト申ス    |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする