津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■びわ湖毎日マラソン、最高の有終の日

2021-02-28 15:19:10 | 徒然

 びわ湖毎日マラソンがその歴史を閉じるという今回、大いなる期待をもってTV観戦した。
最近の高速マラソンはペースメーカーがラップを見事に刻みながら進み、好記録が期待されるが、今回も25キロまでの3分を切るよ見事なラップは新記録が予感された。
そして、びわ湖マラソンは有終の美を飾るような、見事な記録が出た。2時間04分56秒世界に通用する見事な記録で鈴木健吾選手が栄冠を得た。
オリンピックの出場は出来ないが、今度世界に羽ばたく一人が誕生した。
こういう試合を観戦すると、本当にスポーツのすばらしさを共有できることをうれしく思う。
コロナが終息して、オリンピックが開催され、いろんな種目で世界のアスリートがこのような素晴らしい仕合を展開されることを望みたい。
ワクチン接種が現実問題で見えてきた今日、何とかなるのではないかという一縷の望みが出て来たのではないのか??
オリンピック委員会の醜態は、政治問題も絡みなんともいただけないが、さてどうなるのか・・・
アスリートが夢をつむぐことの出来るような方向で頑張ってほしいものだ。


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■細川家家臣・高見家のブログ「ルーツ探訪」

2021-02-28 13:39:11 | 展覧会

 ご厚誼をいただいている、細川家家臣・高見家の御子孫YT様からメールを頂戴し、ブログ「ルーツ探訪」を正式にUPされたご報告をいただいた。
いやはや見事なブログで恐れ入ってしまい、当方ブログなどは足元にも及ばない素晴らしいものである。
これは又、沢山の資料が今日まで残されてきたことも幸いしている。
さきにその膨大な資料は、熊本大学付属図書館に収められたが、ちょうど一年になる。
コロナが騒がれ始めた時期だったが、ご子息とご一緒に来熊された折、御目にかかり食事を共にさせていただいたが、余りのうれしさに、飲みすぎて大いなる酔態を晒してしまった。
それからわずか一年である。見事なブログのスタートをお喜び申し上げるとともに、新たな切り口でいろいろ発信していただけるものと期待をしている。
うれしいの一言に尽きる。

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■細川小倉藩(503)寛永七年・日帳(五月廿八日~晦日)

2021-02-28 07:33:32 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年五月)廿八日~晦日

         |                        
         |   廿八日  加来二郎兵衛
         |
         |            (水鶏)くいな
鷹師水鶏ヲ次飛脚 |一、高瀬瀬兵衛所ゟ、水扎壱つ取せ上候、次飛脚にて指越候、休心ニ持せ、御本丸へさし上候事、
ニテ上グ     |
                                                                                                    鵜目鷹目写真館 : クイナ(水鶏)

         |一、真下七兵衛ゟ、寺嶋所へ銀少つゝミ入候状一つ、幷京衆へ御用之儀被申上せ候状一つ、被相届候
         |  へと申渡、岡六左衛門ニ相渡候事、
上方僧衆出迎船ニ |一、明日御出家衆御迎船被成御上せ候御奉行ニハ、岡六左衛門尉・瀬崎猪右衛門・入江二兵衛也、御
奉行台所人賄人等 |  台所衆ハ大野孫市・石原二郎作・関少介・安田市介・坂田九兵衛、此五人也、賄人ニハ三そうノ
ヲ乗セ上ス    |     御鉄炮衆
         |  御舟ニ〇六人、手伝ニハ御長柄衆十三人上せ候、内弐人ハ御鉄炮衆也、
薪ためしノ奉行  |一、薪ためし申奉行ニハ、河野七左衛門尉・山河惣右衛門尉組大岐徳左衛門尉、此両人申付候事、
上野焼ノ奉行   |一、上野焼ノ奉行ニハ、黒木三太夫・奥村市左衛門尉、此両人申付候事、
         |    (細川立允)
細川立允ヘノ音信 |一、明日 立允様へ為御音信、ほし飯五袋・御花入壱つ被進之候、御使者ニ、かちの御小性赤尾茂兵
干飯花入     |  衛に 御書箱壱つ、又右ノ二色相渡申候事、
         |                                   (振)火振り漁
忠利松井興長邸ニ |一、今日は、式ア殿へ被成御座、夜ニ入、式ア殿にて御能被成候、それより夜ふりニ御舟にて被成

臨ミ演能ス    |  座候事、

         |                        
         |   廿九日  奥村少兵衛
         |
上方僧衆出迎ノ船 |一、御出家集御迎舟、今日出船仕候ニ、
出帆ス      |    (秀成) 
忠利書状等京大坂 |   生嶋玄蕃殿へ之 御書壱通、
諸方へ      |   井上源三郎へ之 御書壱通、
         |  ソノ外、京・大坂へ御用之状とも不残、入江仁兵衛・瀬崎猪右衛門両人ニ相渡申候事、
         |   (定芳)
菅沼定芳築山兵庫 |一、菅沼織ア様へ被進御書壱通、築山兵庫殿への御返書ノ御文箱壱つ、京衆への御文箱壱つ、以上三
京詰ヘノ書状   |  つ、岡六左衛門ニ渡也、
忠利鷹師へ鷹ノ鳥 |一、高瀬勘兵衛かたゟ、けり壱つ、御鷹ニ取せ候而、差上申候、則上申候処、度々ニ壱つ宛越候ヘ
ノ上ゲ方ヲ指示ス |  ハ、炎天ニ鳥茂損シ申候間、三つ四つかさなり申候時、能塩を仕置、一度ニ差上可申旨被 仰出
         |  候、則其通勘兵衛へ申遣候也、但、生嶋平三郎奉りにて被申聞候也、
         |                            (成政)
鳬再ビ上ル    |一、高瀬勘兵衛ゟ、重而けり壱つ、とらせ候而差上候、則坂崎清左衛門披露にて上ル也、

         |                        
         |   晦日  安東九兵衛
         |
誅伐者四人ノ罪状 |一、今日御誅伐もの三人在之也、但、林隠岐召仕候下女を盗申仁右衛門、女は被成御助候、又筑前ゟ
下女ヲ盗ミシ小者 |  女を盗候而参候瀬ノ助、但、女は筑前へ御もとし被成、壱人ハ御加子、大坂にて御米ぬすミ申候
筑前ヨリ女ヲ盗ミ |                               (和郎)
来ル者 大坂ニテ |  喜太夫、此参人也、外ニ壱人、当町にて、巻物をぬすミ申候大工わろふ、以上、此四人御誅伐也、
米ヲ盗ミシ加子  |
巻物ヲ盗ミシ大工 |
         |  (雲嶽霊圭)
圭首座ノ上ゲシ阿 |一、圭首座上方へ被上候時、被上置候あみだノ絵一服、箱弐入候を、慥ニ請取申候、
弥陀ノ画像ノ請取 |                                     永蔵主(花押)

              

          今回をもちまして「福岡県史 近世史料・細川小倉藩(ニ)」は終了いたしました。
          次回からは引き続き(三)をご紹介してまいります。

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