日帳(寛永七年五月)十三日~十四日
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| 十三日 安東九兵衛
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忠利休閑ヲ本丸ニ |一、今朝、休閑様を御本丸にて被成御振舞候事、
饗ス |
| 伊与(長沢顕長室、沼田清延女)
いよ京ヨリ帰着ス |一、今朝、いよとの御下着候事、
佐藤将監敷松葉ヲ |一、佐藤将監方ゟ、路地の松葉拾五俵被差上候也
上グ |
加々山正慶預リノ |一、加々山権左衛門尉登城にて被申候は、私預りの御持通ノ小頭八右衛門尉と申者、大分御借米等
持筒ノ小頭借米借 | 仕、其上わきかり身ニあまり、借銭ニうづもれ居申、内々走可申覚悟と聞付申ニ付而、請人を
銭ニ埋モル | 立、書物仕候様ニと申付候へとも、請ニ立申ものも無御座ニ付、彼者せかれ十ヲ斗ニ成候を、権
伜ヲ質ニ取リ女房 | 左衛門所ニ質ニ取置、女房ハ奉公仕せ置候、女房母壱人、八右衛門やとニ置候而、めしなと焼せ
ハ奉公セシム | 候様ニ仕せ置申候処、彼八右衛門女房煩申ノ由にて主やとニ戻り居申候を、昨日、八右衛門女房
伜ヲ連出ス | をつれ出し、其まゝ権左衛門所へ参候而、主せかれを茂つれ出し申候を、権左衛門内ノ女見届候
| 而申候ハ、何と而召連出候やと申候ヘハ、八右衛門申候は、せかれニかたひらを仕候而きせ申
| 候、母寸方なとを忘申候間、母ニあわせ候て、やかてつれ可参由申候を、権左衛門下女申候は、
| 案内なしニハ無用ニて候、待候へ、小性衆へ其通可申とて、内ニ入候隙ニ、せかれを八右衛門つ
小頭女房ヲ連レ走 | (元明)
ル 諸門ヲ固ム | れ出し参候を追懸ヶ、住江甚兵衛前にて追付、せかれを取もとし申候、八右衛門尉ハ直ニ女房を
| めしつれ候而走申候、方々境目ニ追手をかけ、御門/\をかため置候へとも、ゆきかた知不申候
小頭ノ母ハ相聟ノ | (浅山)
| 間、八右衛門女房の母を相尋候へ共、是茂やとニ見え不申候ニ付、八右衛門相聟斎佐内久左衛門
家ニ潜ム | にて候、彼ものゝ所に居可申と存候手、使を遣候ヘハ、此方ニハ居不申候との返事仕候へとも、
| 夕べ(ア=部)
| ふしんニ存候而、夕ア久左衛門ニ人を付置申候処、彼母久左衛門所ゟ出候を見届、其時とらへ、
伜ヲ見セシメニ成 | 権左衛門所ニ参申候八右衛門せかれ、以来見せしめの為ニても御座候間、成敗可仕やと被申候、
敗スルノ可否ヲ伺 | 能々御分別候てノ儀ニ被成候へ之由、返事申候事、
ウ |
| (沢村吉重)
地震屋ノ継延ノ檜 |一、大学殿ゟ被仰聞候は、御地震や御次延の檜木御材木、ふしなしにて候処、大分ふし在之様ニ承届
材ニ大分節アリ | 候ハヽ、
沢村吉重価等ノ吟 | 候、左候〇直段以下万事御吟味可在之候、大坂ゟ書付下シ申候材木、直付ニ相違茂無御座候哉、
味ヲ命ズ | 左様成儀能々御吟味可然由、被仰越候、此方ゟ申候は、御材木請相之ものとも手前はやせんさく
已ニ詮索ヲ遂グ | 仕、詰置申候、就其、内々御談合仕度儀共御座候、何も左様成所せんさく仕置申候間、可有其御
内々ノ談合ヲ申入 | 心得由、申候也、
ル |
忠利中嶋ノ普請場 |一、今晩、中嶋の御普請場へ被成御出候也、
ヲ見分ス |
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| 十四日 奥村少兵衛
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町奉行例ノ如ク元 |一、吉田縫殿被申候ハ、元安国寺ノ橋ノ下しほふせき、いつものことく仕度通申候間、可仕由被申候
安国寺ノ橋下ノ防 | 間、可然由申候事、
潮ヲ施ス |
いよノ随行者ニ其 |一、いよ殿ニ付、京へ上せ候黒瀬善右衛門・深水惣右衛門・御長柄衆弥六・荒仕子一人、此四人ノも
母ヨリ帷子給与 | の共ニかたひら壱つ宛、いよ殿御袋ゟ給候由申候事、
明屋敷ヲ鬮取ニテ |一、池上加兵衛元家、野田権兵衛・阿部加兵衛・山田善兵衛・森八兵衛・神の佐左衛門・松岡七左衛
渡ス | 門・波多兵左衛門・北村甚十郎・南野九郎兵衛、此九人にてくし取仕候処ニ、野田権兵衛くしを
| 取当り候ニ付、明渡候事、
|一、真玉半右衛門元家、長や二郎介・同才三郎・益永太兵衛・浅見八兵衛・同伝蔵、此五人にてくし
| 取仕候処ニ、太兵衛取当り、相渡候事、
物師賄奉行奥方台 |一、御奥方御台所ニ付置申御荒仕子、今迄之分にてハ不足仕、不罷成候間、荒仕子弐人御まし候而被
所付ノ荒仕子ノ増 | (九郎右衛門)
員ヲ願ウ | 下候様ニと、黒瀬・大嶋申候間、其段ハ松の丸衆へ申候へと申候ヘハ、松之丸衆被申分ハ、御荒
| (喜左衛門)
内裏之台所ニモ荒 | 仕子を被召置候ヘハ御損立申候間、御長柄衆なとを付置可然と、秘申候由、此方ゟ申候ハ、内裏
仕子ハアリ 長柄 | ノ御台所ニも荒仕子と申ものハ有之ものニ付、御奥方御台所なとへ御長柄衆・御小人衆なと付候
足軽小人ヲ付置ク | 而ハ、世間ノひはんもいかゝニ候、其上御長柄衆なと、荒仕子ノ代ニつかわれ候事、忝ハ存まし
ハ世ノ批判アラム | く候、たとへ御損立候とても、ふかしからさる儀候間、御あらしこ被付置可然由、申渡候事、
足軽等ハ忝クハ思 |
ハザラム |