津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■今日の熊日新聞・ニ題

2021-02-10 14:52:01 | 新聞

今日の熊日新聞に、二つのBIGな記事があった。
一つは今年度の県の重要文化財二件の指定答申があり、ご厚誼をいただいている肥後金春流の中村勝氏ご所蔵の貴重な能楽関係史料が決定を見ることになった。以前からお話は伺っていたが、喜ばしい限りである。

                                          

 いま一つは、細川家重臣でキリシタン信者として棄教に応じなかった、加々山隼人の誅伐に係る文書発見のニュ―スである。
その事実だけを承知しているが、資料の具体的なものがなかった。新しい資料として注目を浴びそうである。

                                                                 

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■細川小倉藩(485)寛永七年・日帳(四月三日~五日)

2021-02-10 07:00:00 | 展覧会

                     日帳(寛永七年四月)三日~五

         |                        
         |    三日  安東九兵衛
         |
         |一、今日は未明ゟ雨降候事、
         |此三人へ被遣御文箱ノ銀子ハ、小笠原壱岐守様へ参小判ノ儀被 仰遣由、左兵衛被申候、藤北殿ゟ早キ便候ハヽ可上申候へ共、別ニ早キ便無之ニ付、藤北殿便ニ上ス也
忠利書状諸方宛  |一、寺嶋殿・米田殿・仁保殿へ被進候御書箱壱つ、又京にて津田與庵様・豊永好入様・都築次左衛門
         |                           (秀政)
         |  殿へ被遣候御書三つ、一箱ニ入被遣候、慥請取申候、       吉田理兵衛〇(黒印)
         |                                        (政朝)
         |   但、京へノ御文箱ハ御取返候而、藤掛蔵人殿へ御渡被成ニ付、差上候、左候て、本多甲斐守
         |             (名村)
         |   へ被進候御文箱、むろ左太夫迄可相届由ニて、うけ取申候、以上、
籠ノ鍵ヲ林隠岐へ |一、籠ノかき、祐念ニ持せ、林隠岐ニ渡させ申候也
渡サシム     |
本多政朝ヘノ状ヲ |一、本多甲斐守様へ 御書箱壱つ、むろの左太夫所へ差上せ、左太夫ゟ相届候様ニ可申遣旨、皆川治
名村左太夫へ届サ |                                          〃〃〃
シム       |  ア林隠岐を以、被 仰出候事ニ付、御船頭吉田理兵衛ニ渡、
         |  〃           〃
藤北三佑ノ船旅ヲ |一、藤北三佑殿御上候ニ、船中御気遣ノ由候間、小早を壱艘付上せ候へと、被 仰出候間、奉得其意
気遣ヒ小早ヲ付シ |  通御請申上候、何丁立ノ御小早申付候通、可申上旨候ニ付、幸御船頭田村善兵衛御奉行所ニ有合
ム        |  候ニ付、相尋候ヘハ、四丁立ノ御舟こしらへ置申由申候間、其段申上候事、

         |                        
         |    四日  奥村少兵衛
         |
         |                         後筆                        (へヵ)
         |一、京都へ被遣 御書箱、藤掛蔵人殿ニ相渡申候事、「津田與庵・豊永好入・都築二左衛門殿□被遣候
         |                         御書、右ニ御船頭ニ渡候へ共、蔵人方ニ渡候也、」
忠利有吉英貴邸ニ |一、今朝は、頼母佐殿へ御申被仕候事、
臨ム       |
掃除坊主ノ跡式  |一、皆川治ア被申候ハ、御掃除坊主ノ喜斎病死仕候、左候ハヽ御座候ヘハ、喜斎せかれ親ニおとり不
         |                         〃〃〃
裁可ヲ得難キ身分 |  申ものにて御座候間、則かミをそらせ、喜斎ニ成可申候間、其まゝ跡次ニ被召置可被下候、かや
故子ヲソノマゝ襲 |  うノ類まて立 御耳申儀、 御前難成御座候、其上御掃除坊主すくなく候て、御用かけ申候間、
名セシメム    |  右之分ニ可仕と被申候間、談合之上、右ノ分ニ被仕被仕候へと申渡候事、
         |   (延俊)
木下延俊使者ノ宿 |一、木下右衛門様ゟ、御使者ニ■■青野少左衛門被参候、宿奉行被申付候へと、坂崎清左衛門方へ申
奉行       |  渡候也、
         |一、木下右衛門様ゟ御使者青野少左衛門御やと奉行不被参候間、急度可申付由、式ア殿ゟ被仰聞候
         |  事、

         |                        
         |    五日  加来二郎兵衛
         |
藤北三佑出船ス  |一、藤北三佑殿、今日被成御上候也、
         |            (長沢顕長室、沼田清延女)
三佑ノ帰リ舟ニ |一、三佑殿御上候御舟ニ、いよ殿被下候ハヽ、船中已下念を入、下候へと可申上旨被 仰出ニ付、
ヲ乗セ下ラシム |  此段京・大坂衆へ具ニ申遣候、いよ殿へ被遣 御書ハ、吉田理兵衛京へ持上り候へと申付、渡申
         |  候事、
         |   (吉重)                       (信通)    (ママ)
沢村吉重ノ言分  |一、沢村大学殿ゟ、使者を以被仰聞候ハ、今度稲葉彦四郎様就御座候ニ付而、下々御賄ノ料理人出候様
稲葉信通家来ヘノ |  ニと被仰触候、拙者儀は能料理人持不申候、魚なと洗候ものなとハ御座候、か様ノ者を茂出シ可
賄ノ料理人差出ノ |  申候や、但、拙者ゟも知行高之衆、御触の外ニ御座候間、是ニも被差替候而可被下候やとの被仰
觸  吉重ヨリ知 |                                 (元信)
行高ノ南条元信ハ |  聞様にて候、此方より申候は、御使得其意候、貴様ゟも知行高之衆、南条殿、是は触落被申候、
触落 料理人差出 |  当前ニ而御座候は、たとへ料理人無御座候とても、此方ニ存儀にて無御座候へとも、貴様ゟも知
ハ元信へ差替ヘム |  行高触おとし申候間、差替候由、返事候事、
         |一、横田権佐与小頭有馬七左衛門登城也、此中相煩申、湯治なと仕候而、快気仕候由申候也、
         |  なめし
鞍覆百障泥百製作 |一、とうの御くらおゝい百・同あおり百かけ、今度被仰付候、皮ハ此方ゟ被成御出候、くらおゝい壱
ノ命       |  つニ付弐分のまけ、まへかとの御定弐匁五分ノ内、弐分御まけ申候、又あおり壱かけニ付、二匁
ソノ価      |     〃〃〃〃〃
         |  六分、内五分ノまけ申由、岡本源次・池内源介両人被申候、かわや共呼寄、如此相極申由候、
         |  (桐 油)
         |  とうゆハかわや自分ゟ引あけ申由候、
忠利藤北三佑ヲ川 |一、三佑殿を被成御送、 殿様川口迄被成御出候也、
口迄送ル     |

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