津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

佐分利氏のこと(ニ)

2013-07-01 09:31:15 | 熊本

 豊前海道は熊本城を発し京町口を通って北上している。かっての国道三号線である。熊本城から約2キロほどのところに「山伏塚」がある。
この読みは熊本人でなければ難しいが、「やんぼしづか」と云う。加藤清正が熊本城築城の折、地鎮の為に上方から呼んだ山伏が城の秘密を口外しないようにと、家臣がその帰りを襲い此処で殺害したと伝えられる。肥後国誌には「真言山伏故アリテ此所ニテ刑セラレ、其遺骸ヲ埋シ所ト云、一株ノ大榎ノ根ニ墓石アリ、銘ニ曰権大僧都法印龍蔵院慶長トアリテ木ノ根ニ包マレテ文字不見」と記す。

続いて肥後国誌は「爰ヨリ二三十間南ニ大松四本アルハ寛永十四年ノ冬徳永左馬助一子佐分利某島原出陣ノ時ニ故アリテ植シ松苗ト云」と記す。
当然今は存在しないのだろうが、知行地であったのだろうか、ちょっと気に成る記述で近くを通った折には尋ねてみたいと思っている。 

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