津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■禿(かむろ)坂

2014-02-11 07:57:09 | 徒然

 私が20代前半から約15年ほど、お茶の稽古に通ったN先生の御宅は鷹匠町にあった。古いしもたや風の木造の二階建ての家であった。
今回史談会で「城下町の坂」を勉強するに当たり、F氏から頂戴したCDをチェックしていたら「禿(かむろ)坂」があった。
地図を見るとまさしく先生の御宅の前の道がそうであった。

 その研究資料のリストを見ている内に、「ふるさと・歴史と風土をたずねて」という、昭和55年発刊の本を持っていたことに気づいた。
取り出して目次をみると、「坂のある風景」の中に「かむろ坂」があった。その記事にあるのがこの写真である。資料によるとこの道が「禿(かむろ)坂」だそうな。
自転車の人物の右手に見える木造の家が先生の家である。なつかしい・・・・。

 チョット見えづらいが、この道は三叉路(⊥)に成っている。左手に行くとすぐにサンロード新市街のアーケード街である。右手の一角は今でも残る大丸ホテルがあり(ここの女将もお弟子さん)、南熊本駅方面へ向う大きな幹線道に面している。
写真上手へ進むと、ファッション関係の店舗が集中して有名なシャワー通り、先へ進むと西願寺の裏手から高田原地区へと向っている。

 この写真でも判るように現在の道は殆どフラットである。花畑邸につながる馬場の裏手に、追廻田畑という低地が広がっていたが、その一部に御鷹小屋があった。
旧町名は鷹匠町、御鷹は花畑邸内でも飼われており、花畑邸裏手の馬場につながる坂道が二筋ほど在った。御鷹匠はこの道を通っていたのだろう。

この追廻田畑はすっかり埋め立てられ、今では坂道であったとは想像もできないし、お茶を御稽古していた当時も「かむろ坂」という名前も聞いたことが無かった。

思いがけず30数年前の写真に遭遇して思い出に浸っている。 


 

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3 コメント

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ここが・・・ (柴田)
2014-02-11 13:27:52
ここが「かむろ坂」と言うんですね!
実は、母を松本外科まで連れて行くため、月に3、4回は通ります。
名前が面白いので、弊ブログでも紹介させていただきます。
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Unknown (津々堂)
2014-02-11 18:33:44
名前の由来については、この坂で禿(かむろ)が転んだからだとか、低地で水を「かぶる」からだとか、解説されています。このあたりで椎の実や、桑の実をとって遊んだと昭和55年当時、77歳の西岸寺のご住職が語っておられますから、明治の終わりから大正の初めにかけての話でしょうか・・・・
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かぶる!? (柴田)
2014-02-11 18:56:47
ありがとうございます!
「かぶる」から・・・なるほど!熊本人がいかにも言いそうな感じですね(笑)
これも弊ブログで紹介させていただきます!
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