津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「木下延俊慶長日記」と細川家(4)

2024-08-31 06:21:47 | ご挨拶

慶長18年7月 朔日大坂を船出した延俊は五日の四つ時には日出に着いている。九日には無二(宮本武蔵としている)の兵法を御覧。
      ・七日、中津(内記居城=忠利)より飛脚参り候。小倉(忠興居城)へも茂左衛門を遣はされ候。
      ・十二日中務殿(細川孝之)へ御うつぼ(空穂)遣わされ候。
      ・十九日、小倉へ飛脚遣わされ候。松(松井)右近、益(益田)蔵人所へ御状。
      ・廿九日、助太夫ヲ中津(内記)へ遣はされ候。中津よりも御状共参り候。
     8月 ・十三日、細内記殿へ飛脚遣はされ候。
      ・十四日、越中様(忠興)へ遣はされし人帰り申候。
     9月 ・ニ日、朝御状遊ばされ、小倉へ遣はされ候。
      ・三日、内記さまへ遣はされ候飛脚、八つ時分に罷り帰り候。
      ・六日、細内記殿へ飛脚遣はされ候。
      ・八日、小倉へ鷹ヲ遣ハされ候。
      ・九日、細内記さまへ御状を遣はされ候。
      ・十二日、四つ時分ニ小倉より伝七郎罷り帰り候、越中様より御返事。
      ・十三日、内記さまへ御状二つ参り申候。但し、一つハやねふき遣わされ候。
      ・十四日、内記さまより御鷹一本(もと)、□り一つ参り申候。
      ・十五日、内記さまへ鷹の礼状を遣はされ候。
      ・十六日、(たばこを)御ぶんさま・・・内記(敬称脱)へ遣はされ候。
      ・十八日、稲葉四郎(一通)殿御内儀(忠興女・多羅)御果て候由ヲ申し来り候。則ち中津へも夜に使いを遣はされ候。
      ・十九日、小倉へ与右衛門を遣わされ候。松右近・かが隼人・益蔵人・松式部何もへ御状遣はされ候也。
      ・廿六日、羽越中(忠興)さまへ柿一籠御音信成され候。
      ・廿七日、今朝ハ細内記さまへ柿の髪籠を遣はされ候。
      ・廿九日、今朝細内記さまより飛脚帰り候。      

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