この地図は、新・熊本の歴史1・古代(上)から引用(p104)したものである。
この地図が掲載されている論考「旧石器・縄文時代の熊本」の筆者は、現在では熊本城研究の第一人者・冨田紘一氏である。
氏は元々は考古学者であったが、博物館の業務上熊本城研究に転身されたとお聞きする。
私は今、熊本に於ける「縄文海進」に大変興味を持っていて、身近の史料を読み漁っているがこの地図は大変興味をそそられるものである。
色を付けた部分が現在の標高5mラインだとされる。縄文期に於ける海進では海水面は2mほど高いとされる。
この5mラインの近くまで海が入り込んでいたことになり、それが所々の貝塚の位置を納得させる。
左下が宇土、中央部下に国指定史跡として有名な阿高黒崎貝塚(熊本市南区城南町阿高)がみえる。
江津湖周辺にも貝塚があったことは知らなかったが、いわゆる阿蘇の火砕流の先端部にあたる場所である、なんとなく往古の熊本の姿が目に浮かんでくる。
熊本大学教育学部紀要・自然科学編037(1988)に「熊本平野の縄文海進」という論考が掲載されていることを知った。
是非読みたいと思っているが、なにせこのコロナウイルス騒動である。県立図書館は休館中だが、熊本大学付属図書館はどうやら開館しているらしい。出かけるにはちょっと躊躇するものがあり、コピーを送っていただけないものかと虫の良いことを考えている。
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