(安政三年)四月廿四日 曇 武州神奈川出立 同国品川止宿 (約20㌔)
一今朝出立前、当所本陣石井源三郎え逢、左候て朝五ツ時分同所出立、夫より生麦の藤屋万三郎と申者方え小立テ、夫より川崎本陣佐藤
惣左衛門方え昼休ミ、夫より大森の長谷川忠次郎と申者方え小休ミ、当所名物の麦わら細工の小箱三ツ、八代土産に求メ候、品川宿ニ
おひて、本陣鶴岡一郎右衛門宅へ今夕八半時分着、直ニ止宿いたし居候処、尋向ニ左の通り参り候ニ付、出会いたし候事、
三井小兵衛、森本儀十郎、其内大木舎人見へ、いろゝゝ咄いたし居候内、佐分利十右衛門機密間根取坂本彦兵衛、同物書川添弥右衛
門、今晩極忍ニて近辺の茶屋迄誘引ニ相成候ニ付、極々忍ニて、供川上源吉・小川宅平・宇野益城・緒方九郎四郎召連、舎人も家来三
人召連(約六文字空白)宅ニて酒肴を出しニ相成、芸者五人参り、其外宿亭の妻娘等追々出、舎人・十右衛門儀ハ酒も給候人躰ニて、
酒機嫌ニ相成、興を催し候様ニて候、右芸者五人、亭主初メへ花として金子を遣し、尤舎人よりも同断ニて、惣躰の出方の儀ハ、舎人
・十右衛門心遣の由、左候て今晩四ツ半時分旅宿へ引取候節、舎人・十右衛門も付添宿所迄見候事
一右の外、当所へ着いたし候歓として、出入の御侍を初御用達共、追々罷出候面々ハ別帳ニ控有之、略之
2番・川崎宿 1番・品川宿